ユエスレオネ連邦の言語文化誌 ~単語と文化から見る連邦社会~

Fafs F. Sashimi

政治と哲学 Lertas ad Latirno

fentexoler ――「反革命主義者」(1)


 ユエスレオネに在住していたときに隣人に"metistaメティスタ co esエス fentexolerフェンテショレー jarnヤーン?"「さては君はフェンテショレーだな」と言われたときには酷く驚いたものである。

 「フェンテショレー」とは直訳すれば「反革命主義者」であり、革命以降長らく政権を持っているユエスレオネ社会党のイデオロギー、イェスカ主義の強い影響下にある連邦では非常にセンシティブなワードだと思えたからであった。


 さて、この"fentexolerフェンテショレー"という単語はユエスレオネ社会の中でも複数の意味を持つ。リパライン語の言語文化の多様性を例示するのに適切な単語と言えよう。


 まず、"fentexolerフェンテショレー"がどのように構成されているのか見ていこう。

 "fentexolerフェンテショレー"は"xolショル"という語幹に"fenteフェンテ-"と"-erエー"という接辞が付いたものである。前者は「~に反する」という意味で、英語のanti-に当たる。後者は行為者名詞を作る語尾である。


 重要なのは"xolショル"の意味であるが、これは一般的には日本語で「革命」と訳される単語だ。


 しかし、この「革命」は現世の意味で理解してはならない。ファイクレオネの歴史に沿った"xolショル"の意味がある。

 ユエスレオネ連邦を成立させたイェスカ主義は、14世紀の哲学者ヴェルテール・シュテック・レヴァーニ・エルシュティックノーハイトを発祥とする近現代リパラオネ思想を継承するイェスカ哲学を、ユエスレオネ人民解放戦線の中核的な成員の一人アレス・デュイネル・エレンが武力革命論に発展させることによって政治化したものであると言われている。

 イェスカ哲学における"xolショル"「革命」は誤解を恐れずに言えば、能動的なものではない歴史の進展と共に起こる社会とイデオロギーの変革という現象の因果関係を指すものであり、"fentexolerフェンテショレー"「反革命主義者」もこの因果関係に抗おうとする主体をその主体の経験としてではなく起こるという背景を含意して指すものであった。


 "xolショル"はイェスカ哲学以外でも用いられる概念であり、フィシャ・ステデラフの改革派教法学では「アレフィスで表される人民による世俗機構が誤った導き手である指導者を再選択すること」を指し、トイター教では典礼言語であるユーゴック語の"chedisathチェディサス"の訳語として社会改良と改良者の優遇を内包する概念を指す。この他にも"xol"の意味は学派によって大きく異なるが、これ以上は脱線が過ぎるのでやめておく。


 このような難しい哲学的な観念は革命内戦が始まると歪曲を始めた。

 上述のアレス・デュイネルの「イェスカ哲学の政治化」によって革命内戦が始まると、"fentexolerフェンテショレー"「反革命主義者」は内戦を戦う市民の都合の良い意味で焼き直されることになる。


 ユエスレオネ内戦中、革命を主導するターフ・ヴィール・イェスカ率いる人民解放戦線系武装組織は哲学史に詳しくない市民にも分かりやすいようにイェスカ主義を分かりやすく教育する過程で、"fentexolerフェンテショレー"を明確化して伝える様になった。「反動的思想」とリパナス(リパラオネ民族党)や古典リパライン語の振興集団であるXelkenなど保守派を総じて敵視するような考えは、市民に反革命的なものを乱雑に扱わせることになった。

 その極みとも言えるものが、シェルケン、ヒンゲンファール、バートニーマシュ、キャスカなど一部の名字を持つ者に対する迫害、放火、虐殺であり、リパラオネ教会などもこれに加担していたとして民主化後に責任を問われている。


 このように"fentexolerフェンテショレー"は時代につれて積極的に悪辣な存在を指すようになっていった。これが明確に分かる一例として、標準語であるリパライン語を解さない国民に対する教育書「フェンテショレーと戦うイェスカ主義市民のためのリパライン語講座」の音韻説明の記述を引用したい。



 ヴェフィス語などの言語では母音の長短を区別しませんが、リパライン語では母音の長短で大きく意味が変わってしまうことがあります。例えば、偉大なる国母であり革命の姉であるイェスカの前で"fenterxolerフェンテーショレー"(九人の革命家)と"fentexolerフェンテショレー"(反革命者)を間違えることがあってはいけません。

 (Tarf V. Woltsaskaiju, lineparine'd lerssi'aosti fua jeskaveranasch iccoer zu elm fentexoler'c, xolen vortag, 2004, p.5)



 しかし、その一方でイェスカの思想に通じていた政府・立法者にとってはそうではなかったとも考えられる証拠もある。


 ユエスレオネ連邦の刑法においては、"fentexoler'dフェンテショレード fyrkjaerlフューキャエール"「反革命罪」という罪が存在する。

 適用例として、リパラオネ民族主義者で人民解放戦線と協力して旧政府と戦った伝統系組織「民族自決のためのリパラオネ民族戦士の堅陣」(PLELC)の創設者フィシャ・グスタフ・ヴェルガナーデャが革命の一年後に反動勢力として「反革命罪」、民族浄化罪、民族煽動罪で死刑判決を受けている(ピリフィアー暦2005年のショレゼスコ民主化によって判決は取り消しとなった)。

 このような"fentexoler'dフェンテショレード fyrkjaerlフューキャエール"「反革命罪」は現世では恣意的な運用がなされるものとして見做されがちだが、ユエスレオネ連邦においてはそうではなく個人の社会から非難されるような罪状を隠蔽するための一種の犯罪者更生政策として行われていたようである。

 

 "fentexolerフェンテショレー"であることは社会的には確かに否定的な印象を与えるものであった。しかし、それも「イェスカ主義的再教育」がなされるとした党の広報によって一定程度軽減されていたのであり、その「再教育」も実際には更生のための福利であったことを考えると死刑廃止などを唱えるイェスカ主義政権における犯罪者更生への関心が見て取れる。

 それに、イェスカの思想に通じていた政府・立法者が"fentexolerフェンテショレー"「反革命主義者」に対して民衆的な理解を持っていたのであれば、このような罪名にはならなかっただろう。

 ここに民衆と知識層の間での"fentexolerフェンテショレー"の分断と連続を見ることが出来るのである。


 さて、ここまではユエスレオネ連邦のリパライン語における"fentexolerフェンテショレー"を見てきた。次回はユエスレオネ連邦の隣国やそれと深く関係し、リパライン語とその思想を受容した国や地域における"fentexolerフェンテショレー"について見ていきたい。


 ちなみに、私に"metistaメティスタ co esエス fentexolerフェンテショレー jarnヤーン?"「さては君はフェンテショレーだな」と言った隣人はxelkenの一派であるxelken.valtoalに属する人間であった。

 キツイ冗談も自らが迫害された生の経験から来るものなのだろうと納得したものである。

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