第70話 Tormenta en Valencia③

 デュランは一人、エスコバル邸の敷地を進む。


 辺りを見渡すとその広大さが際立ち、ガゼボやフォリーなどの大型庭園で見るような装飾用建造物がいくつも見受けられ、己の財力を誇示している印象を受けた。


 中でも最も印象的なのはよく手入れされた植栽の多さ。これだけ広い敷地に多種多様な草花や樹木が植えられており、そのどれもがきちんと手入れされていることが窺えた。その様相から観光施設の植物園と言われても疑うものはいないだろう。少なくとも、誰も住んでいない空き家だとは思うまい。


(いや、一人だけいたんだっけか)


 そう心の中で呟くデュランの前からこちらに向かって歩いてくる男が一人。


 ウェーブがかった黒い長髪と彫りの深い顔立ち。黒いジャケットと胸元まで開けた白いワイシャツが褐色がかった肌の色によく映えている。背丈はデュランよりも頭一つ半ほど高く、一見するとスペイン系の映画俳優に見えなくもない。手には黒い革製の手袋を着用し、背には何故かコントラバス用の重厚なケースを担いでいる。


「アンタがここの管理人か?」


「…………」


 デュランが男に話しかけるも、返事はない。


「おいおい、ダンマリかよ。口がきけねぇのか? それとも扉を片方吹っ飛ばしたこと怒ってんのか? 悪かったよ。チャイムが見当たらなくてな。でもちゃんと来客だってわかったろ? それでオーライじゃねーか」


「この屋敷になんの用だ」


 初めて男が口を開く。巻き舌が特徴の典型的なスペイン訛りの英語である。


「喋れんじゃねぇか。なに、大した用じゃねーんだ。しばらくこの屋敷で厄介になるだけだよ。そういやうちの相棒からアンタに渡して欲しいって手紙が……ありゃ? どこやったっけ?」


 デュランがジーンズのポケットをいくら探すも昨晩ウィリアムから預かった紹介状が見当たらない。ひたすら手紙を探し続けるデュランから目を離した男は担いでいたコントラバスのケースを肩から下ろし、蓋を開いた。


「一曲弾いてくれんのか? わりぃがちょいと待っててくれ。確かこの辺りに——うぉっ!!」


 デュランの眼前に走る二筋の閃光。それは二本の刃が陽光を反射させた煌めきだった。ギリギリで躱したつもりだったが僅かに掠ったようで、右頬に出来た二本の切り傷からは血が滴り落ちる。後退していなければ、両目と首を斬られていただろう。


 男がコントラバスケースから取り出したのは楽器などではなく、二本の剣。日本刀のような反りはなく、片刃の直刀。刀身はサーベルよりやや厚く、カッターナイフの刃が最も形状としては近いだろうか。中でも特徴的な部分は柄が丸みを帯びているということ。未だかつて見たことのない形状の剣だが、切れ味は凄まじく切先のほんの一部に掠っただけでもざっくりと皮膚が斬れており、なかなか血が止まらない。今もポタポタとデュランの頬から流れる血が地面に赤い染みを作っていた。


「あんにゃろう、なんの躊躇いもなく殺す気で仕掛けて来やがったな。なるほど。アイツらがあそこまでビビるだけのことはあるってわけか」


 頰の流血を右腕で拭い、デュランは続ける。


「アンタに渡さなきゃなんねー手紙を無くしちまったみたいだ。代わりと言っちゃあなんだが、事情はこいつで語らせてもらうぜ」


 デュランは右拳を握り、男に突きつける。


 こうなってはもうお互いに言葉は不要。


 デュランは己の意地を通すため。男は侵入者の迎撃ため。


 本格的な戦闘状態に突入した以上、迂闊には動けない。二人はしばし睨み合い、互いの出方を窺っていた。


 先に仕掛けたのは相手の方。一足飛びで踏み込むと、再び二本の剣を巧みに操りデュランに斬りかかった。


「侵入者は如何なる相手であろうとも排除するのみ」


 相手は二刀流であるため、上下左右から次々と繰り出される攻撃は非常に厄介。だが、氷室に比べれば幾分かは戦いやすい。


 大きな得物。特に刃物を扱う相手の場合、腕の動きさえ見ればある程度の太刀筋は読めるからだ。しかし、氷室のような居合による高速抜刀を行なう相手の場合は腕の動きを捉えることはまず不可能。その点、この男の場合は軽く見積もっても一本数十キロはあるであろう重さの剣を二本も振り回すとなるとスピードはそこまで速くはない。故に動きも読みやすいというわけだ。

 

 先程は不意打ちを喰らったが、臨戦態勢に入ったデュランからしたら攻撃を躱すこと自体は決して難しいことではない。しかし一つだけ厄介なことがある。


(ただでさえ手足が長げーのに剣まで持ってやがるとなるとリーチが長すぎて近づけやしねぇ。しかもこいつ、こちらの間合いをきっちり把握した上で敢えて拳や蹴りの届かねえ間合いの外から仕掛けてきてやがる。こりゃ少しばかり……いや、だいぶ面倒だな)


 大型武器の場合どうしても大振りになりやすい分、攻撃を外した際には隙が生じやすい。大抵の場合はそこにつけ込むのが定石だが、二本目の得物がその隙を補うためまず不可能。


 となると後は相手の体力が尽きるのを待つしかないのだが、相手はこの炎天下でジャケットを着用しているにも拘らずこれだけ動いても涼しい顔で汗一つかいていない。ジェイルタウンでの日陰生活が長いデュランにはこの暑さは堪える。それだけではない。どうやら相手はわざと大きく避けるような動きを強いるように攻撃を仕掛けていたようで、その策略に気づいたのは足が疲労で重くなってきた時だった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 遂に足が止まった。先に体力が尽きたのはデュランの方。暑さと激しい運動量で大量の汗を流し、肩で息をしている。視界もぼやけているようでふらふらと身体が左右に揺れている状態だった。


「随分粘ったが、ようやく限界のようだな。せめて苦しむことなく一撃で仕留めてやる」


 男はそう言うと、二本の剣を交差させた。ガチャン、と金属が噛み合う音がしたかと思えば二本の剣は驚くことに大きなハサミへと形を変えていたのだ。これが本来の姿ならば円形状の柄にも頷ける。そして何故この男が〝バレンシアの断頭台〟などという物騒な異名で呼ばれているのかも。


「Dios te bendiga(神のご加護があらんことを)」


 男はスペイン語で何かを呟くと巨大なハサミの両刃を開き、デュランの首へと襲いかかった。

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