勝利の向こう側に

サトーマモル

勝利の向こう側に

 たがいに決め手を欠く中で、対戦相手が最後のカードをめくる。光の粒子りゅうしが広がる。

「お兄ちゃん、またそれ?」

 きらきらと散らばったものが集まって、攻撃こうげき的なフォルムを形作る。小さなひとみをぎょろりとかがやかせ、大きくねじれた二本のつのるう。

「いいだろ、これが強いんだから」

 次の瞬間しゅんかん、それは再び形を失うと、うず巻くけむりのような姿になって、相手のアバターへと吸いまれる。

「最近、莉子りこには勝ててなかったからな。今回も、勝たせてもらう!」

 カードとアバターとが完全に一体化する。黒々とした大きなつのが、単なるまぼろしとはちが圧倒あっとう的な存在として、私の前に立ちはだかる。

「さあ、行くぞ!」

 頭を低くして、真っすぐにっ込んでくる。

 『パーシステント・チャージ・ゴート』のスキルは、連続しての突撃とつげき。予備動作が大きく、途中とちゅうで曲がることもないので、これ自体はこわくない。落ち着いて回避かいひする。

 攻撃のモーションを終えると、相手はすぐに向きを変えて、同じスキルを発動する。私のアバターは、この攻撃もかわす。

 チャージスキルのカードは、足止めか加速、あるいは効果範囲はんい拡大スキルのカードと組み合わせるのが定石だ。今回は、そのいずれも使われていない。

「当たらないよ! このままげ切れば、私の勝ちっ!」

 そう言って挑発ちょうはつしてはみるものの、兄のことだ、何か作戦があるに違いなかった。

「まだまだ、ここからだ!」

 三度みたび突撃。これも回避。もう一度。また回避。突撃。回避。

「どうしたの? そんなんじゃ私はつかまえられないよ!」

 兄は答えることなく、無意味なおにごっこが続く。

 私はいい加減じれったくなって、最後の手札を準備する。

「じゃあそろそろ、こっちから……」

 そこではたと気付く。相手の位置。自分の位置。四角いコートの中で、アバターが今、どこに立っているか。

「……っ! リリ、お願い!」

『任せて……』

 ウサギの形をした白いかげ。『スウィフト・フリーイング・ラビット』が、私の最後のカードになった。スキルは、任意の方向への逃走とうそう

「これで……終わりだ!」

 決して広くはないコートの中、無数に引かれた、見えない直線。張りめぐらされた糸。

 間断のない攻撃が余裕よゆううばい、私のアバターは、コートの四隅よすみの一つへと誘導ゆうどうされていた。

「まだ終わりじゃない!」

 相手のスキルの予備動作が見える。私は逃走スキルを発動する。大きく距離きょりを取って、これで仕切り直しだ。

「いや、終わりだよ」

 頭を下げた姿勢のまま、相手は向きを変えた。スキルが発動される。


『対戦が終了しました。ぜんよーの勝利です』


「ちょっ! そんな!」


『アバターをアンロードしますか?』


  *


「ちょっとー。今のずるくない?」

 私の上げた抗議こうぎの声に、コートの反対側に立つ兄は、悪びれる様子もない。

「ずるくはないだろ。バグわざみたいに言わないでくれよ」

 そう言って苦笑くしょうしてみせる。

 もちろん、カードの仕様を知らなかった私が悪い。でも納得なっとく行かないなー。

「最初からその仕様だっけ? 途中から?」

「いや、今回のパッチから」

 不意に生ぬるい風がいて、それが、兄の短く整えられたかみも、公園の木々の葉っぱも、同じようにらしていった。

「きっと次のパッチで弱体化されるよ。絶対にそう!」

 だって、発動がおそくて向きも変えられないのが弱点なのに、これじゃ強過ぎるもの。

「あのー」

 コートの中でぐずぐずしていた私たちに、順番待ちの男子が声をけてきた。

「ああ、ごめんごめん」「今どきますー」

 私たちがコートから出ると、すぐに次の人たちが準備を始める。

 兄は、もうコートに背を向けて歩き出している。

 その背中に、ぶつける。

「お兄ちゃん。次は絶対に私が勝つから」


  *


 現実世界にCG映像を重ね合わせるAR(Augmented Reality、拡張現実)技術。そのCG映像を表示するための、眼鏡型の透明とうめいなディスプレイ、ARグラス。

