第69話 Tormenta en Valencia②
現在のエデンの中心が通称〝
その答えこそ、アルメニアの首都エレバンと犯罪都市エデンを繋ぐ大きな吊り橋の境界線付近に位置する広大な面積を占めるこの大豪邸であり、デュランの手にした地図に記された住所が指し示す目的地。
デュランとアイラ以外のジェイルタウンの連中ならここが何処だか全員知っている。
「やっ、やっぱりそうだ……ここ、エスコバル邸じゃねぇか!」
荷運びの一人が叫ぶと瞬く間に動揺が取り巻きらに伝播した。エスコバル。何やら聞き覚えがあるが全く思い出せないデュランはすぐ後ろにいた空き巣王のサマンサに問う。
「おい、エスコバルって誰だっけ?」
「虎皇会以前にこのエデンを統治していたディアブロ・カルテルの頭目、アントニオ・エスコバルですよ。ヤツが警察に捕まる前に住んでた屋敷なんですよ、ここ」
「あぁ、昨日ウィリアムが会いに行ってたってヤツん家かここ。はーん、そりゃでけぇわけだ」
心底興味なさそうに呟くデュランは、美しい装飾が施されたロートアイアン製の門扉を見上げる。目測で三メートル弱はあるだろうか。それだけではなく、塀は端から端までが果てしなく長い。並の成金や資産家では住めないような贅を尽くした豪奢な邸宅。門から屋敷の玄関まで続く長いアプローチ。その中心にはこれ見よがしに大きな噴水まで設置されていた。流石は〝南米の麻薬王〟と呼ばれていた人物の邸宅である。ただ一つだけ言える確かな事は、仮住まいで使用するにはアホほど持て余すということだ。
(シュミ悪っ)
そう思ったデュランは豪奢な門に遠慮なく蹴りをブチ込む。ノックという文化と共にロートアイアンの扉の片側は蝶番ごと壊れ、彼方へと吹き飛ばされた。
「なっ、なにしてんすか旦那ー!!」
「やばいですって!」
唐突な蛮行に慌てふためく悪漢ども。泣く子も黙るジェイルタウンの住人らしからぬ反応に流石のデュランもほんの少しだけ申し訳ない気持ちになった。しかし、そんな殊勝な気持ちは二秒で消え去る。
「ちょっと待てテメーら。家主のアントニオって奴はムショにいんだろ? 居るとしたら管理人くらいだって話だぜ? そんなにビビる必要はねーだろうが」
倫理観がイカレまくったデュランの主張に対し、他の悪党どもを代表してサマンサがその問いに答えた。
「俺たちの不安が正しければ、やべーのはその管理人の方なんですよ」
サマンサの口から語られたのは盛者必衰の諸行無常さ。そこに至るまでの隆盛を誇ったディアブロ・カルテルという組織についてだった。
様々な違法薬物の取引で巨万の富を得たアントニオ。それを支えた数名の幹部たちとは別にドン・アントニオが最も信頼を寄せている一人の男がいる。特に彼の栽培した大麻は〝上質でよくキマる〟ことで裏社会で忽ち評判になり、大麻の生産から品質管理まで全てを任されていた。それだけではなく特筆すべきはその戦闘力にあるという。
かつて勃発した虎皇会とディアブロ・カルテルの大きな抗争。圧倒的な戦力差で蹂躙し、三日で終結をと考えていたメイファンの計算を大きく狂わせたのがこの男の戦働きによるものだと言う。想定していた人数より五倍の死者を出した虎皇会だが辛くもボスのアントニオの身柄を確保。無数の銃口が向けられ、蜂の巣にされる寸前で単身乗り込んできたその男は悪鬼の如き戦いぶりによりアントニオを無事に救い出し、虎皇会の手が及ばぬよう、敢えてエデン署にアントニオを引き渡すという忠義ぶりを見せた。
以後、その男はエスコバル邸を管理しながらの主人の帰還を待ち続けているのだという。かつてカルテルの残党を率いてアントニオの解放を声高に叫びエデンの街中で暴動を起こした幹部ロス・サンタナの誘いさえも断り、屋敷の管理に徹したほど。その結果、ロス・サンタナと残党の一部はエデン署に赴任してきたばかりの氷室一人に制圧されたのだった。
現支配者であるメイファンがこの男の始末を命じていないのは、偏に彼を気に入ったからだという噂さえある。
危険を省みず単騎で敵陣に乗り込み、主人を助け出すその気概は三国志で語られる長板の戦いにて主君の息子を抱き抱えて戦場を脱した蜀の英雄、趙雲のようだと高く評価しているのだとか。
「エスコバルの番犬。バレンシアの断頭台。ヤツを形容する異名はいくつもありますが、とにかくその名に偽りなしの激ヤバ野郎なんですよ。虎皇会が来る前に一度だけこの屋敷に忍び込んだことがありますが、ヤツと鉢合わせたばっかりに手ぶらで帰ることになりました。この事実だけでも中にいるヤツがどんな野郎かは大将ならわかるでしょう?」
「あ? 悪い。なんか言ったか?」
「ウソでしょ!? 今オレ結構重要なことたくさん話しましたよ!? 全部聞いてなかったんすか!?」
「まぁ、やべー奴がいるのはわかったよ。こんなクソ暑い中外に突っ立ってるのもだりぃから、取り敢えず話つけてくるわ。来たくない奴はそこで待ってろ。アイラと荷物の護衛だけ頼むわ」
心底気だるそうに頭を掻きながら、デュランはエスコバル邸へ足を踏み入れた。
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