第2話 アーサーの独白

 ガタガタと揺れ続ける馬車のせいで、胃の中のものがまた全部出る寸前だ。

馬車から降ろされたぼくの目の前には、ママに見せてもらった写真に写っていた、古い大きな城がそびえ立っている。

 ぼくはパパのお下がりのお気に入りのハンチングをかぶり直し、つばを飲み込んだ。

「……ここがママの生まれたお城か」

 昔、ママは実は名門貴族のひとり娘で、日本人のパパは付き合う事も許してもらえなくて、結局二人は日本へ駆け落ちする事になったと聞いたけど、こんなものすごいお城に住んでいたんならそりゃそうだろうなと納得してしまう。


 ぼくの名前は吉岡・アーサー=太郎。三日前に船の上で十歳を迎えたばかりだ。

 生まれ育った日本を離れ、長い船旅を経て、ここイギリスはサウサンプトンの港にたどり着いたのは今日の早朝のことだ。そこから鉄道に乗り、ロンドンを経て目的地に一番近い駅で出迎えてくれたのが、古めかしくて、でも見るからにお金がかかってそうな馬車だった。

 駅員さんが驚いた様に、あれはお城に住む大貴族の送迎専用の馬車だ、坊やいったい何者なんだと聞いてきた。いくらイギリスとはいえ、今の時代にここまでクラシックで豪華な馬車は珍しいみたいで、道ゆく人みんなが遠巻きにジロジロと見つめ、何やらひそひそ話をしているのがわかった。

 みんなの注目の中、乗り込むのには抵抗があったんだけど御者のおじさんに問答無用で放り込まれ、ひどく揺られながらようやくここまでたどり着いた頃には陽もすっかり沈みかけていた。


「アーサー様、どうぞこちらへ」

 大きな扉が開かれ一歩足を踏み入れると、広くて高い玄関ホールの天井には、夏祭りの時のお神輿ぐらいの巨大なシャンデリアがぶら下がっている。

 ぼくは、あれ、どうやって掃除をするんだろうかとか、落っこちちゃったらどうするんだろうとか、いらないことばかりを考えていた。

 ホールを中心として左右に階段が分かれ、ゆるやかなカーブを描いて二階へと繋がっている。階段の途中にもよく分からない馬に乗った騎士の像や、ちょうどぼくのうちの台所くらい、畳六畳分はありそうな大きな絵が飾られていて、どこもかしこも豪華でピカピカだ。

 呆然としていると、両側の壁にずらりと並んだたくさんのメイドさんがぼくに向かっていっせいにお辞儀をした。

「おかえりなさいませ、アーサー様」

 いっぺんに言われるとなんだか怖い。と言うか、ぼく初めてなんですけど。

「あ、はい。あのお、初めましてえ」

 われながら間の抜けた返事をしてしまい、しまったと思っていると、数人のメイドさんが駆け寄ってきてぼくのトランクを取り上げ、上着とハンチングをむしり取っていく。

「いや、あの、自分で持ちます。ええ、あ、そうですか、じゃあトランクと帽子はお願いします。いや、あの、ジャケットは大丈夫です、はい」

 勝手が分からずジタバタしていると、一部始終をじっと眺めていた執事のレスターさんが、しびれを切らした様に声をかけてきた。


「どうぞこちらへ、アーサー様。ご親族一同、随分とお待ちです」

 そんな事、ぼくに言われても困るよ!船と列車と馬車に言ってよ!と思うけど

「はい、あの、すいません」としか言えない。


 レスターさんの後をついて長い廊下を歩きながら、ぼくはここまで履いてきた慣れない革靴のせいで痛いつま先になるべく体重がかからない様にモソモソと変な歩き方をしつつ、日本を出発するときにママとした約束を思い出していた。


 お祖父ちゃんを守るんだ、これは偉大な魔法使いの血を引くぼくにしかできないことなんだって。

 でも…ポケットの中の組み木細工の箱をギュッと握りしめながら

 ぼくは思った。


「そんなの絶対無理だよおおおおおお」


 パパとママと、小さな妹の顔が浮かんできた。

 なんだかお腹も痛くなってきた。

 ごめんなさい、ママ。ぼくもうお家に帰りたいです。

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