プロローグ

001.異世界転移

『日本の森山!ただいま二番手の位置につけております!前回チャンピオンのマイカル・ジョルダンを猛追、日本の国旗がこのオリンピック陸上競技短距離走で最も天に近い場所に掲げることが出来るのか!? 男子100m走、世界で最も決着が早く付くこの競技は残り三秒でフィナーレだ!!頑張れ、森山!!』


 俺の名前は森山大樹(もりやまだいき)、陸上短距離走の日本代表でエースだ。


 昨年の世界陸上で銅メダルを獲得して以来、日本陸上競技の短距離部門で初の金メダルをと、国民からの大きな期待を背負ってきた。


 そして今はオリンピックの100m決勝のスタートの合図とともにゴールを目指して快走中である。


 勿論、目標は視界の先にあるゴールのフィニッシュテープを誰よりも早く駆け抜けること、それは目標と同時に日本人にとって悲願だ。


 俺の視界には現在オリンピックと世界陸上を通じて十年連続で王者の座に君臨し続けている、マイカル・ジョルダンが快走している。


 スキンヘッドの如何にもダンクシュートが似合いそうな、いけ好かない野郎だ。


 こいつは世界のメディアの前で日本人がオリンピックの金メダルを獲ったら自分の資産を寄付しちゃうぜ! 等とガムを噛みながら言いやがったんだ。


 こいつにだけは負けてなるものか! 個人としても日本人の代表としても絶対に負けられないんだ!


 俺の陸上人生は、と言うと中学から高校まで六年間負けなしだったが、昨年のインカレでその当時の日本代表に負けて、苦汁を舐めたところでスパイクシューズを脱ぐ寸前のところまで精神的に追い込まれた。


 だが、その時に俺は気づいたんだ……、人には越えられない壁があると。


 であれば、それを超えるためにやることは『正しい形』での努力だ!!


 努力……、努力! そう努力!!


 誰も『正々堂々』なんて言葉は求めていない、まあ日本人はその辺りの美談に固執するけどね。


 だが! 結果を出せば誰も文句は言わないはずだ!!


 例え、そいつはどんなズルを、……姑息な手段を使っていても!!


 バレさえしなければ称賛され続ける一流のギャンブラーの様に俺はなるんだ!!


「うおおおおおおおおおおおおお!!」


「ファッ? ワオ、クレイジージャーーーーーーーーップ! ネバー・ルーーーーーーーーーズ!!」


 マイカルが英語で何かを叫んでいるが、俺にはそんなことは関係ない! と言うか唾を飛ばすんじゃねん!!


「そこをどけええええ!! そこは俺のポジションだああああああ!!」


 俺の視界からマイカルが消えた!!


 これで俺は念願の、……日本人初となる陸上競技短距離走の世界チャンピオンだ!


 駄目だ! 必死になりすぎて目を瞑ってしまっているから周囲の状況が分からなくなってしまった……、だけど、そろそろ決着が付いたんじゃないのか?


 だが何故だ!


 周囲から一切の歓声が沸いてこない、いや消えてしまった!


 俺はまだゴールしていないのだろうか?


 それか若しくはあまりにも必死になり過ぎて、俺の脳が数秒の出来事を恐ろしく長い時間として体感させているだけではないだろうか、…………それにしても長いな。


 もう良いかな? 俺、目を開いちゃうよ?


 ……大丈夫だよね? これでまだフィニッシュテープを潜ってませんでした、なんて言わないよな?


 これでマイカルのくそ野郎がほくそ笑んでいたら、俺は一生立ち直れなくなるけど……。


 良し! 三秒後に目を開けてから足を止めるぞ!!


3……2…………1!


「世界王者は俺だあ!! ………………………………へ?」


 ウソ……、俺はさっきまでオリンピック会場で陸上のトラックを快走していたんだぞ?


 それが何で……草原にいるんだあああああ!!


 うっそ!? 何にもねえし!!


 誰かに「モンゴルへようこそ。」、とか言われたら絶対に信じちゃうって!!


