第十三話 白い織機と糸車。

 朝食を食べるための食堂へと案内されながら向かう。よく磨かれた廊下は、その木の色が過ぎ去った時を示していても不思議と古さを感じない。


 食堂には大きなテーブルが一つ。八脚の椅子が並べられている。

「朝昼夜と食事はここだ」

 通常、貴族の屋敷や別荘では、朝昼夜の食事は別の食堂で供される。


「とにかく人手がないんだ。座って待っていてくれ」

 笑った王子が、私を椅子に座らせて扉から出て行った。


 いろんなことが一度にあって、何をどう整理したらいいのかわからない。窓から見える庭を眺めていると、王子が料理が乗った木のワゴンを押して帰ってきた。


「た、大変!」

 慌てて立ち上がって迎えても、王子は座っていていいと笑うだけ。


 王子が手慣れた様子で手巾ハンカチよりも大きな長方形の布を数枚テーブルに敷く。テーブルクロスはない。

「いかに洗濯物を減らすか、考えた結果だ」

 テーブル全体を覆う布は、染みを抜き、洗って糊を掛けてアイロンを掛けるまでが一苦労。貴族の屋敷では毎回交換するものでも、ここでは人手が無いので工夫されている。


 ふと、織機に掛けたままの布を思い出した。古道具屋でも引き取らなかったあの織機は、布を外す時に気を付けないと部品が折れてしまう。……私と同じで、限界に近かった。


「後で紹介するが、これは私の乳母の特製スープだ」

 大きなスープ入れがテーブルに置かれ、香草で煮られた卵とチーズ、薄く切られたパンの籠が添えられる。


 手伝いをする間もなく、王子は柄杓で皿にスープを注ぐ。

「さあ、どうぞ。まだまだあるから、好きなだけ食べてくれ」

「あ、ありがとうございます」

 まさか王子から給仕されるとは思わなかった。自分の皿にもスープを入れ、王子は私の隣の席に座る。


 食事の祈りを終え、王子にならってスープを口にすると、柔らかく煮られた野菜や肉が喉を滑り落ちていく。あまり噛む必要のない柔らかさは、きっと私が食事を取りやすいようにと配慮してくれたのだろう。


「美味しい……」

 いろいろな野菜に肉の味が染みている。温かさが体の中から広がっていく。


「美味いだろう? 乳母の夫は元騎士なんだが、初めてこのスープを食べた時に不味いと言ったそうだ」

「そんなことはないです。とても美味しいです」


「実はその時、乳母は風邪をひいていて、飲み薬用の香草と料理の香草を間違えたらしい。恐ろしく不味かったそうだが、夫は全部食べたんだ」

「どうしてですか?」


「体調が悪い乳母にこのスープを飲ませてはいけないっていう使命感に燃えていたそうだ。それがきっかけで、二人は結婚した」

「素敵なお話ですね」

「そう、何がきっかけになるかわからない。……この卵もきっかけになるかもしれない」

 王子は笑いながら、ゆで卵の殻を剥く。香草で煮られた卵の白身は鮮やかな緑色。ナイフで切ると黄身までしっかりと火が通っている。


「はい。どうぞ」

 小さな皿に切られた卵が並べられる。

「あ、ありがとうございます」

 卵の殻まで王子に剥かせてしまった。今更ながら恐縮しつつ、卵を口にする。


「あ、美味しい」

 卵の香草煮といえば、子爵家でも侯爵家でも薬臭くて苦い味の料理と思い込んでいた私の印象が覆された。爽やかな香りと、ぴりりと刺激のある味。塩が効いている。


「私も最初食べた時には驚いた。今では王城で出される煮卵は、これと同じ味になっている」

 王子は新たな卵をむき、切らずにかじり付く。果物を食べているように見えて可笑しい。


 笑いながら食事を終えると、王子は手早くワゴンへ皿を載せていく。私が手伝おうとしても制された。

「この館にいる時は、私は普通の男だ。身分の上下もここでは関係ない」

「せ、せめて、ついて行きます」

 邪魔になると思っても、王子一人に片付けさせることはできない。二人で一緒にワゴンを押しながら、厨房へと入る。


『あ、ありがとー! そこに置いといて!』

 忙しく鍋をかき混ぜている中年女性が、こちらも見ずにフリーレル語で叫ぶ。フリーレル語は我が国の言語と基本は同じ。簡単な言葉なら理解できる。女性はワンピースにエプロンを付け、茶色の髪を布で束ねている。


