第44話 猿楽師・山吹大夫との再会






 長旅の無事を感謝して出雲大社を詣でた志乃は、3月25日午の刻、ついに石見銀山へ到着した。


 都から遠い中国山脈の山中で大勢の鉱夫が働いている光景に、まず驚かされた。

 上半身裸にふんどしの荒々しい男たちに、赤い腰巻をたくし上げた女たちのすがたも混じっている。


 働き盛りの大久保長安が仕置きの辣腕をふるった最盛期には、実に20万人もの人間が石見銀山で働いていたという。あろうことか江戸の人口の2割にも当たる。


 辺鄙としか形容のしようがない山中に、全国各地からやって来た大勢の人間が、蜜にたかる蟻のように群れ集うとは、欲得の象徴たる銀の威力をまざまざと見せつけられる思いだった。


 ――なんとまあ、たくましい。


 志乃は呆れ、感心し、唸った。


 とりわけ、うわさに聞いていた釜屋間歩かまやまぶの盛況ぶりはものすごかった。

 古来、野獣しか棲まなかった深山に忽然と銀加工の大工場が出現し、孔から掘り出した銀が軽籠もっこで運び出されては、水銀流しと呼ばれる方法で精錬されていた。


「ほい、退いた退いた。そんな邪魔くせえところに突っ立ってんじゃねえよ」

「こちとら一刻を争う日銭稼ぎなんだからな、婀娜あだっぽい姐さんよぉ」

「物見遊山の気楽な旅の衆は、ちょっくら、そっちへすっこんどいとくれよ」


 突き飛ばさんばかりの怒号を浴びせられ、志乃は慌てて横に飛び退いた。

 それにしても凄まじい喧騒である。毎日毎日こんな勢いで汲み上げつづけ、地中の銀が底を突くことはないのだろうか。素人ながら、志乃は心配になって来る。


 盤石な天下取りを目論む家康の飽くなき欲望に応えようと「やれ掘れそれ掘れ」大増産の指揮を執った大久保長安は、いささかの疑念も抱かなかったのだろうか。


 いや、そんなはずはない。生野銀山に次ぐ産出量を誇る因幡いなば銀山は、すでに底まで掘り尽くされたと言われていたし、地中の鉱脈が無尽蔵ではない事実は、いまさっき着いたばかりのわたくしの目にもありありと明白なのだから……。感懐に駆られた志乃は、伝説の男と言われる安原伝兵衛に思いをめぐらせていた。


 話はこうである。

 あるとき、備中は早島生まれと名乗る山師が、いまをときめく銀山奉行の大久保長安の前に罷り出て来た。


「手前、ご当地の清水寺の観音菩薩から『銀の釜』を賜る霊夢を授かりました」

「なに、まことか? それはまた珍妙な。実はな、わしも先夜まったく同様な瑞夢を見たのじゃよ。ふうむ、偶然とは思えぬ、これはなにかのお告げにちがいない」


 即応した大久保長安は、見るからに胡散臭げな山師に多額の開発資金を授けた。

 この無謀とも思える勇断が、やがては、驚異的な埋蔵量を誇る釜屋間歩の発見につながったというのだから、運のいい男というのは、どこまでも幸運なのか。


 高名を聞いた家康から直々にお呼びがかかったとき、欣喜雀躍した安原伝兵衛は一世一代の晴れ舞台をド派手な演出で飾り、渋好みの駿府の住人の度肝を抜いた。

 

 すなわち、1間四面の州浜州すはましま(海辺の風景を模し、島をかたどった台の上に松竹梅、鶴亀、じょううばなどを配した祝儀の飾りもの)の上に、自ら掘り上げた銀を蓬莱状(富士山型)に積み上げ、小奇麗に着飾らせた人夫に俥で引かせて献上したというのだから、まさに鬼面人を嚇す渡世人の面目躍如たるものがあったのだろう。


 稀代の山師の目論みどおり、目も眩むような仕掛けの美々しさと、大仰な礼讃にいたく感激した家康は、大手柄の褒美として、山師風情には不相応にして滑稽な、


 ――備中守。


 の官名と、自ら着用の辻ケ花染丁字文道服の羽織と扇を下賜かししたという。


 ――やれやれ、どなたさまもまあ、お派手な仕儀がお好きのようで……。


 いずれ劣らぬ2匹の狐狸の対面として、さぞや見ものだったにちがいない。

 まさに噴飯ものの場面を脳裡に思い描いてみた志乃は、欲しくもない水飴を無理やり呑まされたように眉をしかめながら、銀山の中央の集落へ歩を進めて行った。


 ――さて、どのあたりから探索しようか。


 歩きながら思案していると、パッと花が咲いたように華やかな辻に出ていた。


 ――あっ、山吹大夫さま!


 諦めていた慕わしい男との再会に、志乃は喜びのあまり1尺も跳び上がった。

 赤いちゃんちゃんこの猿の三吉が、大夫の肩の上から目ざとく志乃を見つけ、


 ――すわ、最強の宿敵登場!


 とばかりに、黄色い歯を剥いてみせるのまで、涙が出るほどなつかしかった。

 

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