第19話 オオカミの故郷

 どこの飲食店もそうであるように、ここ香龍飯店もまた昼ともなれば同様の賑わいを見せる。ジェイルタウンの住人は夜型人間が大半を占める為、昼を少し過ぎた時間に起床するものが多い。


 ランチタイムはディナーよりもメニューが少しだけ安価である為、腹を空かせた極悪人共が食事を取りにやって来る。しかも、今日は一年でも稀に見る大入り。ジェイルタウンの住人がほぼ雁首そろえて集まっていた。この地球上でここまで正義と秩序の二文字が欠如した場所も珍しい。見れば見るほど、世紀末だった。


 昼前に虎皇会の送迎リムジンでエデンからジェイルタウンへ戻ったデュランは、涙目のウィリアムに捕まるや否やすぐさま厨房へと押し込まれ、かれこれ三時間近く調理の手を止められずにいた。


「うおっ、なんだこりゃスゲェな。今日はやけに忙しいと思ったらこういうことかよ」


 オーダーのラッシュが一旦止まったのを見計らって厨房から出て来たデュランは、外の光景を見て唖然とした。


「いやー、僕もびっくりしたよ。シリアルキラーのチョップマンやテロリストのムハマンドまでいるんだよ? 注文で呼ばれる度に生きた心地がしないよ」


 普段なら滅多に店に来ないような珍しい顔ぶれもちらほら見られた。そんな連中がわざわざ足を運んだ理由はただ一つ。


「いらっしゃいませ。何名様ですか? こちらのお席へどうぞ」


 無表情で淡々と接客をする少女の一挙一動に合わせて口笛と歓声が上がる。アイドルのコンサートさながらの盛り上がりぶりだ。


「あいつら、ここを何の店だと思ってやがるんだ」


「まぁまぁ。暴動や乱闘が無いだけ良いじゃない」


 普段なら死人が出ても何ら不思議ではない人数が集結しているにも関わらず、未だ流血騒ぎすら起こっていないのは奇跡に近い。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 香龍飯店の新顔。噂のアイラを一目見ようと昼の開店から既に大賑わいだ。


「ったく、ここはマディソンスクエアガーデンじゃねぇんだぞ」


 客は皆、アイラに夢中でしばらく注文は入りそうにない。そう判断したデュランは煙草を取り出し、おもむろに咥える。オイルライターを着火させて煙草を近づけようとした瞬間、隣から吹きかけられた甘い香りの息でライターの火は消えてしまった。


「たまには禁煙したらどうだい? デュラン」


 いつの間にか隣にはイルミナが立っていた。彼女の神出鬼没ぶりはいつものことなので今更デュランもウィリアムも驚きはしなかった。


「ほっとけ。こちとら、もう半日近くも禁煙してんだよ。そろそろ死んじゃうぞコラ」


「あれ? 珍しいですね。イルミナさんがお昼に来るなんて」


 むさ苦しい男連中の中に妖しく咲き誇る一輪の花、イルミナの存在に気付いたウィリアムはすぐさま駆け寄る。彼が言うように、普段イルミナは滅多に日中は出てこない。こうして彼女がランチ時に店へ顔を出すことはかなり稀なことである。


「ちょっと気になって様子を見に来たのさ。あの子、上手くやってるみたいだね」


 イルミナはアイラの方へ目をやる。


「そうなんですよ。あの子、覚えるのも早いし要領も良い。何より賢いですよ。お金の計算なんかも早いですしね。多分、ここの連中よりは数倍頭が良いと思いますよ。欲を言えば、可愛らしいスマイルの一つでも出来ればすぐにでもCAAに売り込みに行きますよ」


「ふうん。でも、店主の方は納得されていないようじゃないか。何か御不満かな?」


 デュランは険しい表情でアイラの様子を見ていた。


「ひょっとして、今朝のドタバタで面倒みるのが嫌になっちゃったの? でも、あれはさ――」


「んなことはわかってんだよ。ああ、わかってるさ」


 アイラの今朝の行動はみんな自分たちの為に行ったことだとデュランもウィリアムも理解していた。


 朝食を作ろうとしたのも二人に食べてもらいたかったからで、パンをちゃんと三人分用意していたのがその証拠だ。少しでも食卓の見栄えを良くする為に萎れていた花の水を取り換えようとしたのもちゃんと知っていた。


 少女の行動の全てが純粋な善意。それは、この街のどこを探しても決して見つからない尊いもの。そして、シャボン玉のように無垢で儚いもの。しかしそれは、この街に染まるにつれて汚れ、弾けて、消えてしまうかもしれない。デュランには、そんな気がしてならなかった。


 心の中にあった形容し難いわだかまりが決意に変わったのは、虎皇会の事務所で氷室から聞いた謎の連続子供変死事件。このアイラは、間違いなくこの件に関係していると直感的に理解出来た。


 デュランは火のついていない煙草を地面に吐き捨てて言った。


「やっぱりあいつはここにいるべきじゃねぇよ。ここは環境が悪過ぎる。あいつはもっと陽があたる場所で普通の生活をした方が良いに決まってる」


 どこか遠い目をして語るデュランを、ウィリアムとイルミナは驚いたように見つめた。


「んだよ、何見てやがる」


「いや、何ていうかさ……」


「キミにしては随分似合わないことを言うなと思ってね」


 空いたテーブルを黙々と拭き、食器を片づけるアイラ。彼女に近づく不審な二人組がいた。連続強姦殺人犯のニコルと食人鬼のリチャードだ。彼らは下賎な笑みを浮かべながらゆっくりと背後からアイラに忍び寄り、小さな肩へ触れようと手を伸ばした。直後、デュランはまだ食べている最中の客から箸を一本ふんだくると、ものすごい速さでブン投げた。


 高速で放たれた木製の箸はニコルの頬を掠めた。そのまま勢いを殺さずに向かいのコンクリートの壁に突き刺さり、箸はようやく止まった。ニコルの頬はナイフで斬られたようにパックリと裂け、鮮血が伝った。


「よー、悪ぃな。手がすべったわ」


 金色に光る瞳が雄弁に語る。「それに触れたら殺す」と。


 デュランの殺気に戦慄したニコルとリチャードは早々に退散していった。ここはジェイルタウン。あの二人のように性根が腐った連中は、文字通り腐るほどいる。


「なら、孤児院にでも預けてみたらどうだい? 君が育ったあの場所にさ。ここよりは一兆倍はマシだろう?」


 イルミナはそう言うと、デュランの方を見て微笑んだ。


「……お前、本当に何でも知ってやがんだな」


「ふふん、伊達に《街の物知りお姉さん》はやってないのさ」


 デュランは早々に閉店の看板を出すと客を全部追い払い、アイラとウィリアムに出掛ける準備をさせた。


 向かう先はジェイルタウンとエデンの境にあるセントライミ教会。デュラン・フローズヴィトニルが育った第二の故郷だ。

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