 一般いっぱんの人でも買ってためせるような安くて実用的なモデルが発売されると、兄は、迷うことなく、その一台を入手した。

 最初は持て余している様子だったが、ある日、そのARグラスを身に着けた兄が、片方の手に何かを持って、私のところにやってきた。

 かれはこう言った。

「これ、莉子の分な」

 私たちのゲームが始まった。


  *


 二人で帰宅する。先に部屋に入った兄が、リビングルームの電気をつける。

「まだいいんじゃない?」

「いや、勉強するから」

「そっか。高校生は大変だー」

 私は冷蔵庫の様子を見に行く。足りないものはないと思うけど、もしあったら買いに行かないと。

「なーに言ってんだ。お前だってすぐに受験だ」

「受験ねー」

 作り置きのおかずは十分にある。母が用意したものだ。他には……。

「後で莉子の勉強も見るからな」

「えー、いいよー」

 自慢じまんじゃないけど、私の兄は優秀ゆうしゅうだ。勉強ができて、運動も得意で、クラスのリーダーとか任せられちゃうタイプ。

「そんなことより、さ。テレビ見よテレビ」

 いわゆるガリ勉とは違う。だけど、ふと見ると机に向かっている。高校は苦もなく進学校。

「おーい、邪魔じゃますんな」

 兄のすわっている目の前に、動画サイトの画面を張り付けた。位置合わせが正確じゃないけど、今回はうまく行ったようだ。

 画面を閉じようと、兄の操作するポインターが動いて、だけどそれが止まる。

「ほら、優勝したって」

「ああ」

 黒いオオカミを従えた、ロングヘアの女性。と言っても、年は私と同じくらいだ。

 今シーズンの国内プロリーグで負けなし。無敗の女王。

 普通ふつう、こういう対戦ゲームは、女性プレイヤーが圧倒的に少ない。それはこのゲームも例外ではない。

「莉子も……」

「何?」

「……才能あるよな」

 兄は画面を閉じた。

「さ、勉強だ勉強。莉子もそこ座れ」

「えー」


  *


 AR対戦ゲーム『AURAオーラ CARDカード MONSTERZモンスターズ』。

「うーん……」

 動物のカードを集めて、それぞれのカードに設定されたスキルを組み合わせ、専用のコートで戦う、アクションゲームだ。

「どうかなー……」

 深夜。自分のベッドの中。ARグラスの、光。

 あのヤギをなんとかしたい。それで今日は遅くまで攻略こうりゃく情報を調べている。

 本当は、別にここまでする必要はない。次のパッチまで待つか、強過ぎるカードを使用禁止リストに入れればいい。だけど。

「それはなんか違う……」

 勝ったことにならないような気がする。だけどそれも違う。

 最初は、このゲームで遊び始めたばかりのころは、こんなに勝ちにこだわることはなかった。その気持ちは今も変わっていない。

 勝ちたいわけじゃない。じゃあ私は何がしたいんだろう。


『デバイスの使用制限時間になりました。緊急きんきゅう通話以外の機能は無効化されました』


  *


 次の日の放課後。兄と待ち合わせて、いつものコートへと向かう。

「お兄ちゃんはさ、彼女かのじょとか作らないの?」

「うーん……作らないな、いそがしいし。どうした、急に」

 その忙しい高校生活の合間をって、妹とゲームで遊ぶ兄。

 シスコンかな?

