154.搾取された者


 大きな通りを抜け、一本、路地に入る。足裏の感触が変わった。道が舗装されていないのだ。

 道の両側に立つ家々が、次第に戸建てのものから長屋のもの、集合住宅のものへと様子が変化していく。肌に感じる空気や匂いが、だんだんと饐えた重さを持つようになっていた。


 俺はウィガールースの地図を頭に思い浮かべる。大通りや商店街、街の出入口からも離れたこの区域は、いわゆる貧民街だ。

 ウィガールースは交通の要衝なので、たくさんの人々が訪れる。それは富と変化を街にもたらすけれど、同時に、富める者と貧しい者との格差を生んでしまう。どうしようもなく。


 かく言う俺も、ギルド・バルバを追い出された当初は、ここに身を寄せることも本気で考えていたのだ。

 ウィガールースは治安が比較的安定しているから、貧民街と言えど無条件に危険ということはないのだが……。


 気になるのは、仮にもいちギルドのギルドマスターたるミウトさんが、貧民街に居を構えている理由だ。流れの冒険者ならともかく、ギルド連合会支部からの支援もあるはずだから、生活基盤はそれなりに整っていると思ったが。


「驚かれましたか、やはり」


 俺が浮かない顔で辺りを見回していることに気付いたのだろう。ミウトさんが振り返って言った。

 あまり踏み込んではいけないと思って言葉を濁していると、ミウトさんの方から語りかけてきた。


「ご覧の通り、この区画で生活する者は皆、貧しい者ばかりです。怪我や病気で稼げなくなった者、事業に失敗して職を失った者、根無し草として流れてきた者、そして……搾取された者」


 最後の一言に、ミウトさんの暗い感情が込められていた。


「イストさん、実は私ね。以前はもう少し大きなギルドを預かっていたのですよ。大手というわけではないですが、そこそこ良い立地で、それなりに活気があって、素晴らしい仲間たちに恵まれたギルドでした」


 俺は黙って耳を傾ける。ミウトさんの歩く速度はゆっくりだった。


「ですがあるとき……所属冒険者の些細な失敗を問題視され、私のギルドは圧力をかけられるようになりました。ギルド連合会に突き出す代わりに、お前たちの拠点を差し出せ、と。今から思い返せば、ギルド連合会が必ずしも私たちに不利な裁定を下すとは限らなかったのに、当時の私は怯えて屈してしまいました。ウィガールースで五指に入る相手のギルドの大きさに……」

「まさか、そのギルドというのは」

「はい。ゴールデンキングです」


 ミウトさんは立ち止まった。夕暮れの空を見上げる。周囲の建物に遮られ、沈みゆく夕日を見ることは叶わない。


「後でわかったことですが、我がギルド所属の冒険者のミスというのも、向こうが仕組んだ罠でした。まんまとギルドの土地を手に入れたゴールデンキングは、建物を取り壊し、大きな倉庫に変えてしまいました。中で何を保管しているのか、知りたくもありませんが」


 再び歩き出す。


「根こそぎ奪われた私たちですが、全てを失ったわけではありませんでした。残ってくれた心ある同志の助けを借りて、小さいですが拠点を再建し、連合会へ再度ギルド設立の許可をもらいました。それが今のギルド、アリャガです」

「そうだったのですか」

「地下水路へご案内したとき、裏庭が手つかずのままだったでしょう。あれは、古参の冒険者の方が苦労して見つけた空き地に、突貫で拠点を建てた名残なんですよ。最初は土地全部があんな感じで、柱一本立てるのにも苦労しました。はは」


 苦笑するミウトさん。口元の引きつり具合で、どれだけの苦労だったかうかがい知れる。


「ゴールデンキングから要求された賠償金を支払うため、私たち夫婦は住んでいた場所を売り払いました。仲間や冒険者たちに金銭的負担まで負わせるわけにはいきません。そうして行き場をなくしていたところを、この区画に部屋を用立ててくれたのも、仲間たちです。本当に彼らには頭が上がらない。その恩に報いるため、アリャガでは精一杯やろうと誓いました。ギルド連合会支部からの支援は、できるだけ職員や冒険者に還元するようにしています」


 集合住宅の入口で立ち止まる。しばらくミウトさんは口をつぐんでいた。俺からは彼の後ろ姿しか見えない。その肩が震えていた。


「だというのに……私はまた! ゴールデンキングの元研究者という男を受け入れてしまった。そして案の定、奴は私たちのギルドを実験台に使った。あれほど酷い目に遭わされたというのに、奴らの存在を目の当たりにすると、どうしても身体が、気持ちがすくんでしまう!」

「ミウトさん……」

「今回の騒動、半分は私の責任です。私はどうしようもないほどの凡夫……大事な子どもたちに被害が及んだのは、その罰なのでしょう。それを無償で救って下さったイストさんには、感謝の言葉もありません。本当に」


 微かに嗚咽が聞こえた。だがすぐに彼は顔を上げ、目元を拭う。次に振り返ったときには、ぎこちない笑みが戻っていた。


「申し訳ない。つまらない愚痴をこぼしてしまいましたな。さ、ここが我ら一家の住む集合住宅です。部屋までご案内しましょう」

「お邪魔します」


 ミウトさんに続き、集合住宅の入口をくぐる。独特のこもった空気が鼻を突いた。軋みを上げる階段を一段一段上りながら、俺はゴールデンキングへの怒りを募らせていった。


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