第五章 後場ザラ場

第109話 破綻の可能性

      

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「何か踏み切る理由でもあったのかな?」


 小夜が言った。

 場所は零央の自宅の客間だった。日曜日の午後、制服姿の小夜はミーティングデスクに座っていた。隣の椅子には学校のカバンが置かれ、背には黒色をしたナイロン製の厚手のブルゾンが掛かっていた。季節は移り変わり、十一月になっていた。ガラスでできた壁面には十分な断熱が施されており、空調によって部屋の空気は暖かかったが、奥まった場所を選んだのは零央の配慮だった。ガラスの向こうには晴れ渡った空と町並みが広がっている。


「落ち方が急だったので、拾ってみました」


 対面にいる零央は落ち着いた様子で答えた。

 零央はブラックグレーの細身のセーターを着ていた。Vネックの襟と裾部分に細い赤と白のラインが入っている。下は薄手のスラックスだ。

 零央が狙いを定めた銘柄は九月に月足で短い陰線を描いていた。日足を確認し続けると十月は下落基調だった。月の終わりが近づくと急激に値を落とし始めたので、大幅な下落をした翌日、買いを入れていた。最終的に、その日を境に上昇に転じている。


「下げて買ってるから問題ないね。でもさ、これが下げの途中だったらどうすんの?」


「ナンピンするだけです」


「そ。考え済みならいいや」


 言った後、小夜は手前に置いてあったカップを取り上げ、コーヒーを飲んだ。両手を使っている。

 ソーサーの横にあるのは本日のデザート、ホットバナナカスタードだった。温めたカスタードクリームの上に輪切りのバナナが浮いている。バナナ自体もホットな温かくして食べるデザートだった。上には粉糖がかかっていて甘い仕上がりになっている。食べかけなのは途中で小夜が銘柄のことを口にしたためだった。


「冷めてしまいますから、先に召し上がってください」


「ん。あんがと」


 カップを戻すと小夜はデザートの始末に取りかかった。食べ終えると言った。


「倒れたら、どうする?」


「倒れる? この企業が破綻したら、ということですか?」


 無言で小夜が頷いた。


「何か危険な兆候でも?」


 零央が問うと小夜は得意げに笑った。


「そこんとこを調べるのが投資する人間の役目だよね?」


「失礼しました」


 零央は苦笑した。淀みの無い動作で近くに積んであった資料の中から目当ての品を抜き出した。企業サイトにあるIR情報から取り出した有価証券報告書とアニュアルレポートだった。

 ステイプラーの針で留めてある資料をめくり、小夜の前に置くと零央は掻い摘んで説明した。通信事業の特性により巨額の設備投資が必要であること。費用は社債の発行などによって賄われるものの相応の金利負担が発生すること。しかしながら、投資の金額は企業規模に見合っており、過分なものではないこと。新規に導入するサービスの浸透の度合いに応じ、相応の利益が見込まれることなどだった。


 零央は投資した企業については楽観視していた。公表されている数字を緻密に裏付けられるほどの技術的な知識を零央は持ち合わせていなかった。しかし、過去の設備投資に関わる数字は遡って確認しており、データ量の増大や通信の安定化に対処するといった点を考慮すると発表された数字にそれほどの違和感はなかった。妥当な数字と零央は見ていた。

 また、零央の注目した企業が日本を代表する通信会社であることも大きかった。通信インフラを手がけるには巨額の投資が不可欠だ。加えて、免許の問題もある。そのために大きなプレイヤーは結果として限られる。設備投資のコストを下回るような激甚とも言える競争でも起きない限り安定的な収益が約束されている。零央の見立てでは現時点の日本でそのような状態は発生していなかった。また、顧客の数を活かして通信事業以外での収益も増やしている。そうした状況は、小夜の仮定してみせた事態が発生する可能性の低さを意味した。無論、起こり得ないわけではない。だが、破綻の可能性に慄きながら資金を投じねばならない状態でないのも確かだった。

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