あの子になりたい
はしぐちむべこ
あの子になりたい
真夜中。ドンッという、グラスを力まかせにテーブルに叩きつける音が、家中に響いた。
「俺を馬鹿にしてんのかっ!俺のこと、なめてんだろっ!」
酔っ払った父が母を怒鳴りつける台所と壁一枚挟んだ部屋で、今井世那(いまいせいな)は布団の中、両耳を枕に押し付け塞いだ。なぜ、どうして、自分はこんな家の子供なんだろうと思いながら。
「世那ちゃん!」
中学校からの帰り、住宅街の入り組んだ道を歩いていた世那に、同じクラスの女子、桑野理央(くわのりお)が後ろから駆け寄って来た。部活に打ち込む理央と帰宅部の世那の下校時刻が被るのは、滅多にないことだった。
「今日、陸上部は?」
「体調がよくなくて、サボっちゃった。ねぇ、一緒に帰ろう」
追いついてきた理央が世那の左に並ぶと、そちらの側から、ふんわり薫りが漂ってきた。中学生らしからぬ、高校生や大学生が纏っているような、花が粉っぽくなった匂い。
「世那ちゃん、お弁当のあと机に突っ伏してたけど、大丈夫?いつも放課後行ってる図書室にも今日は行ってないし、もしかして、だいぶ疲れちゃってたりする?」
世那より十センチ以上高い長身をかがめ、理央は世那の顔を覗き込んだ。
「別に…あ、ゲームのし過ぎで、ちょっと寝不足気味ではあるかも」
「えー、そうなの?無理してまでやっちゃ、ダメだよ」
学校一の美少女である理央とは、世那は中学に入ってから知り合った。見た目だけでなくスポーツも勉強もできる理央は、クラス内だけにとどまらず学校中から注目される華やかな生徒だ。しかも親しみやすい人柄から同性の敵も少なく、いつも彼女を支持する友人たちに囲まれている。だというのに、何もかも平均点を下回る地味な存在の世那に、やたらと構いたがる。ときに、鬱陶しいほどに。
「あ、世那ちゃん、見て見て。もう月出てるよ」
理央が指差した方向には確かに、薄青い空にぼんやり半円に近い月が浮かんでいた。
「今日、上弦の月かな。なんか昼に見える月って、お化けっぽいかんじするよね」
昼の月。世那には思い出すことがあった。
ひと月ほど前のことだ。
世那が放課後、学校の図書室で、上巻中巻を読み終えた長編小説の下巻を本棚から取り、開いてみると、二つ折りにされた紙が挟まっていた。
前に借りていた人が栞代わりに使ったのだろうと、世那は推測した。だが、折られた紙の表側には手書きの文字で、「あなたにだけ、教えてあげる(笑)」と他人が発見することを期待する文言があった。
世那は少なからず、気持ち悪さを感じた。しかし所詮、ただの紙に書かれたただの文字だ。その文字も、自分と同じ女子中学生が書いたものと思われる筆跡であり、読んでみたところで大した内容ではないだろう。世那は紙を開き、内側に書かれた文を確認した。
自分以外の人になれる方法
時:昼の月が東の空に見える時
場所:神社とお寺の間を通る道
方法:入れ替わりたい相手と一緒に道を歩き、
相手の名前を逆さにして三回唱える。
※これを読んだことを、絶対に誰にも言わないこと!
