第46話 鉱山長屋で民情探索





 翌26日辰の刻。

 志乃は山吹大夫とふたりでの探索を再開した。


「別に急ぐ旅でもなし。喜んでご一緒いたそう」昨夜、使われなくなった古い精錬小屋で、古藁に包まれての初の寝物語に、山吹大夫は自ら申し出てくれていた。


 早暁の銀山通りは夜勤明けと早番の鉱夫の入れ替えで相当にごった返していた。


「お疲れさまでございます。いかがでしたか? 昨晩の鉱山稼ぎは」

 汗と粉塵塗れで間歩から出て来た若い鉱夫に、志乃は気さくに声をかけた。


 頭から墨をかぶったように真っ黒な顔に光る目だけをギロリと動かした鉱夫は、うさんくさげなようすで、志乃を見、山吹大夫を見、ついでに猿の三吉を見た。


「掘れば掘るほどお宝がザクザク出て来て、なんともかんとも応えられませんでしょうねえ、手に職のあるみなさんは。まことにうらやましゅうございますよ」


 怯まず志乃がもうひと押しすると、鉱夫はニッと白い歯を見せた。


「どこの姐さんか知らねえがよう、てめえ自身が土竜もぐらになって間歩を見て来たような如何様いかさまを、よくもまあヌケヌケとぬかしてくれるじゃあねえかい、え?」


「あいな。わては、その土竜の女房でございまする」

 山吹大夫並みの芝居がかった声音で、志乃が調子を合わせると、

「こいつはおもしれえや。で、なんだい、おいらに訊きてえことがあるんだろ?」

 若い鉱夫は話が早い。


「いえね、こちらの銀山でのお稼ぎ具合は、いかほどかと思いましてね」

「ははぁん、姐さんの兄貴か縁戚か、それともコレかは知らぬが、目下、流れ者を志願中というわけだ」鉱夫は汚れた指を1本立てながら、ひとり合点してくれた。


「その、流れ者とは、なんのことでございますか?」

「へん、いまさらオボコぶるのはよしなよ、知っているんだろう? なにもかも。そうさ、鉱夫なんざぁ、たいていが流れ者よ。やれ銀だの、やれ金だのと聞けば、夏の夜の雲霞うんかのように全国各地から続々と群れ集まって来やがる。だから、どこの鉱夫長屋も烏合の衆の寄り合い所帯さ」鉱夫はペッとばかりに唾を吐き捨てた。


「お見通しのとおり、わたくしの、そのぅ、いささか訳ありがですね、鉱山でひと稼ぎしたいと申しましてね」媚びを含ませた志乃の目を、鉱夫は、つと逸らせた。


「姐さん、わるいことは言わねえよ。ほかはいざ知らず、ここの鉱山やまだけはよしたほうがいい。正直な話、ここに入ったら最後、命がいくつあっても足りねえぜ」

「ほう。それはまた、どういうわけで?」


「すべての元凶は、ここ独自の灰吹法はいふきほうにあるのさ。鉛の毒をたっぷり吸いこんだ肺は、いいとこ10年と保ちやしねえ。ここだけの話、30まで生き延びられれば、尾頭つきの鯛と赤飯で長寿の祝いをしてもらうぐれえだからよ」


 若い鉱夫の慨嘆はさらにつづく。

「だからよぅ、ここの鉱夫長屋で暮らすのは、大方が独り者、よくても夫婦者で、ふつうの世間のように子連れの家族なんざあ、まず見当たらねえっちゅう寸法さ」


 ――えっ? ならば、昨日の辻に集まっていた子ども衆は?


