第三十三話 世界で一人だけ。
春になって、マリーが外国から帰ってくることが手紙で知らされ、アルテュールと二人で港へと迎えに行こうと出掛けた。
海の光を浴びて輝く白い建物が立ち並ぶ港町は活気に満ちていて、大きな鞄を持った旅人や小さな子供連れの人々が多く歩いている。度々出掛ける王都より、子供の数が多い。
「しまった。今日は〝海賊商人〟の船が来る日か」
白いシャツに紺色の上着とベスト、黒いズボンにブーツという、平民に混じっても目立たない服を着たアルテュールが苦笑する。王子の公務の時には仮面を着け、それ以外では外している。
「海賊商人?」
「ああ。海賊みたいな風貌で顔に傷がある船長が乗っている船だ。春になるとやってきて、その場にいる子供に珍しい外国のお菓子を配る」
「お菓子を?」
海賊と言えば、恐ろしく残忍な人々という印象しかない。そんな人々がお菓子を配る姿が想像できない。
「子供には配るが、大人は買えということらしい。上手い商売方法だ」
味を確かめる為に買って帰るかとアルテュールが笑う。
お菓子を目当てにしているのか、たくさんの子供たちが港町を賑やかに駆けている。町は港へ向かって緩やかに傾斜していて、遠くから見ると巨大な階段状になっていた。
「イヴェット、危ないから手を繋ごう」
「はい!」
平民を装う時には、子供の頃のように手を繋ぐことができる。交わす体温が嬉しくて恥ずかしい。
「この路地が近道だ」
アルテュールは何度も来たことがあるらしい。その足取りは迷うことがなくて安心できる。
路地を抜けると港を見下ろす広い道に出た。ここも大勢の子供たちがいて港に入ってくる船を眺めている。
「いつもは旅人ばかりだが、子供が沢山いるのも楽しくていいな」
二人で子供のように笑い合っても誰も咎めない。楽しくてもどこか堅苦しさのある王都とは違う、自由な空気が町には流れている。
「イヴェット! 何故ここに?」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはフード付きの焦げ茶色の長い旅装マントを着た男性が立っていた。誰かと聞き返そうとすると、男性はフードを外し、白金髪に水色の瞳のダグラスの顔が現れた。
「!」
アルテュールが私を背に庇い、人々が行き交う中でダグラスと対峙する。ダグラスのマントの下に剣が見えた。アルテュールは剣を持ってはいない。
ここで戦うことになれば、周囲の人々を巻き込んでしまう。アルテュールがぎりりと歯噛みする音が聞こえる。
「海賊商人の船だ!」
誰かの叫びが歓声になって広がり、子供たちが一斉に船に向かって走っていく。アルテュールとダグラスがにらみ合う中、ダグラスの前で一人の幼い子供が転倒した。
「うわあぁあん!」
大声で泣き始めた子供を、ダグラスは両手で抱え上げた。
「待て! 何を……!」
叫んだアルテュールの右手に赤い光が宿る。
「男だろう。泣くな」
ダグラスが子供を空高く掲げて諭すと、子供の泣き声はぴたりと止んだ。
「あ……」
意外過ぎる姿に目を瞠る。そういえば、これまで子供と向かい合うダグラスを見たことはなかった。
「ほら、行け」
ダグラスが子供を地面に降ろし、背中を叩くと、子供は頷いて駆け出して行った。
周囲にいた人々は消え、私たち三人だけが取り残された。奇妙な沈黙の中、最初に口を開いたのはダグラスだった。
「イヴェットは私の妻だ。返してもらおう」
「妻? 君との婚姻は成立していない。イヴェットは私の婚約者だ。君は本来の奥方の元に戻ればいい」
「本来?」
アルテュールの言葉に驚く。
「ルイーズと名乗っていた女性が、この男の妻だ」
「え?」
ルイーズが妻? 唐突過ぎて理解することができずに混乱する。
「女神の神殿で婚姻式をしただろう? 彼は神官を買収して、正式な儀式を行わなかった。儀式を行い神力で検査されれば、重婚として弾かれると知っていたからだ。……イヴェット、君は最初から結婚していない。未婚の令嬢のままだ」
「……戯言だ。間違いなく書類は受理されている」
「受理されていない。もちろん、証拠もある」
ダグラスの水色の瞳が鋭さを増し、アルテュールの青い瞳も鋭く光る。
「君はイヴェットを薄汚い闇の世界に引き込むつもりなのか? 逃亡生活に彼女が耐えられるとでも?」
「それは……」
アルテュールの声は鋭く、ダグラスの瞳が一瞬揺れた。
「今回だけは見逃してやる。またイヴェットの前に出て来るなら容赦しない。次の機会はないぞ」
「……イヴェット、私は……」
私に向かって何かを言おうとした後、ダグラスは瞳を伏せて小さく息を吐いた。
「……悪かった。私のことは忘れてくれ」
再び私を見つめた水色の瞳は、今までに見たことの無い穏やかな色を