 自分の置かれている状況に全く見当もつかず、俺は動かしていた足を止めるしかなった。


「せっかく世界一を目標にして動かしていた足を、こんな理由で止めるのか? ……しかも順位を付けることもなくゴールすらできないとは。」


 俺は草原の中で天を仰いで呟くしかなかった、そして俺が仰いだ空は雲一つ掛かっていない快晴そのものだった。


 俺の言葉を肯定も否定もしてくれない。


 アスリートの世界は結果を残さないと誰も肯定してくれないのだから、この空は今の俺にはちょうど良いのかもしれない。


 不思議なことに今の俺は現状を受け入れている、……と言うよりは今の状況を頭の中で整理出来ないからか、受け入れないことには現状の打開すらままならないと思う。


 今までの俺が陸上に賭けてきた情熱は、と自分に問いただす。すると泣き叫んだでも何も解決しないのでは? と逆に問いただされてしまった。


「にしても、さっきまでオリンピックの決勝だったから、陸上用のユニフォームしか着てないくて肌寒いな……。この草原で持ち物は防寒対策の出来ないこの衣服と………『これ』か。十回分だな。」


 俺は自分の持ち物を確認した、現状で俺がすべきことは俺の置かれている状況の整理及び確認。自分がこれからすべきことを決定しなくてはならない。


 正直な話、当然であるがこの状況を夢ではないかと疑っているのだ。


ベタな話ではあるが仕方がいないと思う、何しろさっきまで俺は陸上用のトラックを快走どころか爆走していたんだぞ!?


 しかも! もう少しでオリンピックの金メダリストになれたはずだったのだから、その考えは第一候補だろう!


 第二候補が有るとすれば異世界転移とか転生かな?


 それだったらまだ夢のある話だから受け入れることもできる、まあ俺の八年来の夢は転移とか転生だったら消えたことになるのだが。


 俺の陸上人生はなんだったのだろうか、……おっと! 今はそれくらいにしておこうかな。


 俺はリアリストなんだ、考えても戻ってこない過去の時間と言うものには興味が無いのだ。


「しょうがないな……、例え夢の中でも現実でも、ここから移動するしかないんだろうな。でもどうやって? 俺はアスリートだけど短距離選手だぞ? こんなだだっ広い草原から誰か人を探すのか? もしくは水と食料の確保だな。さすがに『これ』では腹は満たされないし。」


 だがこの場を離れる前にすべきことが有る、それは針治療だ。


 俺がインカレで負けてから最初に取り組んだことの一つに針治療の研究が有る、つまり、これで自分の体を強化しようと考えたのだ。


 何を馬鹿な、と周囲は言うかもしれないが、俺がこれを始めたことで100m走の自己ベストは一秒も縮めることに成功した、要は『合法的な方』のドーピングとでも言うべきか?


 そして俺は針治療を済ませると、覚悟を決めてその場から走り出した、そして走りながらマイカルのニヤついた表情を思い出す。


「夢でも転移でも転生でも良いけどあいつにだけは引導を渡したかったな……。ふうう、今は考えても仕方が無いけどやっぱり完全には割り切れるものじゃないか……。」


 俺は余計な事を考えながら走っていたらしく、前方の異変に気付くのが一瞬遅れた。


 前方に人がいる! 目算で800m先だろうか、陸上競技をやっているから俺は100m単位で正確な測定が目算でできるのだ。


「やったぜ、第一村人発見!! ん? あれは何かに襲われているのか? ……何か昔のRPGゲームに出てきたモンスターみたいな姿形だけど……。」


 俺は青春の大半を陸上競技に注いでいたから、あまりゲームの事には詳しくないけど、それでも前方で人を襲っている何かは明らかに異形だった。


 だが、それよりも問題は襲われている側だろう、あれは明らかに怪我をしている。


 しかも、この距離で怪我の有無が分かるんだからそれなりに危険なのではないだろうか、しかも目に見えて動きが鈍くなっている。


「この距離からでも、あのモンスターっぽいのが尋常じゃない動きをしているのだけは分かる、……助けに何て入ったら俺も危険なんだぞ?」


 俺の心臓が恐ろしい速度で心拍数を数え始めた、これはオリンピックの決勝を走る前のそれよりも早い!


 俺はあの人を助けなくてはいけないと思っているのか? ……この俺が?


 『卑怯な手段』でオリンピックの舞台まで駆け上った俺が?


 応援し続けてくれていた日本の人々を『騙し続けて来た』俺が?