 疑問をもったのは志乃だけらしい。

 山吹大夫は素知らぬ顔をしている。


 若い鉱夫はボソッとつけ加えた。

「もっとも、劣悪な環境で生まれ損ねた子どもは、数えきれぬほどおるがよう」


 ――す、すると、昨日のあれは、まさしく白昼夢だったのだ。


 となると、すべてを承知らしい山吹大夫までが、なにやら妖しく思われて来る。


 ――まさかとは思うけど、石見銀山そのものが幻ということはないでしょうね。


 思わず知らず身構えた志乃に、若い鉱夫がさらに補足してくれた。

「その恐ろしい灰吹法から救ってくださったのが、先のお奉行・石見守さまじゃ。鉛の代わりに水銀を遣う合金法で、どれほどの鉱夫が命を長らえられたか。だが、それも、石見守さまがああいうことになられてから、また元の木阿弥じゃがな」


 意外なところで大久保長安の名前が転がり出た。

 志乃は素早く心の手帳に記録しておく。


「貴重なお話をありがとうございました。鉱山稼ぎは、はたから見るほど甘いものではないと身内にも言って聞かせます。どうぞ、しっかりとお稼ぎくださいませ」

「姐さんも達者でな。命があったら、また会おうぜ」


 若い鉱夫が立ち去ると、ようやく山吹大夫が口を開いた。


「いやはや、志乃どのの訊き出し上手には、語りを生業とする拙者、ほとほと驚愕いたし申した。なにげない話題で相手を油断させておいて、いざここというところで鋭く突っ込む。話の持って行きようの巧みさは、まさに天賦の才でござるな」

「まあ、うれしい」

 志乃は素直に喜んで山吹大夫に抱きつき、猿の三吉にキッとにらまれた。



 人間ふたりと猿1匹。

 山吹大夫をめぐって三角関係にある珍妙な一行が、とある長屋の井戸端に差しかかると、30年輩の主婦がふたり、揃って分厚い尻を金盥かなだらいに屈みこませ、太い腕で洗濯をしていた。志乃に目顔で促され、今度は山吹大夫が話しかける番である。


「お、おはようございます。朝からご精が出ますな。いやいや、まことにけっこうなことでござる……で、ご主人は間歩稼ぎですかな?」


 同時にふり向いた女は、抜きん出て男前な山吹大夫にポッと頬を上気させた。

 正直なところ、話術が商売の猿楽師にしては、流暢な話ぶりとは言いかねる。


 ――が、まあ、ギリギリよしとするか。


 ときが経つごとに恋しさが増す山吹大夫であっても、諏訪巫の点は辛口である。


 そんな志乃の観察をよそに、

「いかがですかな? 長屋暮らしは」

山吹大夫はボソリと問いを発した。


 ――あらまあ、なんともぶっきら棒な……。


 もう少し愛想よく訊けないものかしら。

 だが、志乃の心配は杞憂だったらしい。

 とつぜんの色男の登場に舞い上がった女たちは、われ先に答えようとしている。


「おかげさまで、はぁ、いたって安気な暮らしをしておりますだに。これと言って不満の挙げようもねえくれえに、それはもう安気で安気で、こんねに肥えて……」

「いえね、そう言っちゃあなんだけんどよう、うちの父ちゃんはこの鉱山やまで一番の稼ぎ頭だもんでねぇ。まあ、その、女房のわしも鼻が高えんですわ」


 ――あれあれ、こんなところで幸せ自慢比べ?


 苦笑しながら志乃は、あえて意地悪な質問を投げかけてみた。


「でも、いまはいいとしても、鉱脈は底なしというわけではなし、いつかは尽きるときが来ますよね。そうなった場合、身の振り方をいかがなさるおつもりですか。まさか、すたれ山と運命を共にするわけにもまいりませんでしょうしねぇ」


 果たして、ふたりの主婦は、


 ――なに、この女?