読み終えた世那は静かな図書室でつい、噴き出してしまった。小学生の時、仲間内で怪談ブームが起こったことがあったが、中学に上がってもまだ、こういうおふざけをする生徒がいるとは、馬鹿馬鹿しく、可笑しかった。
その時は、一笑しただけだったのに。世那の脳みそは今、ぐるぐると何度も紙切れの映像を再生し、文面を暗誦しはじめた。
気の迷いだ。きっと昨日の夜、うんざりする気分にさせられたから。そうはわかっていても、刻々と「神社とお寺の間を通る道」に、理央と二人で近づいていることを意識しないではいられなかった。そうして、いざその時、世那はほとんど無意識にその道に足を踏み入れていた。
「あれ?この道、使うの?」
理央に尋ねられ、世那の心臓の鼓動が跳ね上がり、それによって肩がわずかに揺れた。
「前、ここ近道だけど、木の陰で暗いし、狭いし、不気味だし、遅刻しそうな時以外使わないって、世那ちゃん言ってなかったっけ」
「だって、…今は、二人だし」
そう、二人だし。
「ふふ、そうだね」
理央は何故か心底嬉しそうな顔をして踊るような足つきで進み出し、そうして、理央の前方を歩いた。
「この道って、嫌がる人多いけど、私は嫌いじゃないの。なんか、神聖な感じしない?巨木と、死者が見守ってるの」
間近で見た時、理央の顔は美しい。だが、彼女の外見が優れているのをより感じるのは、少し離れた場所で彼女を見た時だ。すらりとした高い等身。伸びやかな長い手足。木漏れ日が揺れる艶やかな髪。重力を感じさせない、軽やかな足取り。
この人と自分が、入れ替われる?まさか、あり得ない。でも逆に、あり得ないのなら、まじないを実行してみて何がわるいのだろう。
「オリ、ノ、ワク」
大丈夫、ちょっとしたおふざけ。何も起こらない。
「オリノワク」
何してるのって聞かれたら、あの図書室で見た紙のことを話して二人で笑い合おう。
「オリ」
そんなに私と入れ替わりたかったのって聞かれたら、
「ノ」
そうだよ、理央はとっても素敵だからって、
「ワク」
理央が世那を振り返り、笑いかけた。なにも起こらなかった。そして、やっぱり理央は綺麗だなと、世那は思った。
突然
上弦の月がかかる東側、世那の背後から数十本の、黒い、触手のような影が這い出てきた。その影は、理央の腕に脚に頭に絡みつき、それらを彼女の胴体から引きちぎった。理央の身体からは、一滴の血も零れなかった。彼女の身体は幼子が壊した人形のように、ただ、バラバラになり、そして、消えた。
そうして、神社の土塀と墓場の生垣の間の道で、世那は理央になった。かつての世那の姿はどこにもなく、そうして、かつての理央である理央もいなくなっていた。
理央になった世那は、新しく帰る家をわかっていた。理央を巡る環境も、理央としてどう振る舞えばいいかも、全て、世那はわかってしまっていた。
翌日、理央として学校へ行き、授業を受け、部活を終えて理央の家に帰宅した世那は、理央の母親に「あなたによ」と、手紙を一通わたされた。ピンクの花柄で隅を装飾された封筒には送り主の住所はなく、名前だけが書かれていた。
倉橋若葉。世那の記憶にも、理央の記憶にもない名前だった。消印を見ると、近所にある郵便局のものだった。世那は二階に上がり、理央の部屋でその封筒を開け、封筒と揃いの柄の便箋を開いた。便箋は、どこかで見た覚えのある字で行が埋まっていた。
今井世那様
突然、知らない人から手紙がきて、驚かせてしまいましたか?
気味悪がって手紙を読まずに捨てたりしていないことを祈ります。というのも、これがとても大事なことを伝える手紙だからです。
はじめまして。私は、倉橋若葉といいます。
はじめまして、といっても、実はもう、あなた宛てに一度手紙を書いています。「自分以外の人になれる方法」を書いてあなたに読ませたのは、私です。
私は以前、同級生で友達の桑野理央という女の子に憧れていました。そうして、もう昔過ぎて、どうやって知ったのかは覚えていませんが、あなたと同じようにおまじないを知り、それを桑野理央に実行しました。
おまじないは成功し、私は桑野理央になり、倉橋若葉という存在は消えました。
私が桑野理央になった次の日、米沢千映という女の子から感謝の手紙が届きました。「私を桑野理央から解放してくれて、ありがとう。」という内容でした。
私も、世那ちゃんに心から感謝します。私を桑野理央から解放してくれて、本当にありがとう。
桑野理央の世界は永遠に変わらないし終わりません。来年もさ来年もずっと桑野理央は中二の女の子で、学校も、友達も、家族も、事件も事故も、何もかもずっと毎年毎年同じ繰り返しです。
世那ちゃんも近いうちに厭になると思います。そして、自殺を試みるでしょう。無駄です。桑野理央は死ぬことも出来ません。
でも、チャンスはあります。あなたは毎年、一人だけ新しく女の子と知り合います。その子は私やあなたと同じように、自分を愛せない女の子です。
その子に、おまじないを教えてください。そして、実行させてください。
無理矢理言わせてはダメです。彼女自身に、自分から言わせてください。その子をじっくり観察し、よく状況をみて、タイミングを上手く図って、誘導してください。
うまくいくことを心よりお祈りしています。
先代桑野理央こと倉橋若葉より
あの子になりたい はしぐちむべこ @kyouhamatujitu
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