フェアリーテイルの亡骸

おきゃん

 五年も前のことだ。

 その頃のぼくは、本当に何も手につかなくて、原稿用紙を何百枚も無駄にしていた。インクも枯れてスカスカに掠れた意味のない文字が自分の目に映るのが、これまたどうしようもなく腹立たしい。小説家の端くれとして生活していたのに、可笑しいよな。文章の一つも書けなくなっていて、意味のない文字が頭の中をぐるぐると巡る。

 筆が乗らないとか、そういう次元じゃない。なんのために書いて、誰のための文章を作るのか、分からなくなっていた。

 小説を書くことだけじゃない。生きることにも意味を見いだせなくなっていた。ヤケになって購入した自殺の仕方の本は、頁を捲るだけ捲ったが、当然、死ぬ気力もなかった。生きるのも大変だが、死ぬのも大変だ。


 溜息。

 ペンも原稿用紙も自殺の本も投げ出して、床に倒れ込む。ぼくが住んでいるこのボロボロ日本家屋は、もとは祖父母が住んでいたもので、もう築80年にはなるんじゃなかろうか。掃除をサボっているせいで、空気はホコリとカビの臭いがした。


 それもそうだが、今は季節の変わり目。肺がひゅーひゅー音を立てて苦しさを訴えてくる。俗にいう、気管支炎だ。小さい頃から一向に治らないのは、吸入器も薬も碌に使わなかったせいだろうか。それとも、手放せなくなっている煙草のせいか。


 外は雨が降っていて、手入れされていない庭でカエルが大合唱をしている。五月蠅いと思いながら、あれらはぼくとは違って必死で生きているんだと、虚空を眺めてぼんやり考えていた。ああ、死んでしまいたい。


 「オジサン、死ぬの?」

はっと振り返ると、こんな田舎では見かけない金髪の少女が勝手に家に上がりこんでいた。派手な髪が目に痛い。

「……キミは誰だい?」

「小説書いてるんだ、すごーい! これ勝手に読んだけどめっちゃ難しいね。漢字読めない! あ、ねー、オジサン死ぬならさ、アタシに何か書いてよ! 子ども向けのやつ。難しい話は、頭痛くなっちゃう」

「人の話聞いてる? っていうか、ぼくは死にゃしないよ、ただ生きるのが面倒臭いだけ。……ところで、キミ、不法侵入で訴えていい?」

「だめ」


 頭の悪そうなその少女は、3つも4つもピアスを付けていて、ダメージジーンズを履いていた。

「くしゅんっ」

「……雨の日にそんな恰好してたらそりゃ風邪引くでしょ。……仕方ないな、はぁ、とりあえずこっち来て。お風呂沸かしてあげるから…服は……これで我慢しなさい」

「……オジサンやさしいね! ありがと!」

ニッと歯を見せて笑う少女を、ぼくは疎ましく思っていた。老若男女関係なく、人間が嫌いだったから。

「アタシさ、行くところないんだよね! オジサン、ここに居候していい?」

「は……?」

雨がやんだら早く出て行ってもらうつもりだった。見知らぬ少女を此処に置いてやる義理もなかった。見捨てるのは簡単だった。

「アタシ、頭は悪いけど、勉強以外だったらなんでもやるよ! 料理とか洗濯とか」

身体開いてもいいよ。


ぼくは唖然とした。

「キミ、未成年でしょ。普通の大人は、子どもの身体なんか興味ないの。そういうのやめなさい、気色悪い」

少女は、馬鹿みたいにあんぐり口を開けて、それから盛大に笑った。そんなことを言われるとは露ほども考えていなかったみたいに。

「あはははっ、オジサン良い人だね! うん、わかった。やめるよ。オジサンけっこうばっさり言うね!」

「……はぁ、もうなんだっていいや」

 少女は危うかった。放っておいても良かったけれど、そうしたら、きっと悪い大人に引っ張られて腐っていくのだ。腐って大人になったら、今度は彼女が他の子どもを腐らせるに違いない。それは、なんだか嫌だった。

「ここに置いてくれるの?」

「……あー、うーん……どうかな。君が家事全般と庭の手入れとそれから僕のアシストしてくれるなら考えてもいいかな」

「やることめっちゃあるじゃん! さてはオジサン、アタシのことコキ使う気だな!」

「コキ使われるのが嫌なら早くもとのおウチに帰んなさい」

「イーヤーッ! 絶対帰らない。いいよ、全部やるもん! スーパー家政婦になるから!」

「なんじゃそりゃ」

その日、ぼくは久しぶりに笑った。少女のおかげ、だったのかもしれない。


 「アタシの名前はチヨノ。藤槻千代野。オジサンは?」

「……オウ。桜と書いてオウと読むんだ。花見桜」

「うわ、めっちゃ4月」

「そうだよ、なんの捻りもない名前で悪かったね」

「オジサンは捻くれてるけどね!」

「うるさい」

「さくらくんって呼ぶね!」

「……チヨノスケって呼ぼうかな」

「なにそれ可愛くない! あと本名より長いじゃん!」

「……ノって付くと〇〇ノスケって呼びたくなるんだよ」


 すっかり打ち解けたようになっていて少し悔しかったが、心中穏やかだった。たった数時間の間にぼくの運命は変わっていった。千代野は、不思議な子だった。


運命。


そうだ、このときから少しずつ動き出した。運命なんて随分チープな言い方だけど、まさにそうとしか言えない。



ぼくが死ぬのが先か、

千代野が一人立ちするのが先か。


それとも、全く別の結末が待っているのか。



一秒先の未来さえ知らないぼくたちには、何が起ころうとも受け入れるしかない。

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