第4話

「牡丹! 起きなさい!」

「……ううん、ゆーちゃん、朝ご飯できてる……?」

「ここは学校よ!?」


 この方が猪苗代牡丹さん? ゆーちゃんとは百合子さんでゆーちゃんということでしょうか。

 信濃川さんは横たわった彼女を立ち上がらせようと、腕をとって無理やりに引っ張り始めました。小柄な信濃川さんに対し、横たわる女性は大変に背が高く、そのアンバランスさはなんだか微笑ましい様子に見えます。


「貴女が担当の新入生を連れてきたのよ!」

「……なんですと!?」


 猪苗代牡丹さんと思しき女性は急に立ち上がり、しゃんとした様子を見せます。そして一度背を向けて、振り返りながら右手を差し出して言いました。


「名は牡丹ぼたん、姓は猪苗代いなわしろ。貴女のエルダー猪苗代牡丹とは僕のこと」


猪苗代さんはいわゆる


「ええと、どちらの子が鹿島の久留里ちゃんか……ああ、巻き毛が可愛い君だね」


ほんの一瞬、驚いたようなお顔を猪苗代さんは見せました。


「はい、私が鹿島久留里です。よろしーー!?」


 急展開。お返事をするや否や猪苗代さんに手を引かれ、その御身に抱き留められてしまいました。


「すんすん。なるほど覚えた、久留里のくーちゃん」


 ああ、急展開から更に一大事! お胸に顔を引き寄せられ、そのまま頭頂部の匂いを直接嗅がれてしまっています!

 息が苦しく、私の鼻腔もまた猪苗代さんの香りで満たされていくことを感じます。頭がぽうっとしてきたのは酸素の供給が追いついていないから、きっとそう。


「うーん、甘いシャンプーとおろしたての制服の匂い。たまらん」

「やめてあげなさい! 久留里さんが苦しそうでしょう!」


 私は信濃川さんによって、ようやく救出に至りました。相花ちゃんはそんな私をケラケラと笑っています。

 嗅ぐことが物足りなかったのか、猪苗代さんは不服そうなお顔。改めて彼女のお姿を拝見すると、高い上背に腰まで伸びた艶やかな黒髪、メタルフレームの眼鏡を輝かせる淑女という印象を覚えます。


「牡丹、後輩たちの入学式だというのに、またここでサボっていたのね」

「いやあ、陽気が僕を誘うんだよ、ここで寝ると気持ちがいいよって。折角誘われたんだからお昼寝の一つくらいしていかないと、失礼ってものじゃない?」

「入学式にいない方が久留里さんに失礼でしょう!」

「確かに、ぐうの音も出ないほどに正論だ。ごめんね? くーちゃん」


 突然に話を振られて、いえいえと手を振るくらいしか私には出来ませんでした。猪苗代さんは素直に頭を下げてくださいましたが、信濃川さんは不満気なご様子。


「貴女はもう……! 私だけならともかく、周りにまで迷惑をかけるのはやめなさい!」

「はーい」

「それに久留里さんも!」

「ひゃい!?」


 裏返りました。私は何か粗相を致しましたでしょうか……?


「次に会ったら下の名前で呼ぶって言ってくれたじゃないの! どうして呼んでくれないの!?」


 ーー覚えててくれた?


「覚えててくださったんですか?」


 思考と言葉は直結していました。


「当たり前でしょう! 新入生名簿で名前は見かけた時からずっと嬉しかったんだから!」

「ご、ごめんなさい信濃川さ……」

「もう知らないから!」


 ああ、最後まで呼び方を間違えてしまいました。だから機嫌を損ねてしまっていたのですね。信濃川さんはお顔を真っ赤にして図書室から走り去ってしまいました。と、思いきや。


「各自教室に戻ること! 初日のお昼ご飯はエルダーと担当で一緒に食べること! 以上!」


 扉から顔だけ出し、そう言い残して今度こそ立ち去って行きました。気が昂っていても責任感は忘れない、そういう方なのですね。


***


「久留里は信濃川さんと知り合いだったの?」

「うん、去年に一度だけ会ったことがあるの」

「そっかあ……」


 相花ちゃんにもご迷惑とご心配をかけました。これに懲りずに、これからも仲良くしてくれるといいな。


「くーちゃんや」

 猪苗代さんが神妙な面持ちで私に声をかけました。


「今日のお昼は百合子と、そこの、相花ちゃん? の四人で食べようか」

「是非お願いしたいです! ありがとうございます猪苗代さん!」

「うむうむ、よいのだよ。そして、僕も牡丹でいいよ?」

「は、はい。牡丹さん」

「よくできましたー!」


 こうして、また牡丹さんによって抱きしめられてしまう私なのでありました。お昼ご飯、その時には信濃川さん……ではなく百合子さんにキチンと謝らなくてはいけません。

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