第43話 駿府から石見銀山へ
慶長16年3月16日(1610年4月28日)寅の刻。
志乃は駿府城下の木賃宿を出立した。
クリス教徒らの晒し首や、大久保長安の
「長の道中、くれぐれも気をつけてお行きなされよ」
「ありがとうございます。本当にお世話になりました」
「けんど、無闇に案じることもないずら。へえ長いことこの商売をしているけど、お客さんのように心根のよき娘御には、まず出会った記憶もないっけ、きっと神仏がご加護くださるずらよ」
情味あふれる言葉に勇気づけられた志乃は、一路、石見へと足を急がせた。
関ヶ原合戦で勝利した家康は、それまで豊臣家のものだった
――大和代官、石見銀山・佐渡金山接収役、甲斐奉行、石見奉行、美濃代官。
などの要職を相次いで兼任させた。
それから3年後、家康が征夷大将軍に就任すると、大久保長安の役職にさらに、信濃川中島藩主・松平忠輝(家康の6男)附家老、佐渡奉行、所務奉行(のち勘定奉行)、年寄(のち老中)、伊豆奉行も加わった……こうしてあらためて列挙してみると、華々しい名誉職を、気に入りの長安ひとりに独占させた感すらある。
「ひとつぐらい当方に廻してくれても罰は当たるまいに」
「まったくでござる。なにもかも独り占めとは、いくらなんでも……」
「わしは、いい。わしはな、つつがなく渡世ができさえすれば、それでよいのだ。だが、妻子はそうはゆかぬ。家臣どもにも肩身の狭いをしておるのが手に取るようにわかる。わしにはそれが辛うてならぬのじゃ」
「拙者も同じく、世間の冷笑に耐えておる家族の胸中を慮ると、大御所さまに取り入る術を持たぬ不甲斐ないわが身が、まことにもって情けなくてなりませぬ」
あれよあれよと言う間に天上はるか高みに駆け上った大久保長安の面白おかしい独り天下を、指を咥えて見ているしかなかった諸大名の無念はいかばかりであったろう。
他人事ながら気が揉めてならない志乃には、天下人と呼ばれる人物にしては粗雑に過ぎる家康の采配のありようが、なんとも不可思議に思われてならなかった。
幼い頃から人質に出され、俗に石が混じると言われる他人の飯で育ち、人知れず枕を濡らす少年期を送っただけ、人情の機微を知り尽くしているはずなのに……。
――僭越ながら……
志乃はひそかに思ってみる。
自分が家康の立場だったら、著しく偏った仕置きは行わないだろう。たとえ家臣のひとりが抜きん出て秀でており、親友のように気心が通じる仲だったにしても、しきりに重用に逸りたがるおのれを抑えこみ、できるだけ凸凹の目立たない人事を心がけるだろう。
――それが上に立つ人間の器量というものだ。
辛辣に評する一方、つぎのようにも推察してみる。
他者のありようは清流のように透かし見えても、いざ自分のこととなると、墨汁を流しこんだように見えなくなるのが、すべての人間の本質なのかもしれない。
松本から八王子へ、さらに甲斐へ、駿府へと、内陸の近間をたどったこれまでの行程とは異なり、日本列島を南北に縦断して鯨海(日本海)側へ抜けるとなると、いかほどの日にちを要するのか見当もつかない。
彼方で光り輝く銀山を脳裡に思い描きつつ、志乃は黙々とひとり旅をつづけた。
焼津、磐田、浜松、豊橋、岡崎、安城、名古屋と大東海(太平洋)沿いを進み、京都から鯨海へ抜け、宮津、京丹後、豊岡と進むと、砂丘で有名な鳥取だった。
琴裏町では大山の雄姿を眺め、日吉津、米子、安木、松江に出ると、生国信濃の諏訪湖よりも広大な面積の
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