第48話 自分で考えろ


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 零央は方眼紙を見つめていた。


 自室の中だ。


 有機的なフォルムのメッシュチェアに座った零央は机の左寄りに位置していた。L字型のパソコンデスクの左側はグラフ書きや資料の作成のための空きスペースになっていた。元々はプリンターの置かれていた場所だ。プリンターは今は零央の右手側、L字の角近くに居場所を移している。付近には長いアームを持つデスクライトの姿もあった。机のもう一方には閉じられたノートパソコンが置かれ、デスク下のスペース右端には移動式のキャビネットがあった。


 方眼紙はA3サイズの1ミリ幅のものだった。小夜に最初に銘柄を告げた時から日足を書いている。

 まだ僅かに三週間分の日足を書いてあるのみだったが、手書きをするようになって一番変わったのは気持ちだった。陽線が出ても陰線が出てもチャートを冷静に眺めている自分がいる。以前はプラスにしろマイナスにしろもっと気持ちが波立っていた。何故だか値動きを見る目が静かなのだ。資金を投じているのに他人事のような感じだった。手書きの効用なのか、それともこれまでの小夜の講義の成果なのかは判然としない。それでも、何がしかの変化を感じるのがありがたかった。明るみを感じた。


 手ずから描いたチャートを見ながら零央は売買を振り返っていた。

 月曜の夕刻だった。小夜の最後の訪問からは二週間が経っている。実際の売買に入ってからは小夜は訪問を取りやめていた。取引に影響を与えないための配慮だ。終了までの間、買いも売りも全て零央が判断し、一連の取引が終了した後に小夜に連絡する手はずになっていた。連絡の後には訪問を再開し、取引の検証をする。

 訪問を取りやめている間は電話などによる接触も一切禁止されていた。態度は厳しく、たとえ父親が亡くなっても連絡してくるな、と小夜は言明した。思うに、小夜の教えの要諦は『自分で考えろ』という点に尽きた。一度実際に言われた言葉でもある。


 考えてみれば当たり前の話だった。投資は極めて個人的な営みだ。投資によって金銭を増やそうという試みも自分のためだ。ならば他人に頼らず、自らの考えに従って行動し、結果を出すしかない。教えを請う立場ではあっても、肝心な部分の判断は零央が成すべきものだった。その姿勢があって初めて、逆張りや細やかなナンピンという技術が活きてくる。


 と、思ってはみたものの…。


 わずかに零央は眉を寄せた。

 チャートがまだ下落の傾向を示しているように思えたからだった。ペイ・ラックの株価は零央が買い始めた段階で百十円台だった。二週間の間に一万株ずつ五回に分けて買った。小夜の言いつけ通り、それまでに買った金額よりも低い値のついた翌日に買いを入れたものの、寄り付きが高く始まったりしたために平均はあまり下がらなかった。百十円を僅かに下回る程度の水準に止まっていた。


 買った株数や株価を書いたルーズリーフを見ながら気づいたこともある。確かに書き足しという面では優れていた。今回は一万株ずつ買い進めたので余白が余っているものの、もし、小夜の言う通りに細かく分割して買っていれば数枚に渡っていたはずだった。複数の銘柄を手掛ける場合であればスペースのやりくりに困る。通常のノートでは対応できない。

 そして、結果として見れば、零央の買い方は下手だった。買い急いだために、まだ下値がありそうにもかかわらず既に予定の株数に達してしまっていた。投資した金額も予定の五百万を超えている。

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