第二十六話 赤い光と七色の光。
穏やかな光が差す庭園の中、ダグラスの立つ場所だけが陰になっているような気がする。光をねじ伏せるような圧倒的な闇の気配。
ダグラスは微笑みながら近づいてきた。
「美しい華になったな、イヴェット。私は君が傷物でも気にしない。誰に抱かれていても構わない。一緒に帰ろう」
「い、嫌です!」
ダグラスの閨に連れ込まれると思うと、ぞっとした。
「何故だ? 王子に
そう言って私の腕を掴もうとしたダグラスの手を、公爵夫人が持っていた扇で叩いた。
「おやめなさい! 嫌がっているでしょう!」
ダグラスは冷ややかな目をして公爵夫人を一瞥する。
「邪魔をするな、死にたいのか?」
「や、止めて!」
このままでは公爵夫人が害されてしまう。私は咄嗟に公爵夫人を背に庇った。
「イヴェット、君が素直になればこの女は見逃してやろう」
微笑みながら差し出された手は血で汚れていた。よくよく見れば、黒い騎士服にも暗い染みがある。……この人は、一体何者なのだろう。
体が震えて止まらない。この血塗れの手に身を任せたくはないと思う。
「さあ、私と一緒に帰ろう」
その手が私に伸ばされる。絶対に触れられたくない。助けて欲しいと願いながら胸元の
「何だその指輪は?」
訝し気な顔をして、ダグラスの手が止まる。
「アルテュール! 助けて!」
私の叫びに応じるように赤い光の魔法陣が広がりながら私と公爵夫人を包む。光に弾かれたダグラスは後ろに跳んで、大人の背丈二人分程の距離を取った。
「防御の結界魔法か。厄介だな。……イヴェット、そのまま動くな」
鋭く研ぎ澄まされた瞳をしたダグラスが、腰を落として剣の柄に手を掛ける。何かを探すような視線が一点に止まった。
「見つけた」
口の端を上げて笑う表情は、獲物を見つけた肉食獣。何を見つけたというのだろうか。
「結界魔法の始点だ。始まりが消失すれば結果も消える」
私の疑問に答えるように、ダグラスが笑う。
「――魔法がこの世で万能などと思うな!」
大きく一歩踏み込んだダグラスは剣を抜き、何かを斬った。同時に魔法陣の赤い光が半減する。
「!」
「ふん。一撃では難しいか。ならば、消滅するまで斬るのみ!」
笑うダグラスが二度、三度と何かを斬る。その度に光が失われ、魔法陣が薄くなる。このままでは結界魔法が消えてしまうという恐怖で体が震える。公爵夫人だけでも助ける為には……。
迷いが諦めになろうとしている。諦めたくはないと指輪を嵌めた手を胸に抱き、その名を呼ぶ。
「アルテュール!」
「その名を呼んで何の意味がある? これで終わりだ」
静かに笑ったダグラスが振り下ろした剣を、消えていく魔法陣の中に現れた人影が剣で受け止めた。
「アルテュール!」
私に背を向けたまま、受けた剣を押し返したのはアルテュールに間違いなかった。
「遅くなってすまない。下がっていてくれ」
アルテュールの声は硬く、すぐに斬りかかってきたダグラスとの激しい戦いが始まった。
ぶつかり合う剣の音が響き、火花が散る。後ろに跳んで距離を取ったダグラスの剣が七色の光に包まれた。
「……それは……! 〝我が手に勝利を〟!』
アルテュールの叫びと共に何かが砕ける音がして、剣が赤い光に包まれた。おそらくは魔法を発動させたのだろう。
二人が剣を斬り結ぶと赤い光と七色の光の粒が散る。美しくて恐ろしい光景から目を逸らすことができない。
ダグラスも魔法を使えるのかと思い返してもそんな素振りは一切なかったし、何よりも空気が違い過ぎて魔法ではないように感じる。ダグラスの正体を考えても、何も知らない自分が悔しい。
「あ……」
思い出したのは七色に輝く月光の糸。〝時戻りの衣〟も七色に輝いていた。でも、糸や衣の光はどこまでも澄んでいて、ダグラスの光は闇の色を含んでいる。何かが違う。
剣も魔法もわからない。それでも、二人の技量は拮抗しているような気がする。剣戟の中、私は手を握りしめてアルテュールが勝つことを祈ることしかできない。
「王子!」
駆けてきた騎士の叫び声に二人が反応して動きを止めたのは一瞬。ダグラスの横薙ぎの剣を避け、アルテュールが剣を振り下ろすと金属が酷くぶつかる音が響く。
赤い閃光が七色の光を砕いた。
「ちっ!」
舌打ちし、歯噛みしたのはダグラス。手にした剣は折れ、刃が地面に刺さる。
「邪魔だ!」
ダグラスは背後から自分を斬ろうとした騎士に目にも止まらない速さで近づき、体当たりで倒した。
一人、二人と騎士が集まって来ていた。多勢に無勢と悟ったのかダグラスは折れた剣を騎士に投げつけて道を開く。
「イヴェット! 私は諦めない! 必ず君を取り戻す!」
そう叫んでダグラスは庭園の木々の向こうへと走り去った。
「イヴェット、大丈夫か?」
アルテュールに抱きしめられると力が抜け、涙が零れた。何か答えなければと思っても声が出ない。ダグラスに触れられたくない一心で指輪を嵌めてしまったことを謝罪したい。
「もう怖くないから大丈夫だ。館に帰ろう」
頷こうとした時、公爵夫人の声が耳に届いた。
「アルト様、お待ちください。大変な状況ではありましたが、この後の舞踏会にお出になることを進言致します」
公爵夫人の声はしっかりとしている。
「それは……」
アルテュールが迷う間に公爵夫人は私へと声を掛けた。
「イヴェット様、恐ろしい目にお会いになったのはわかります。ですが将来王族となるのなら、臣下に動揺を与えない為に平然と職務をこなすことも必要なのです。これはアルト様の為にもなります」
アルテュールの為。そう思うと震えて護られているだけでは許されないと理解できた。王族になることはなくても、助けになりたい。
「……はい。舞踏会に出ます。アルテュール、私は大丈夫」
本当は大丈夫という気持ちではない。体はまだ震えが止まらないし、立っているのもやっと。
「だが……彼がまた襲撃してこないとは限らない」
「護衛を増やしましょう。我が公爵家からも護衛を呼びます」
公爵夫人と私の説得で、アルテュールは渋々舞踏会への参加を決めた。
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