第37話 生まれたての小鹿も真っ青

「ルーちゃん」

「よ。サラ」

 学園の高等部校舎に隣接するレセプションホール。巨体な劇場のような外観と大ホールを中心に高級ホテル並みの内装で幾つもの部屋が配置されている建物である。

 エントランスホールから二階に上がり、休憩の為の談話スペースと繋がった白い石造りのテラス。そろそろ夕陽が沈み始めたそこに、シェルディナードが居るのを見つけて、サラは嬉しそうに近寄った。

 あくまで期末お疲れ様な夜会なので、そこまで堅苦しいものではない。女子のドレスは膝丈も可だし、男子はカジュアルなスーツも許されている。

 シェルディナードは髪をオールバックにし、白く上質な衿型シャツに繊細な貝釦、手結びの黒いボウタイ。黒に見えるのに、光の加減で青みを帯びるミッドナイトブルーのスリーピースと靴は黒い内羽根で爪先はストレートチップの革靴。

 サラも今日はダークネイビーのスーツだ。

「ミウ、来た?」

「まだみたいだな」

「もう……。早めにきて、って、言ったのに」

 むぅ、と膨れるサラにシェルディナードが微笑む。

 サラがシェルディナードの隣に立って、テラスから眼下に続々と集まる人々が見える事に気づき、再びシェルディナードへと藍色の瞳を向けた。

「ルーちゃん」

「ん?」

「気に入ってる、ね」

 サラの言葉に、シェルディナードはゆっくりと笑みを深める。

「まあな」

「ルーちゃん」

「うん?」

「いいの?」

 元々、ミウがシェルディナードの彼女をやめたくて、その為の条件として提示されたこと。

 そのサポートとしてサラは彼女をシェルディナードに釣り合うくらい磨きあげるよう頼まれた。親友の頼みなら完遂する気だけど、それはミウが条件を満たす事を意味する。

「それがミウの望みだろ」

 いつものように笑う親友に、サラは少しだけ不満げだ。

「ルーちゃんの、望みは?」

「俺は良いよ」

「良くない、よ」

「んじゃ、ミウの望み通りにすること」

「…………」

 わかってる。一度約束した事を反故ほごにするなんて事、この親友がしないことは。

 でも。

 いつも、そうやって。

「サラ。俺は充分、楽しませて貰ったし、ミウは頑張っただろ?」

「…………」

「だから、最後の手助け頼むわ」

 サラは瞳を伏せる。

 そんな風に言われたら、もう何も言えないから。




     ◆ ◆ ◆ ◇ ◆ ◆ ◆




 転移石は魔力の消費量が激しく、高価ではあるものの便利な道具だ。

「しぇ、シェルディナード先輩ぃ~……」

「ククッ。おーおー。見事な小鹿だな」

 値段も魔力消費も抑えた廉価版は、行けるところが限定されるものの、瞬時にその場に行けるのだから問題ないだろう。

「笑い事じゃありませんんん!」

 ガクガクぷるぷると、ミウは慣れないヒールに一歩進むごとに脚というか身体を揺らしていた。

 生まれたての小鹿も真っ青である。指定された控え室の入り口に転移していなければ絶対動けなかっただろう。

「ふぎゃ!」

「おっと」

 転んだ! と思った瞬間、危なげなくシェルディナードの腕に抱き留められる。

「試しにわたくしの靴を履いてもらったのですけれど、この感じだとミウにヒールは難しそうですわね」

 足首を捻る前に止めましょうと言いながら、控え室で合流したエイミーは近くの椅子を引き寄せる。

「うーん。大丈夫じゃね? これヒールが初心者にはえぐい細さだし、もうちょい太けりゃいけんだろ」

 ミウを椅子に降ろし、シェルディナードがサラを振り返った。

「な? サラ」

「うん。そんな事だろうと、思って、ヒール、太いのに、したから」

 サラの呆れたような目に、ミウは居たたまれない様子で顔を逸らした。

「……ところで、それ、なに」

「えっと……」

「ドレスで来るのが恥ずかしいと言っておりましたので、ポンチョで隠しましたの」

「…………てるてる坊主」

 ミウはまさに白いポンチョでてるてる坊主状態だった。サラの目が若干据わる。

「ひっ」

「……いいや。時間、ないし」

 諦めるようにサラが言う。詰められるのも嫌だが、諦められるのもそれはそれで、である。

「では、わたくしはおいとま致しますね。ケル様もお着きになっている頃でしょうし」

「エイミーちゃん、ありがとう!」

「うふふ。良いのよ。また後でね。ミウ」

 エイミーは危なげない足取りでミウが試しで履いた靴を回収し、部屋を出ていく。

「じゃ、始める、から」

「俺も出とくわ。またな」

「あ、はい」

 シェルディナードがあっさり部屋を出ていこうとする様子にミウがちょっと不思議そうな顔になる。

「遊んでる時間、無いから」

 すかさずサラがそう言うと、シェルディナードがニヤリと笑みを浮かべて振り返った。

「え。何、居て欲しいのか?」

「とっとと出て下さい!」

「へいへい」

 ひらっと片手を振って出ていくシェルディナードに、サラは溜め息をつく。

「本当は、居てくれると、微調整しながら出来る、んだけど」

「サラ先輩、セットの人形飾るようなこと言うのやめて下さい」

「ルーちゃんは、お人形じゃないし、ミウは、お人形より、ぬいぐるみ」

「サラ先輩!?」

「黙って。本当に、時間、惜しい、の」

 だから早めにって言ったのに。そう呟きながら、丁寧にミウの髪をとかす。決めていた通り後ろ髪はうなじの上でまとめて、パールと金色の小花をあしらった髪飾りで留める。触れた髪からは金晶雪華の匂いが仄かに香った。

 ミウの前に回って、サラは前髪に指を伸ばす。

「あ。サラ先輩、あの……前髪、額出すのは」

「知ってる」

「え?」

「ねえ、まだ、やるの?」

 軽く左目あたりの前髪を指先でよけて、サラが藍色の瞳を細める。

「ルーちゃんと、同じ、匂い」

「あ。えっと、シェルディナード先輩にもらって」

「どうせ、男のひとに、香水もらう意味、知らなかったんでしょ」

「うぐ」

迂闊うかつ。気をつけないと、危ないんだから、ね」

「シェルディナード先輩にも言われたんでもういいですよ!」

「……でも、つけた、んだ」

「え?」

 そのまま今度はメイク。下地を作って、軽くファンデーションをおいて、サラはミウの顔を作っていく。

「完成」

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