第50話 用具

 引き続き方眼紙に視線を注いでいた零央は唐突に気づいた。


 余白が足らない!


 零央の買った方眼紙は縦に280までしか升目が刻まれていなかった。このまま上昇が続けばチャートが描けなくなるのは目に見えていた。慌てて大きな品をネットで発注した。発注しながら後悔した。


 …読んだ本には大きな用紙を使うように書かれていたのに。


 小さな用紙にすれば扱いが簡単だし、長い期間に渡って記入できると勝手に判断していた。自己流の悪い部分が出てしまっていた。株価の上昇を望みながら、上昇した時の状況が想像できていなかった。


 …だから、ダメなんだ。


 小夜の言葉や本に書かれている内容に忠実であろうと零央は心に決めた。


 翌日届いた方眼紙はB1サイズだった。これなら千円まで書ける。零央は大きな方眼紙にチャートを描き直した。土曜なので時間はあった。


 …これは、保管が大変だな。


 描いた後で思った。何しろ大きい。チャートを描く時もパソコンデスクの広さでは収まらず苦労した。思案した挙句、綴じ紐と千枚通し、予備の方眼紙を追加で注文した。外へ出る時間も惜しかった。

 頼み終えた後、零央の口元にはふと笑みが浮かんでいた。子どもの頃にやった夏休みの研究課題を思い出したからだ。あの時も千枚通しで穴を開け、表紙をつけた上で学校に提出した。同じ作業を大学生になってからやることになるとは思っていなかった。千枚通しを手にする機会など久しくなかった。


 引き続いて零央はネットでの買い物を続けた。作業環境を整えるためだ。

 最初に行なったのは製図台の発注だった。本来の用途は設計だが、構いはしない。方眼紙を広げて余裕で置ける仕組みが必要だった。選んだのは、ブナの無垢材でできた天板を鉄の脚が支えるシンプルな品だった。複雑な作業をするわけではないので基本的な機能があればよかった。専用の椅子も買った。

 次に物色したのは棚だった。用紙を折った上で寝かせて置ける棚が必要だった。こちらはさらに機能重視となり、ボルトとナットで組み立てる金属製の棚を購入した。無骨でありながら、一番使いやすそうだった。チャートを描いた紙が増えるのは確実だった。


 頼んだ品は日を置かずに届いた。慣れない組み立てや部屋の模様替えといった力仕事に苦労した週にはさらなる上昇が待っていた。

 初日からストップ高だった。三日連続でストップ高となり、四日目の木曜には制限が外れて大幅に上がった。金曜には少し沈静化し、ストップ高とまではいかなかった。それでも上げ幅は大きかった。終値は七百九円だった。


 …どうする?


 零央は深く考え込んだ。迷いの深さは眉間に皺を呼んだ。

 チャートと資料に目を行き来させながら、かなりの時間迷った。投資したペイ・ラックの直近の純資産は七百五十六円だった。終値は七百九円なので、今回の上昇が資産を再評価したものであるなら、ほぼ目標を達成している。理論に従えば上昇は終盤だった。一方で、未だに資産と同等の価格にはなっておらず、上値を追う余地も残っていた。


 このまま保有していよう。


 製図台に方眼紙を広げて検討していた零央は、最終的にそう結論を下した。

 一番の理由はチャートだった。強い陽線が続いており、売る理由がないように思えた。勢いを信じることにした。ピークの形も出ていない。


 …こういうのを仕手とかって言うのかな?


 付け焼刃の学習で仕入れた用語を零央は思い浮かべた。軽く笑った。知った風な考えを浮かべる自分がおかしかった。持ち株が、たかだか大きな上昇をしたに過ぎないのに何を考えるのかと思った。裏づけとなる情報もなければ、確たる論拠もない。単に市場で見直されたのかもしれないし、上昇が目立ったために更なる買いを呼び、人気化しただけかもしれない。投資を始めて間もない人間に判別などできるものでもなかった。

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