夏の上澄みに君がいる

明日乃鳥

夏の始まり

 涼しさなんて感じる間もない強烈な暑さの中、僕は目を覚ました。親に言われるがまま空調の効いた部屋で勉強ばかりしていたが、夏にはこうして田舎の祖父母の家に預けられた。

 勉強が嫌いなわけではなかったけれど、何もかもが無意味に感じられるこの田舎のことが僕は好きだった。迎えにきた祖母の車に母が大量の課題を積んでいるのを見たが、祖母はそれを車から降ろさなかった。

「ご飯を食べたら遊んでらっしゃい」

 祖母はそう言って毎年、朝ごはんを食べるとすぐに僕を追い出した。

「あそこに行ってみよう」

 家を出てすぐに感じる胸を締め付けられるような思いと淡い高揚。思い出される情景。

 見慣れた記憶とわずかに異なる景色の田舎道を僕は歩いた。強烈な夏の匂いがする。

 古びた神社の鳥居をくぐる。日差しが遮られて、涼しい風が肌を撫でた。

 絶え間ない蝉時雨を全身で浴びながら木々の間を抜け、捲れ上がったフェンスの下を潜って通り抜けると開けた場所に出る。人工的なものを感じない自然そのもの。遠くに目を凝らすとぽつりと小さな建物が見える。

 そこを目がけて日差しのなかを進む。都会よりも幾分かましとはいえ、強い照り返しのある舗装もされていない道を歩く。目を細めるとそこで何かが動いたように見えた。心臓が跳ねる。暑さも気にせずに駆け出す。そして建物の手前で一度立ち止まり、呼吸を整えた。

 一歩一歩近づく。

 そして建物の中が見える位置まできて、僕の目は確かに彼女を捉えた。

「あ!」

 少女がこちらに気づいて建物から飛び出してくる。喜びと安堵が一挙に押し寄せる。

「今年も会えたね!」

 元気に笑う彼女の姿に僕も笑みがこぼれる。

「暑くて死にそうだよ」

「都会の子は弱いなぁ。中は涼しいよ」

 扉もないバスの待合所。ベンチ一つ分にだけ屋根がかかっている。

「一年ぶりだね」

「正確には十一ヶ月ぶりだけどね」

「どっちも同じようなものでしょ。細かいことは気にしなーい」

 ノースリーブの白いワンピースに麦わら帽子をかぶった姿は昨年八月の終わりに見た姿と全く変わっていなくて少し安心した。

「飲む?」

 彼女は水滴のついた大きなペットボトルを掲げながら言った。見慣れた柄。彼女が毎日持ってきていたサイダーだ。

「うん」

 固くしまったキャップを開けようと力を込める。

 プシューーーー

「うわぁ」

 勢いよくあふれ出した中身に変な声が出てしまった。

「あははははは」

 彼女はそれを見て大笑いしている。辺りに甘く爽やかな香りが広がる。

「やられた……」

 肌についた液体が熱をわずかに奪っていった。

「ぷはぁ」

 喉の渇きを癒すように大量に飲むと、その冷たさと炭酸の爽快感が最高に気持ち良かった。

 隣に並んで座り、遠くを眺める。

「変わらないね」

 もうバスが来ることはないバス停。錆びついて何も読めなくなった時刻表を見ながら言った。

「そうだね。でも変わらなかったからまた君に会えたのかも」

 そんなことを言う彼女の顔を見て僕は言った。

「まずは何する?」

 迷う素振りも見せずに彼女は答えた。

「まずは川に行こ!」

 まぶしい笑顔の少女を見て僕は思った。


 今年も夏が始まる

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