 そろって三白眼を尖らせた。

 だいたいからして、こんな男前と一緒にいること自体が癪にさわるのだろう。


「そのときは、そのときさ。そんな先のことまで心配しておられるもんかねえ」


 ひとりが剣呑に答えると、片方もピシャッと饂飩粉うどんこでも叩きつけるように、「余計なお世話だよ。お宝の山はここばかりじゃなし。そっちへ移ればいいだけの話だろうが」山師の妻の地金を剥き出しにした。お里が知れるとはこのことだろう。


「さようごもっとも。これは朝からとんだご無礼をば……」

 弱気な山吹大夫は、慌てふためいて志乃の袖を引いたが、

「まあねえ、せいぜい仲良くお暮らしなさいまし、稼ぎ頭の愛しい旦那さま方と」

 志乃は皮肉いっぱいの言葉を、サラッとお見舞いしてやった。


 気を呑まれた女たちが、しょっぱそうな顔を見合わせたところで、ものはついでと、訊いてみることにした。

「ときに、みなさんの幸せをもたらせてくれた先のご奉行さまをご存知ですか?」


 志乃が見こんだとおり、ふたりは発情期の牝猪めすいのししのように鼻息を荒くした。

「わしら下々には雲の上のお人ゆえ、会ったことも、見たこともねえだよ」

「あんだよぉ。お上がだれであろうが、わしらには知ったこっちゃあないからね。鉱山の男は、てめえの腕1本で稼ぐんだ。ご奉行であれ、だれであれ、他人さまの世話になんかなるもんかね」


 上では民のためを思い、あれこれ頭を捻って仕置きを工夫する。

 だが、下々は自分の力ひとつで世渡りをしていると思っている。

 古今東西、天下仕置きから地方仕置きにまで共通の実態だろう。


「では、そろそろ、おいとまいたしましょうか」

 志乃は山吹大夫を促して歩き出した。


 生来、周囲を楽しませるように生まれついた猿楽師・大久保長安が、鉱夫と家族を思って、健康を害さない精錬法などの仕置きの試行錯誤を重ねようとも、そんなことは上に立つ者の当たり前の責務として、顧みられることもなかったのだ……。


「しかし、なんであるな。亡き方の事績を訪ねまわるのは、いささかうしろめたい心地がせぬでもないな」しんみりと告げる山吹大夫に、「死人に口なし、弁解無用は公正ではありませんしねぇ。果たして探索の可否はどうか、草葉のかげで石見守さまはどのようにお感じでしょうねえ」しおらしく応じながら、志乃はふと、


 ――山吹大夫にとっての大久保長安は、猿楽師としての養父も同然だった。


 という重要な事実を思い返していた。

 なれば、赤の他人の志乃より、ずっと思い入れが深くて当然だろう。

 しかし、いまはそのことに触れるべき時期ではないような気がした。


 昨夜ひと晩中、小屋の外で監視役を担わされていた猿の三吉は大いに不貞腐れ、いつもに増して山吹大夫の肩にしがみついて、高い所から志乃を見下ろしては、


 ――イイィッ!


 黄色い歯を剥き出して威嚇しようとする。

 山吹大夫が見ていないすきに、志乃もあっかんべえを返してやった。


 それから夕刻にかけて、さらにいく人かの鉱夫や主婦たちに、鉱山稼ぎの実態を訊いてまわったが、だれの返答も大同小異で、思わしい成果は得られなかった。


 昨夜につぐ今宵ではあるが、猿の三吉にはふたたび見張り番に就いてもらうことにして、志乃は山吹大夫とともに崩れかけた精錬小屋でもう1泊することにした。


「早くも住み慣れちまって、常宿のような塩梅あんばいになって来たねぇ、おまえさん」

「おおよ。だが、くれぐれも用心に越したことはねえぞ。どこぞの覗き趣味野郎が板壁の節穴から、ことの一部始終をご拝謁っちゅうこともあり得るからのう」

「いやですよ、気味のわるい。もっとも見たいやからには見せてやってもいいですけどね、減るもんじゃあなし。ふふふ。そんなことより、早く休みましょうよ」

 若いふたりは堅く抱き合って、湿気しけた匂いのする古藁にもぐりこんだ。


 ――くすぐったいよ、おまえさん。ワアワア、キャアキャア。


 小屋の嬌声にピリピリ神経を尖らせる三吉は、今夜もまた寝不足になりそうだ。

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