029 例の少年とは何か。



* * * * * * * * *





「申し訳ございません! ソルジャーは排除していた筈なのですが……」


「まったく、魔族が怯えさせられるんじゃこっちも困るんだよ! 魔王様の耳に入ったならどうなることか」


「今回の件はその、居合わせたソルジャーがその……例の少年でして」


「お前たち人族のおさ共が強すぎるだのなんだのと、大騒ぎしていたやつか。遠くから狙撃するなり寝込みを襲うなりしてくれ、こっちは大人しく穏やかに過ごしてんだからさ。分かるだろ?」


「は、はい! それでは早速少年を捕える方向で全力をもって対応しますので!」


 魔王城の中にある官吏の執務室では、人族の使いの者が魔族の官吏にペコペコと頭を下げていた。相手は全身が黒い鱗に覆われた二足歩行の半魚人、サハギンだ。


 遡る事2週間前。


 水と温泉の村への襲撃ツアーで起こった事件は魔族に大変な衝撃を与えた。人族の準備不足による多少のミスはあったとしても、恐怖狩りを中断して退散するようなことはなかった。


 迂闊に手を出せば魔族は大群で押し寄せる……そう教え込まれてきた人族は、余程の危害を加えない限り魔族が去るのをただ待っているだけだった。


 裏を返せば余程の危害を与えるような魔族が現れたなら、それは魔族にとっても許しがたい存在だ。それをソルジャーが狩る事について魔族は「どうぞどうぞ」とすら思っている。


 しかし、今回は戦闘こそ起きなかったものの、クランプスが1名酷く怯えて取り乱してしまった。魔族が人族を恐れるというあべこべな空気が漂いはじめたことで、人族の使者が召集を受け、魔族から抗議と遺憾の意が伝えられたのだ。


 その原因を作った人族……それはもちろんエインズとニーナだ。


「おーいちょっと町まで出たいんだけど……って、客人か」


「ジタ様! 今外は危のうございます! 不届きなソルジャーがこの魔王城へ攻め入らんと向かっているのですよ!」


「あー、親父とガルグイも言ってたな。けどよ、実際そいつはどれくらい強いんだ? どんな酷い事をやらかしたんだ?」


「それはもう……はて、何をしでかしましたかな?」


 サハギンは人族の使者の男に視線を向ける。説明しろということだ。


「えっ!? 何を……何をって、いや……しかし! しかし大地を揺るがし岩をも砕き、炎まで吐き散らかすという話なのです! 報告が上がっていないだけで、それはもう悪の限りを尽くして尽くして……魔王城で何かあってからでは遅いのです!」


 魔族も人族も、エインズが具体的に何をしたかと言われると返答に困る。それはそうだろう、何もしていないのだから。


「んで、そいつは? どんな奴なんだ」


「どんな奴、とは」


「強いだのなんだのはいいんだよ。見た目は、歳は、名前は! なんかもっとあんだろうが」


 ジタは不審そうに腕組みをして使者を睨んでいる。


 流石は魔王の息子、普段は「大きな目が宝石のように美味しそうだ」「肌を切り裂けば瑞々しい血が溢れそうだ」(要するに魔族風に言えば可愛い)と容姿を褒められるジタも、睨みを利かせると室温が下がったかのように恐ろしい。


「魔族の負傷者は怯えただけのクランプスの婆さん、他には? こっちから討ちに行く程の被害がねえし、そのガキの情報……何か怪しくねえか?」


「そう言われると……その例の少年というのは本当に存在するのか? まさか魔族をからかう戯言ではあるまいな!」


 ジタの勘繰りに乗り、サハギンも体中の鱗を逆立てるようにして人族の使者を睨みつける。


「ほ、本当です! 名はエインズ・ガディアック、15歳の少年で精霊を連れております! 我々も困っているのです、この魔族と人族との協定を揺るがすような……しかし真実を話せばどう伝わるか」


「厄介なガキだな……始末しろとまでは言わねえけど、ならず者ってことなら魔族を代表して俺が狩ってやろうか」


「坊ちゃん! なりません!」


 魔族と人族にとって、何故かエインズが共通の敵になりつつある。ジタは興味のない素振りをして踵を返し、暇つぶしに魔族の町へと出かけていく。


 魔王へと襲撃ツアーの出来事を報告する訳ではないのだと分かり、サハギンも人族の使者もホッと胸を撫で下ろしていた。






* * * * * * * * *






「ほんと上手くなったわね」


「ええ、まるで綺麗な小川のようでございますよ」


「やっとここまで出来た……俺だってやればできるんだ!」


 人族の使者が魔王城でエインズ達の事を報告してから暫く経ったある日。


 そんな事など全く知りもしないエインズとニーナとチャッキーは、北にある町を抜けて更に北上し、平原の中でエインズの水魔法「ウォーター」の出来を喜び合っていた。


「もう辺り一面海のようにしちゃう心配はないわね!」


「ええ、これくらいであれば怒られることもありません。わたくしはエインズ様の事を誇らしく思いますよ、ええ思いますとも」


「こうやって水があったら馬車の馬も、動物たちも嬉しいよねきっと」


「まあ水と言うにはちょっとスケールが大きいけど……そうね、干上がるまでは」


 エインズが発動した魔法、目の前を小川のように、しかしいささか急流にも思われる勢いのウォーター。これでも今までで最弱の威力なのだという。


 その流れていく先にはちょうど湖が広がっていた。空の青と白を鏡のように映す湖面は風で揺れる事もなく地面に空へと続く穴が開いたようだ。


 お気付きの方もいるかもしれないが、勿論これはエインズがやらかして出来た「水たまり」である。


 周りに何もない場所で魔法の練習を始めたのだが、エインズは加減し損ねてしまった。その結果やや周囲より低い場所に水深は僅か数十セータだが、直径500メータ程の湖を作り出してしまったのだ。


「これが温泉だったらなあ……」


「えっ、唐突に何?」


「あ、いや、泳ぐには冷たいし水嵩がないし、温泉が恋しいなあって」


「そうね、お風呂にも入りたいし」


 体を舐めて綺麗にできるチャッキーとは違い、3日も風呂に入れなければ汗臭さも気になる。エインズのウォーターはシャワーにすると命取りだし、ニーナのウォーターではコップに水を注ぐのが精一杯。


 このパーティーには適度に魔法を操れる者がいない。


 エインズは草の上に仰向けになって寝転び、腹の上にチャッキーを乗せて目を閉じる。魔物が出る平原だというのに呑気なものだ。


「空が綺麗ね。水面に映った空も綺麗……」


 そうニーナが呟いて水際で水面を眺めている時、ふと自分の影が背後に立つ人物の影で隠れた。


「お前ら、ここで何してんだ?」

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