……心臓の高鳴りを抑えきれない、確かに俺は『卑怯な手段』を使ってきたけど、悪い奴になったつもりはない。


 あのマイカルの挑発にだって、それなりにムカついていたのだから……、俺の心は腐り切っていないはずだ!!


「くそ! だけど何か具体的な方法だけでも考えないと……、闇雲に助けても意味が無い! ん?」


 俺は先ほど確認をした自分の持ち物を思い出して『これ』を握りしめていた、……そうだ!!


 『これ』があれば少しはマシかもしれない、そう考えた俺は前方の人が襲われている地点のモンスターっぽいのに気付かれない様に近づくことにした。


「頼むぞ……、俺が射程距離に入るまで持ってくれよ。後600m……。」


 俺は『これ』を口に放り込んでから再び腰を落としながら歩き始める、今度は考え事をしながらではないから確実に前方で起きていることを視認しながら近づいている。


「くそ!! 人がモンスターっぽいのに襲われているのを見ながら近づく、って言うのは気分的に良くないな……。」


 助けると決意してから心に一刻も早く助けなくては、と言う焦りが生じしまい「指を咥えながら」と言う形容にぴったりの状況が続く。


「後400m、……それにしてもここまで近づいて初めて気付いたけど、前方で襲われている人って女の人か。あれはかなり可愛いんじゃないのか? それに襲っている奴って大型の兎っぽいけど、額のところに角が生えているよな。いよいよRPGの世界かファンタジーってか……。」


 目標とする地点に近づくにつれて俺の心拍はどんどん高くなる、そして。この状況から違和感が無くなっている感覚に陥っていく。


 これは現実だ! 俺はむりやりにでも確信するしかなかった、……それはそうだ、あそこにいる女の子が出血をしているのを視認してしまったのだから。


「くそ! 後100m、……焦るな。」


 だが焦ったら終わりだ。


 気付かれてしまったら俺の作戦も成功率が落ちるし、何より、いざという時に何かやらかしてしまうかもしれない。


 ……そうだ、昨年の世界陸上の時の様に!


 あの時も焦って決勝前のウォーミングアップを失敗してしまったのだった、あの時と同じミスだけは絶対にしてはならない。


 あれを、…俺が金メダルを獲ると信じてくれていた日本の人達の悲しそうな表情を二度と見るまいと、『卑怯な手段』の使用に拍車をかけてまでオリンピックの決勝まで駆け上がったんじゃないか!!


「ジャスト200m地点まで接近したぞ、ここからは純粋に突撃するだけだ。」


 俺は陸上競技の、しかも短距離の選手だから走ることしか能が無い。


 だから、ここから全力疾走してあの兎っぽいモンスターに突撃してやるんだ、はっきり言って勝算ががどの程度かは分からない。


「でも、これしか無いんだから割り切れよ!!」


 厄介なのはあの角だ、何しろ全力疾走して体当たりをするんだから、反撃でもされたら近づくほどに避けることが困難になる、そもそも当たってしまったら俺の体が貫かれそうだ。


 だが、ここに来るのまでの間にこの草原の特徴を掴んでいた、どうやら、ここは時折突風が吹く様だ。


 しかも、かなりの強風だ、これならギリギリまであの兎っぽいモンスターに気づかれないのではないだろうか?


 それに俺のことをうまくフォローしてくれれば突撃の威力も上がると言うものだ。


「そこそこ自信はあるけど多少は運の要素も絡んでくるか…。」


 俺は深呼吸をしてからクラウチングスタートの大勢を取る、そして集中しながら前方の兎に目掛けて走り出す方向に狙いを定める。


 スターティングブロック(踏み切り板)が無い分だけ、いつものとは違った感覚を覚える、まあ草原なのだから無いものは無いのだ。


 後は自分のタイミングでスタートを切るだけだ……、ここには号砲を出す奴もの無いんだからな!!


 位置について……ヨーイ……ゴー!!


 ここから兎っぽいのまで200m、俺がペースを落とさずに走れるギリギリの距離が200mと言うことだ、これが400mだとすると5秒もタイムロスは発生してしまう。


 そして俺の自己ベストは100mで9秒59、200mは19秒20だ。


 つまり俺の200m地点までに確保できる速度は平均37.5km/h、そして俺の体重はジャスト80kgだから、あの兎への衝撃は中型の原付バイクとほぼ同等と言ったところだろうか。


 だが、これは俺の生身での話だ!