『ノーマ、今は忙しいかな?』

『は? 見ればわかるでしょ! あ。えーっと、悪いけど挨拶は後にしてもらえる? この料理は手を止められないのよ』

 ノーマと呼ばれた女性の手は止まらない。ちらりと私を見て、笑顔が返って来た。


「だ、そうだ。先に他の部屋を案内しよう」

 苦笑する王子に促され、私は厨房を出た。


      ◆


 玄関ホールは吹き抜けになっていて天井が高く、それなりに広い。二階へ上がる階段は美しい彫刻が施されていて、掃除も行き届いている。


 談話室や図書室、奥には本来の主人の執務室と主寝室。どの部屋も使っていないので家具には布が掛けられていた。


「さて、ここからは問題の三階だ。開かずの部屋が並んでいる」

 三階へ続くのは美しく彫刻された木で出来た螺旋階段。王子が階段の一段目に足を掛けると、みしりと不穏な音がした。


「……一度に二人が登って大丈夫なのでしょうか」

「……そうだな。まずは私が先に」

 みしみしと音を立てながら、王子が階段を登っていく。三階に着いたと声があり、私が登る。


「あら?」

 何の音もしない。試しに両脚で乗ってみても、みしりとも言わない。これなら大丈夫と螺旋階段を駆け上る。


「つ、着きました!」

 段数は少なくても久しぶりに駆けたからなのか、心臓がどきどきと音を立てている。無理をしたと思っても全く不快な気分ではなく、達成感が強い。


「そんなに急がなくても、部屋は逃げないぞ」

 そう言って王子が笑う。


 螺旋階段に近い部屋から開けていく。魔法灯の光もなく、王子が手のひらに魔法の光を載せて部屋の中を照らす。買ってから開けたことのない部屋は、蜘蛛の巣だらけ。


 家具に掛けられた布を持つと、びりりと音を立てて破けた。

「これは……随分劣化してしまっているな」

 布の下から現れた椅子の座面に張られた布は破れ、木の部分には裂け目が入っている。床に敷かれた絨毯も歩いただけで粉々になっていく。


「これは駄目だ。口を覆う布が要る」

 袖で口を覆い、舞い始めた埃から逃げて扉の外に出た。


「他も同じだろうが、一通り軽く見ておくか」

 王子が次の扉を開けるとベッドが置かれた寝室だった。こちらも劣化が酷い。


 最後の部屋を開けると、そこは全く異なっていた。

「これは……」

 夜空の色に塗られ、星と白い月が描かれた壁と床には、埃も蜘蛛の巣も何もない。天窓には赤と緑の月を模した色ガラスがはめ込まれていて、その光を部屋に映している。


 部屋の中央には、白い織機と足踏みの糸車。

「何故、こんなものが……」

 王子が用意したものではないらしい。


「これは何で出来ているんだ? 何かの骨か? 木や石ではなさそうだ」

 王子が手で触れて確かめる。私もそっと糸車を触ると、じわりとした温かさ。何故か懐かしさを感じる。


「……あの……この織機と糸車を使ってもいいでしょうか?」

「ああ。それは構わない。ただ、何かいわくがないかどうか調べてからにして欲しい。少なくとも十年以上放置していたのに、この部屋だけ綺麗というのは異常だ」


 夜の景色に包まれた白い織機と糸車は、出来たばかりのように輝いていた。

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