「遠く離れていても、お前の幸せを願っている」
「……ダグラス……」
返す言葉を探す私に微笑んだダグラスはフードを被り、踵を返して路地裏へと姿を消した。
何か声を掛けた方が良かったのだろうか。去っていく背中を見つめて思う。でも、何を言っていいのかわからない。……私はダグラスを知らず、掛ける言葉も知らない。
「イヴェット、大丈夫か?」
アルテュールに声を掛けられて我に返った。
「ええ。……ただ、混乱しているだけよ」
突然私は結婚していなかったと言われても理解できないし、ダグラスが急に恐怖の対象ではなくなったこともわからない。
「展望台に移動して、座って話そうか」
私は微笑むアルテュールに頷いた。
◆
港を見下ろす展望台には、人はまばらにしかいない。見物人のほとんどが海賊商人の船の周囲に集まっているように見える。子供たちは列になり、屈強な船員たちからお菓子の包みを受け取って歓声を上げている。船の上で手を振っているのが海賊商人なのだろう。白髪で精悍な顔立ちに褐色の肌。頬の傷が遠く離れていても見える。
「ここに座ろう」
白い石で出来た長椅子に座り、煌めく海を眺める。しばらくしてアルテュールは深く息を吸い、吐き出した。
「何から話せばいいのか迷うな。マリーたちが帰ってきてから少しずつ話そうと思っていたんだ。……イヴェットは驚くかもしれないが、ダグラスとルイーズは傭兵だ。フラムスティード侯爵家は君と偽装結婚する二カ月前に外国の軍隊に乗っ取られていた。元からいた家令と料理人以外は全員軍人になっていたんだ」
「軍人? まさか……そんな……」
口数の少ない、真面目に働く人々だったと思う。……軍人と言われれば、その無駄のない動きや、会話の少なさも理解できるかもしれない。
「当時、世継ぎのいなかった侯爵家の当主が病気で突然死んだ。通常は近い親戚筋から養子を迎えるものだが、親族が見たこともない男――ダグラスがすでに養子になっていて、侯爵夫人は爵位を譲ると逃げるように姿を消した。脅されたのか、金を積まれたのかはわからない。夫人は今も行方知れずだ」
「ダグラスが侯爵家の当主になってから、次々と使用人が入れ替わった。元々働いていた者たちは家令によって立派な推薦状をもらっていたので、難なく別の家へと勤め先を替え、文句を言う者はいなかった」
「外国の軍隊がどうして侯爵家を乗っ取ったりしたの? お金の為?」
「いや。金より価値のある物、情報収集が彼らの狙いだった。上位貴族でなければ手に入れることのできない情報――例えば王城を護る騎士や兵士の数、王族や公爵家の毎日の習慣や日中過ごす場所、屋敷の間取り、ありとあらゆる情報を集めていた」
「まさか……王族と公爵家を害する目的で?」
王族と公爵家が全員殺されてしまえば統率できる者がおらず、国は大混乱に陥るだろう。
「全員を皆殺しにするつもりだったのか、脅しの材料を掴んで言うことを聞かせる為だったのかはわからない。つい先日、侯爵家の軍人を捕らえた時、司令塔だったダグラスとルイーズは逃げた後だった」
「この計画が発覚したのは、我が国でも同様に侯爵家が乗っ取られていたからだ。異常に気が付いたのはマリーの夫、ローラット侯だ。彼が気が付かなければ、我が国も知らぬ間に滅ぼされていたかもしれない」
マリーの夫はとても有能な人なのか。会うのが楽しみになってきた。
「我が国の被害を調査する中で、別動隊がいることがわかった。周辺国にも知らせると、各国とも侯爵家や伯爵家が乗っ取り被害にあっていた。それで……イヴェットが巻き込まれていると知って、慌ててレガレルア王国へ向かった。正直に言えば、侯爵家よりも君のことが心配だった」
だから私の『救出計画』が立てられていたのか。
「何故、私と結婚したのかしら。ルイーズの為なら侯爵家に呼べば済むことだったのに」
「……君を偽装結婚に巻き込んだことにも意味があったんだ。子爵家の領地に魔法石の廃鉱山があるだろう?」
「ええ。私が子供の頃に全ての魔法石を掘り尽くしたと聞いているわ」
魔法石は安価で、すべてを売っても大したお金にはならなかったと聞いた。
「鉱山で魔法石が採れなくなっても、残留する魔力は膨大だ。その魔力を元にして、巨大な転移の魔法陣を作る予定だったんだろう。君と偽装結婚した後、売られていた領地を買い戻して整備を始めていた」
「巨大な魔法陣で何をするの?」
「外国から軍隊や支配する為の人員を呼び込む。海の向こうからでも、転移魔法を使えば一瞬で行き来できる」
規模が大きすぎて、よくわからないことが多すぎる。ふと思った疑問を口にした。
「……子爵家……私の父母はどうなったの?」
「屋敷で監禁されていた所を助けた。命に別状はないが、とても恐ろしい目にあったらしく別人のように寄り添っているそうだ。残念だが爵位は取り上げられ、親族の監視下に置かれている」