「別に。お兄ちゃんって面倒めんどう見がいいから、モテるんじゃないかなー、って、思っただけ」

「そんなことないけどなー」

 仕事で不在がちな両親に代わって、ずっと一緒いっしょにいてくれた兄。

 一人になりたいこともあっただろうに、文句の一つも言わず、いつでも世話を焼いてくれた、お兄ちゃん。

「おっ、今日もやってるな」

「そりゃ、天気が悪くなければね」

 近所の公園。人が集まっている、その一角。ARグラスの会社とゲームの運営会社、それに自治体が共同で管理している、ARゲームのために作られた競技スペース。

 テニスコートよりも一回りほど小さな空間。その中央には『対戦ステーション』と呼ばれる小さな機械がめ込まれている。

 機械の中には無線の親機とモーションキャプチャのセンサーが入っていて、プレイヤーの位置や動きを正確に検知できる。

「莉子ちゃん、こんにちはー」

善陽よしはるさん、おつかれっす」

 顔見知りの人たちが声を掛けてくれる。私たちも挨拶あいさつを返す。

 今日は全部で十人くらいだろうか。見覚えのある人たちが半分くらい、残りは知らない人だ。

 順番待ちの人もいれば、ベンチに座って観戦、という人もいる。

 しばらく待つと、私たちの順番が来た。


  *


 無機質さを感じさせるなめらかな曲面が、プレイヤーの動きに合わせて不規則に揺れる。

 対戦ステーションのこちら側に私のアバター、反対側には対戦相手のアバターが立っている。

 私よりも頭一つ分くらい小さな、私の分身。うすい黄色に設定された体が、ゆったりと、始まりの合図を待っている。

「よーし、準備できたか?」

「うん、いつでも」

 兄のアバターは、目立ちにくい、灰色。その両足に、力が、込められる。

「よし……それじゃ、対戦開始」

「対戦開始」

『対戦を開始します』


  *


 スタートと同時にけてくる灰色の両足。すでに最初のカードが呼び出されている。

 アバターには武器を持たせられるが、このゲームではスキルの方が強力なので、何も持たせない人も多い。兄もそのタイプ。

 相手のカードは『フィアース・ストライク・タイガー』。攻撃力を上げる効果を持つ、シンプルなカード……だった。

 私のアバターは、短剣たんけんを突き出して、相手の動きを牽制けんせいする。同時に私は、自分の最初のカード、『フィットフル・スリープ・シープ』を呼び出す。

『おやすみ……メェー』

「おー、よく調べてるな」

 このカードの効果は、アバターが受けるダメージの軽減と、味方にれた相手を一定の確率でねむらせること。兄の出してきたカードへのカウンターに相当する。

 ヤギのカードと同じく、今回のパッチで、トラのカードも強化された。通常攻撃が二回連続攻撃になる効果が追加されたのだ。これは確率で反撃はんげきするようなカードとは相性あいしょうが悪い。

「なら、これはどうだ!」

 即座そくざに次のカードを出してくる。『ワイルド・インパクト・エレファント』。こっちは『スウィフト・フリーイング・ラビット』で対抗たいこうする。

 逃走スキルで距離を取った直後、相手のアバターの周囲に表示される、地面が揺れて盛り上がるエフェクト。

「それって、予告のつもり?」

「ああ。これでずるくはないだろ?」

 相手のカードのスキルは、打ち上げによる足止め。それと、すべての攻撃スキルの効果範囲拡大。

「ありがと。もうずるいなんて……言わない!」


  *


 ゲームも終盤しゅうばんに入った。

「どうした、今回も逃げてばかりだぞ」

「まだまだ、今回は逃げ切って勝つから!」

 兄は、現在の環境かんきょうで強いカードを出し続けた。こちらは防戦一方だ。

 このゲームでは、バランス調整や戦略の変化にともなって、それぞれのカードの強さも変わっていく。これを追い掛けるのは大変だ。

「それじゃ、これで最後だ」

 煙の中から、大きなつのが立ち上がる。もう既に頭を低くして構えている。

「ちょっ! いきなりだね!」

「当然だろ」

 こちらの動きを見て、相手もアバターの向きを変える。予備動作の時間を使い切ると、迷うことなく突進とっしんしてくる。

 間一髪かんいっぱつ直撃ちょくげきまぬがれるも、ゾウのカードの影響えいきょうもあって、私のアバターは少なくないダメージを負ってしまう。

「……ルル、出番だよ」

『おなかぺこぺこ』

 私の最後のカード、『トゥイステッド・プランター・スクヮレル』。攻防こうぼう一体の回復スキルを持っている。

「どういうつもりだ?」

 兄は少しだけ戸惑とまどった様子を見せたが、攻撃の手をゆるめることはなく、すぐに突撃の準備に入る。

 私のアバターは、足元に生み出されたドングリを拾う。すると、受けたダメージの一部が回復する。

 リスのカードのスキル。時々地面にドングリを落とす。自分のアバターがドングリに触れるとダメージ回復、相手のアバターが触れると爆発ばくはつしてダメージをあたえる。どちらの場合でも、ドングリは消費される。

「そんな量の回復じゃ、追い付かないだろ」

 相手のスキルが発動される。今度も直撃はしないけど、どうしてもダメージは入る。

 その次の攻撃では、相手がドングリをんだ。与えるダメージは微々びびたる量だ。

 位置取りには気を付けているので、すみっこに追いめられる、ということはない。だけど、こちらが受けるダメージは蓄積ちくせきされ、相手が受けるダメージは、ずっと少ない。

「そろそろ終わり……か?」

 兄は最後まで油断しなかった。彼は、このゲームを以前ほど熱心には遊ばなくなっていたけれど、少なくとも今回のパッチでは、本気で勝ちに来ていた。

「よし……次で……」

 だからその時、最後にドングリを踏んだ時。

「……まさか」

 彼のアバターが眠りに落ちて、大きなすきをさらすことになった時。

『逆じゃない……?』

 私は逃走スキルで相手のふところに飛び込むと。


『対戦が終了しました。りこぢゃよの勝利です』


「なるほど、な」


『アバターをアンロードしますか?』


  *


 兄は、私が後片付けを終えるまで、その場に立ちくしていた。だけど優秀な人だから、すぐに気持ちを切りえて、私に向かって話し掛けてくる。

「いつからだ?」

 ヒツジのカードのことだ。

「前々回のパッチだったかな」

 兄は苦笑いをかべた。そして、言う。

「そうか。やっぱり妹には勝てないな」


  *


 その次のパッチで、ヤギとトラには修正が入った。ヒツジは逆に強化されたけど、そのまた次のパッチで、元にもどされた。

 結局のところ、最後に勝つのはゲームを作っている会社なのだ。

 私は、ゲームでは兄に勝てるけど、他のことでは全然だ。

 勉強も、運動も、人付き合いも。

 だけどしょうがないよね。


 お兄ちゃん。いつもありがとね。また遊んでね。

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