 俺にはまだ秘密兵器があるのだから、ここからが本番だ!!


 俺は800mの位置の時点まで『これ』と呼んでいたものを飲み込んでいた…、『これ』は遅効性で効力が発揮されるまでに10分ほどの時間を要するのだ。


 そして俺は先ほどスタートを切るときにその効力を感じていた、…俺の体の隅々まで『これ』が行き渡っていると。


 この状態になれば俺はさっきまで計算に入れていた19秒台の自己ベストなど参考値にすらならなくなるのだ!


 今の俺であれば200m16秒台だって夢じゃない、……つまりは『ドーピング』だあああああああ、っしゃああ!!


 つまり! 今の俺は平均速度を45km/hまで確保することが可能なのだ!!


 しかも、このドーピング剤は俺のお手製で副作用などとは無縁!!連続で投与も可能だ!!


 何しろ俺はインカレで敗北してから態々わざわざドーピング剤の研究をするために、当時在籍していた強豪陸上部のある大学から薬学部のある国立大学に転入してまで開発したのだから、その効果も副作用も俺自身が良く理解している!!


 だから俺は通常の二倍の量を投与していたのだ、これで200m13秒台と言ったところか……、ここに風のフォローも計算に入れる!!


 現在のフォロー風を計算に入れると俺の平均速度は57km/h!


 つまり、速度で言えば原付のフルスロット状態とほぼ同じ!


 この状態であの兎っぽいモンスターに体当たりすれば、それなりのダメージを与えられるはずだ、……それによく見ると兎っぽいモンスターにも戦っている女の子がそれなりにダメージを与えている様だ。


 これなら上手く行けば兎っぽいモンスターを気絶程度には追い込めるのでは無いだろうか?


 ……だが、まだ油断は禁物だ、何しろここは俺が知っている世界ではないのだから。


 俺は既に今の状態が転移によるものだと確信してしまっているのだ、それは俺が地面を蹴っているからだ。


 この感触は俺が夢の中にいるわけではないと教えてくれているのだから、それは何とも皮肉なことだ。


 何しろ俺が人生20年の内、約半分を費やしてきた短距離走と言う競技を通じて、この残酷な事実を実感しているのだから。


 だが同時に目の前で苦しんでいる女の子を助けると言うとてもシンプルな目標を立てることが出来た、そしてそれに向かって一直線に突き進んでいるのだ!


 目標まで後40m、……30m、……20m、……10m。


 兎っぽいモンスターがとうとう俺に気付きやがった、……だが、もう関係ない!


 それは、この速度で突き進めば1秒もかからず、あいつに体当たりできるのだから。


 ここからはより強い衝撃を伝える努力をしようじゃないか、この衝撃をなるべく狭い面積に集中させてやるんだ!!


「君はどいてるんだ!! うおおおおおおおおおおおお!!」


 俺は兎っぽいモンスターへ2mと迫ったところで進行方向に逆らわず跳躍しながら蹴りを繰り出していた、衝撃は伝える面積が小さい方が感じる苦痛が大きくなるはずだ!!


 そして俺は兎っぽいモンスターの額に蹴りを食らわせることに成功した!!


 だが次の瞬間に俺はその結果に驚愕することになる。


 ……何故かって?


兎っぽいやつが俺の蹴りを食らって破裂してしまったのだ!!


「きゃあああああああああ!!! ボーンラビットが爆発したああああああ!!」


 さっきまで兎と戦っていた女の子が悲鳴を上げて倒れてしまった!!


 これは……、どう考えても俺がびっくりさせたから気、絶をしてしまったんだよな?


 結果的に女の子を救うことは出来たが、俺はもしかしてこの子に対して癒されることの無いトラウマを植え付けてしまったのでは無いだろうか?


 それだったらちょっとマズいな……、ここに転移して何も持たない俺は、少なくともこの子に助けを求めたかったからだ。


「うーん、……俺の顔を見たら悲鳴を上げたりするのかな? それに兎っぽいモンスターが爆発したのは想定外だな、あれを食料として手に入れておきたかったんだけど。」


 俺は兎の粘液で塗れたスパイクを眺めながら、女の子の気が付くまでここで待つしかない、とため息を吐くのだった

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る