両親が生きていると知って、安堵する自分の心が不思議にも思う。酷いことをされても、どこかで親だからと思っているのかもしれない。
「私が死亡したと今も思っているのかしら?」
「ああ。生きていると知らせるか?」
「いいえ。私には、新しい父母がいるもの。子爵家の娘イヴェットは死んだ、でいいと思うの」
冷たいと思われるかもしれないけれど、私が王族に連なると知られてしまった時に金銭や優遇を要求されても困る。アルテュールや助けてくれた人たちに迷惑を掛けたくない。
「……君を売ったのはルイーズだ。嫉妬深い彼の妻は、王立劇場の女優を馬車の事故に合わせ、次の愛人も事故に合わせようとした。愛人はどちらも上位貴族の情報源として利用していただけなのに、たとえ演技でも許せなかったんだろう。君については……外に出ればマリーが付いていたから、事故を装うのは難しいと思ったのかもしれない」
「そうだったの……」
ルイーズがダグラスの本当の妻だったとは気が付かなかった。酷い仕打ちを受けたと思っても、その記憶は薄れつつあるからか憎悪はない。
「ダグラスは怖ろしい計画を立てていたのに、捕まえなくて良かったの?」
「彼はこの国で犯罪に手を染めることはないだろう」
「どうして?」
「もし私が彼の立場なら、イヴェットの前で絞首刑にされるような無様は絶対に避ける」
「絞首刑?」
「ああ。少なくとも我が国の騎士二人を殺害した罪がある。彼にはこれから逃亡生活が待っているんだ。仲間の軍人は捕らえられ、近隣国ではお尋ね者だ。彼を雇っていた国も裏切り者として探すだろう。ルイーズも同じ逃亡者としての悲惨な末路しかない」
常に追われて気の休まらない生活。私が感じていた恐怖よりも、もっとすさまじいものだろう。私はアルテュールに護られていた。
「マリー達には、彼らの婚姻届の確認と証明書の取得を依頼していた」
海の向こうの大陸が、二人の出身地らしい。
「そんなことまでわかってしまうの?」
「君の国では廃れてしまっているように見えるが、各国の女神の神殿は神力で繋がっているんだ。重婚しようとすれば、即座に弾かれて情報が上がってくる」
神殿は出生届や婚姻届けを出すだけの場所だと思っていた。魔力や神力、そんな不思議な力がこの国では身近に存在していることを感じる。
「……君の祖国や、周辺国の国民が魔力や神力を失っているのは、女神を信じなくなったからだと私は思っている」
「それなら、私には何故神力があるのかしら……」
緊急時だけとはいえ、私の神力は強いとナディーヌは言っていた。
「イヴェットは昔から神力を持ってた。私が草で手を切った時、治してくれただろう?」
「あれは薬草のお陰よ」
薬草を貼って手で押さえると小さな傷はすぐに治った。
「無意識に女神を信じていたのかも」
「そうだったかもしれないわね。今では完全に信じているの。女神の導きがあったから、月の光を糸に紡ぐことができたし、騎士たちの怪我を治癒することも……」
唐突に、そっと唇に口づけられた。
「っ! ……アルテュール、外では駄目です。人目が」
不意の口づけには慣れてきたものの人前では恥ずかしい。
「誰も見ていないから大丈夫だろう」
周囲を見回すと、確かに見ている人はいない。すかさずアルテュールが私を腕の中に閉じ込めた。
「私はイヴェット一人だけをずっと想い、愛し続けてきた。彼のように妻を持ちながらイヴェットも手に入れようなどと思ったことはない」
彼というのはダグラスだろうか。急な話題転換に驚きながらアルテュールの目を見ると、青い瞳は真摯な眼差し。その誠実さが本当に嬉しいと思う。
「私もアルテュール一人だけよ。魔女と同じように一生貴方を愛し続けるから、覚悟してくださいね」
何故かアルテュールの肩から力が抜け、私に寄り掛かるようにして抱きしめる。
「……情けない話だが、少し心配になった」
「どうして?」
「彼があまりにも
「勝ち負けの話なの?」
それなら、アルテュールの勝ちではないのではないだろうか。
「……勝てたならよかった」
アルテュールが安堵の息を吐く。
抱き合いながら輝く青い海を見ていると、心の隅に残っていた水色の瞳の煌めきが薄れていく。あの煌めきは、青い海の輝きには敵わない。
大きな白い船が港に入ってくるのが見えた。
「あの船だ。行こう、イヴェット!」
「はい、アルテュール!」
様々な愛の形があると知っても、私は世界で一人しか愛せない。
私が心から愛するのはアルテュールだけ。
赤い月と緑の月、白い太陽が明るく輝く世界の中、私はアルテュールの手を取った。
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