第13話 宿老・秋山治助のご登場
同日酉の刻。
渡辺金内筆頭家老と伴三左衛門、それぞれの取り巻き連が広間に招集された。
さすがの2代目城主・康長も、今度ばかりは「よきに計らえ」では済まされないと覚悟したものと見え、たとえれば鬼胡桃のように渋い顔を上座に据えている。
廊下の暗がりに気配を溶けこませた志乃が見やると、特別に臨席を許された山吹大夫のとなりに猿の三吉が座り、さもしたり顔で評定のなりゆきを見守っている。
とそこへ、いかにも危なっかしい足取りで、3年前に引退した宿老・秋山治助が案内されて来た。「人前で介添えなどするでないわ」付き添いの若侍の手を邪険に振り払ったご隠居は、威儀を正して座ろうとしたとたん仰向けに引っくり返った。
けたたましい物音に仰天してそちらの方を振り向きざま、赤い歯茎を剥き出しにして、いまにも飛びかかろうと構える三吉を、山吹大夫がしきりになだめている。
――やれやれ、この爺さんに仲介ができるのだろうか。
志乃は思わず大久保長安の眼鏡ちがいを疑った。
だが、元筆頭家老はやはり、腐っても鯛だった。
「うおっほん。おのおの方、本日はまことにもってご苦労である。わしが仄聞したところによれば、渡辺どのも伴どのも、双方ともに御家の御為を思えばこそ、互いに一歩も譲れぬ仕儀に相なったものと存ずる。両名ともにまさに武士の鑑である」
支えられて無事に着座し直しての第一声は、なかなかどうして堂に入っている。
「秋山さまにまでご足労をおかけいたしまして、まことに申し訳ございませぬ」
出鼻を挫かれた渡辺家老が丁重に詫びれば、伴三左衛門も畏まって平伏した。
満足げに首肯する……かに見えた秋山宿老はしかし、気短な年寄りらしい堪え性のなさで、評定の途中をすべてすっ飛ばすと、いきなり裁断を下しにかかった。
「こたびの一件はあらためて考えてみるまでもないことである。すなわち、伴どのに退いてもらうしかあるまい。むかしから、年寄りをおろそかにすると地獄へ落ちると相場が決まっておる。近頃の若者にしては、いたって勇猛果敢にして思慮深いと聞き及ぶ伴どのにしても、あえて閻魔大王に大目玉を食らいたくはなかろうて」
双方の言い分を聞こうともせずに、頭から負けを決めつけられた伴三左衛門は、口惜しさに歯ぎしりしながら渡辺老家老を睨みつけると、猛然と反撃を試みた。
「大先輩に対してまことにご無礼千万とは存じますが、しかし、さような通り一遍のご采配では、われら若衆、とうてい納得しかねます。拙者の側に非ありと仰せのその正当な理由を、わが朋輩どもの面前で、つまびらかにお聞かせくださいませ」
怒りに目を血走らせる伴三左衛門を、さも小うるさげに見やった秋山宿老は、「そなたら若衆がうわさしておるとおり、棺桶に片足を突っ込んだも同然のわしに屁理屈など通用せぬわ。今日明日にも身罷るやも知れぬ年寄りに、ここはひとつ花を持たせてやる、それが人の道じゃと、わしはさように申しておるのじゃ。ほかに理由など、ないわっ!」皺だらけの痩せ首を赤黒く染め、ビシッと撥ねつけた。
「なれど、さように悠長に構えているあいだにも、世の中は恐ろしい勢いで進んでおります。当家ばかりが遅れをとるようなことがあっては取り返しがつきませぬ」
背後に控える上野弥兵衛らの手前もあろう、伴三左衛門は懸命に食い下がった。
かたや、若いころから極めつきの短気で知られていた秋山宿老は、老いてなおいっそうの癇癪もちになったものと見える。
「罰当たりめ! だれに向かって偉そうな説教をたれおるかっ! 草葉の陰で先代さまをはじめ、歴代のご先祖さま方がこぞって嘆いておられるのがわからぬのか。人としての長幼の序もわきまえぬ輩なんぞ
――バリバリバリッ!
とばかりに雷を落とす老いの一徹の大音声にびくつき、思わず腰を浮かしかけた筆頭が城主の康長自身だったという見苦しい場面は、いかにも情けなかった。
平然たる風を装いながら、内心では、
――若造どもめ、思い知ったか。
喜悦を隠しきれない渡辺家老派に対し、揃って苦虫を嚙みつぶす伴三左衛門派。
興奮の絶頂の人いきれでムンムンとする広間は、明暗真っ二つに分かれていた。
とそのとき、思いどおりにならぬ悔しさを
――キエェィーッ!
奇声を発した三吉は、歯を剥き出しにして上野弥兵衛に跳びかかってゆく。不意を突かれた上野弥兵衛は横ざまに倒れ、その拍子に袂から黒い物体が転がり出た。
――なに、手裏剣?
驚愕の視線がいっせいに上野弥兵衛に注がれた。
あろうことか、伴三左衛門もそのひとりだった。
――チッ!
素早く体勢を立て直した弥兵衛は、忍者走りを隠そうともせずに城外へ消えた。
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