第89話 投資家は悪人
「違います! いつだったか、投資家はみんな意地が悪い、みたいなことをおっしゃっていたような気がしたので…」
「ああ。そんな話もしたっけ? 顔合わせた最初の頃かな?」
「おそらく…」
明確に零央も覚えているわけではなかった。言葉が印象に残っていて、同じ言葉に触発されて思い出したに過ぎない。どういう意味なのか尋ね損ねたことも印象を深くしていた。
「そりゃ、あれだな。人が悪いって言いたかったんだな、きっと」
「人が悪い?」
「そ。悪人とも言うかな」
「???」
説明された零央は余計に分からなくなった。
「悪人って言ってもさ、悪者とか犯罪者って意味じゃないよ? 字面の通り人が悪い、別の言い方をすると善人なんかじゃないよねってことが言いたいわけ。だって、そうだろ? 人が安く売った物を買って、それ以上に高く売ろうってんだから。善人にゃ、できないよ。この前あんたがやったやり方なんか分かりやすいじゃん。値打ちのある物をそれ以下で買って高く売りさばいた」
「…それは、市場でそういう値がついていただけで…」
「仮にそうだとしても!」
笑顔で迫る小夜に零央は気圧された。
「ま、反論したくなるのも分かるけどね。悪人なんて言われていい気持ちするやつぁいないよね。でも、別に気にしなくてもいいじゃん? そんな、絵に描いたような善人なんて世の中にはいないって」
「はあ」
曖昧な声を返すと小夜の話は続いた。
「そこんとこは、じっちゃんも自覚あったな。おれは決していい人なんかじゃないな、って自分で言ってたもん」
「小夜さんもですか?」
「そうだよ?」
気楽に返され、零央は呆気に取られた。自分から悪人だと名乗る人物と生まれて初めて出会っていた。
「ですが、株には様々な買い方があって、小夜さんのように企業の内容を評価して買う人もいますよね?」
「まあね。だけど、そうした場合だってさ、自己の利益が根底にあるわけじゃん? 少なくとも善人とは言えないと思うんだけどなあ。あっ、でさ、それでいいわけよ。投資ってのはそういうもんだから。別に責めてるわけじゃない。卑下もしてないしね」
「確かに、自己の利益を追求するものではありますね」
「だろ? だからさ、あとはバランスなんだよ。利益の追求と言っても、何やってもいいわけじゃないからさ、ルールは守らないと。四角四面も困るけど」
笑んで頷き、零央が同意を示すと小夜が続けた。
「じっちゃんが言ってたっけ―って、こればっかでゴメンね。じっちゃん、あたしにとっては祖父であると同時に師匠なんでね」
「構いませんよ。よく分かります」
零央は笑みを絶やさなかった。何かと良弦の話を持ち出す小夜が零央にはほほえましかった。良弦という存在をどれだけ敬愛していたか、そして今も慕っているかが伝わってくる。零央自身にとっても良弦の言葉や考え方に触れる機会は好ましかった。小夜という相場師を育て上げ、あの父親にも認められるほどの人物を可能な限り知りたいと思っていた。
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