第3話
依然として大学ではサークルは勿論、友人関係も構築されることはなく、ただ一人講義を受け、小テストを受ける日々なのだった。週一回ではなしに、毎日、通う事となってもこの状況が改善もとい破壊されることは無いかに思えた。
あくまでも自分のペースでもって、世に言う青春を刻一刻と体感した。友人が一人もいない孤独は、古風でいて清楚な、年を考えさせないのに年相応の麗しさ漂う美代子さんによって慰められた。
公私いずれも、同年代には揶揄の目で見られることは明らかだったが、彼にはそれこそが、自分の力で自分の人生を生きているという冷たくも確実な実感があった。
そんな彼にも弱点はある。彼のストイックさは、他人から見れば、立派でもあり、また独善的でもあった。つまるところ、自分の考えることに対しては善を見出すが、嫌なものには見向きもしなかった。
その最たるものが仕事だ。
彼はまだ学生であるため、ニートと呼ぶわけにはいかないが、精神性は非常に似通っている。
彼は集中力はあるものの、同時に、複雑的に全く異なる物事に精を出すと、途端に人生への憎悪を増大させ、この世への嫌悪ゆえに、廃人寸前にさえなりかねない男だった。
しかしながら、美代子さんに贈り物をしたりするにはお金がいる。
仕送りで何とか暮らしてきた彼が、不倫に財源を空にするのはあまりにも愚からしく、自身でもそれを回避すべくアルバイト広告を見ていた。
そこでお眼鏡にかなったのは、塾講師。
「え、塾の先生になるの?」
「なれるかは分かりませんけどね」
「やっぱりカオルくんって賢いんだね」
「あまり謙遜し過ぎるのもこの場合よろしくないですね」
「ふふ、生徒さんもお馬鹿な先生は嫌だものね」
文学部に通っている身としては、やはり国語なんかを教えられたらいいかなと思って、僕は善は急げと電話を掛けた。
この際、もう一つ弱点を挙げるとすれば、僕は電話をかけること、そして着信音が苦手だった。
実際、電話をかけるのは、マナーが確立しているため、それほど難しくはないのだが、不思議と緊張感がほぐれることはないのだった。
着信音は恐怖とまでは言わずとも、嫌なものとしては自認していた。
総合すると、電話の最中はそれほどだが、通話が開始されるその瞬間こそ、僕にとって、ストレスのかかる時間なのだ。
そんな話を以前、美代子さんとの行為を終えて、ベッドで語ったのだが、どうやら彼女はそれを覚えていたようで、僕がカバンからスマートフォンを取り出すと、彼女は突然、僕の左手を握った。
「きっと大丈夫だよ」
その時ばかりは流石に恥ずかしかったが、これでまだ電話にたじろいでいたなら、なお一層情けないので、すぐさま電話をかけた。
「来週の火曜日だって」
「そうなんだ、応援してるよ」
通話が終わっても僕らの手は離れなかった。むしろ、緊張の途切れからくる反動もあって、僕は彼女を引き寄せた。
「さっきしたでしょ」
夕飯も終え、面接電話も終え、本来であれば僕はもうそろそろ帰宅する。
だが、左手に数分間感じていたこの温もりと、溶け合って境界線が無くなるかのような快感は、再び僕を刺激し、彼女を求めないではいれなかった。
「もう一度したい」
手を握られていたからか、あまりにも幼げな物言いだが、それが年上の女性には心くすぐられるのか、結局は許して、またもや
これが浮き世のさだめだ。
「じゃあ、明日は頑張ってね」
一週間たって、月曜日の晩。美代子さんは僕をまるで夫のように励ましてくれる。最初は他の人に見られたら厄介だと、そそくさと出入りしていたのに、玄関が閉まるや否やハグ、別れるとなれば、年甲斐もなく寂しそうに手を引く。
そんな可愛らしいところもまた魅力的なのだが、妙な噂がたてば、旦那さんが帰省した際、非常に面倒なことになる。
その覚悟が無いのなら、もとから不倫などすべきではないのだが、いかんせん、彼女は独身のように毎日一人なので、世間の不倫とはわけが違う。
僕が糾弾されるのは当然だが、美代子さんにもしもの事があってはならない。だから、できるだけ隠し通すのだ。それが固く結ばれた愛を示すと信じて。
「ありがとう」
平凡なやり取りだからこそ、僕にとっては欠落していた対人というものを謳歌している気になれたのだった。
そうして僕は、翌朝、入学式以来のスーツ姿をして街へ出た。
早めに行動する僕は二本早い電車に乗るべく駅へと向かうと、そこにはなぜだか美代子さんが待っているではないか。
「どうしてここに」
「スーツが見たいなって。嫌だった?」
「そんなことはないけど、何だか不思議な気分だよ」
「私も。ねえ、こうしたらホントに夫婦みたいじゃない?」
からかったような目をしながら、シワ一つ無い袖に手を組む。
僕はこのままどこかへ行きたくなった。彼女とこのまま、腕を組んで遠いどこかへ。
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