98.○○になったレーデリア


 ――どのくらい気を失っていただろう。

 目を覚ました俺の視界に入ってきたのは、あんせきしょくに染まった夕暮れの空と、影を帯び始めた一本の樹のこずえだった。


『マスター! 気がつきましたか!』


 すぐそばからレーデリアの声がした。

 身体を起こす。俺のかたわらで、黒馬のレーデリアが四肢をたたんで横座りしていた。ちょうど、俺を護るような姿勢だ。


「すまん、レーデリア。ありがとう」


 礼を言いつつ、記憶を掘り起こす。


 赤髪ツインテールの少女ノディーテ。彼女に抱きつかれてから、記憶がぷっつりと途切れている。

 全身の力が抜けて――あれは、そう。まるで生命力が吸い取られたような。

 でも、俺が気を失う寸前、ノディーテは心配して声をかけていなかったか?


 ハッと顔を上げ、辺りを見回す。

 木陰にいるのは俺とレーデリアだけ。ノディーテの姿はない。


『あの少女――ノディーテから全力で逃げてきました。マスターを連れて』


 俺の疑問を読み取ったかのように、レーデリアが応える。


『あのままだとマスターが干からびてしまうのではないかと思い、つい……』

「……そう、か」

『う、うわああああん! すみませんマスター! 我はまた勝手な行動を取ってしまいましたぁ!』


 俺の微妙な反応を誤解したのか、突然泣き出すレーデリア。


『やはり我はゴミ箱ォッ! しかも底が抜けて役に立たないゴミ箱もどきぃ!』

「お、落ち着け。落ち着けって。誰も責めたりしないから」


 レーデリアの額の球体をでる。


「むしろお前がいてくれて助かったよ。気絶した俺を、ここまで運んでくれたんだからさ。改めて礼を言わせてくれ。ありがとうレーデリア」

『マスター……!』


 よかった。泣き止んでくれた。

 どんな姿になってもレーデリアはレーデリアだな。

 そんな彼女を微笑ましく見つめていると――。


「……ん? ……んん?」


 俺は目を細める。

 彼女の核である球体がぼんやりと発光しはじめたのだ。


「お、おいレーデリア。どうした?」


 光は強くなっていく。


『ううううう』


 低く長く声を漏らすレーデリア。いよいよただ事ではない。

 焦った俺の目の前で、パチンと光がはじけた。


『ぷはぁっ! すー、はーぁ』


 止めていた息を吐き出し、深呼吸する


「……え?」

『あ、マスター。どうも、です』


 そう言ってレーデリア――


 目と鼻の先に、人形サイズの黒髪の女の子が浮かんでいた。


 絵本に出てくるような丸っとした手足、前髪で半分くらい隠れた目元、心なしかうつむき加減の姿勢。

 見覚えがないのにいつも見ているような、この雰囲気……!


「レーデリアなのかッ!?」

『わきゃう!?』

「ああ、すまん。驚かせた……って、マジかよ」


 本当にマジか。

 俺は視線をずらす。黒馬レーデリアもちゃんとここにいる。

 けど、よく見ると額の球体は指先ほどにまで小さくなっていた。


 ――ってことは。核となる球体から、自分の分身となる人形を作り出したってことかよ。


『あのう……どう、でしょうか?』

「いや、そりゃあ、可愛い、けども」


 本当に可愛いけども。

 いったいどうなってる?


『えっと。レベルアップしたマスターから凄い力が流れ込んできて、こんな姿になることができました。なので凄いのはマスターです。我のようなゴミ箱なんて百万年経ってもこんな真似は』


 レーデリア人形はもじもじと手をいじりながらうつむいている。

 うん、そうだな。レーデリアが人間だったらきっとこんな感じだよ。

 突然の出来事に圧倒されながら、「じゃあ、この馬の方のレーデリアは……」と尋ねた。


『我の身体の一部なので自由に動かせますが、本体は我です!』


 まるで質問に答える生徒のようにきちんと手を上げるレーデリア。

 自由に動かせることを証明したいのか、黒馬の尻尾をブンブン振る。

 俺は思わずつぶやく。


「すごいな……」

『すごいのはマスターです! 我のようなゴミ箱は――あっ!?』


 人形レーデリアの身体が光に包まれ、不意に消える。

 代わりに黒馬レーデリアの額にある球体が、元の大きさに戻っていた。


『あうう……まだ長い時間、あの姿を維持することはできないみたいです……ゴミ箱ぉ』

「無理するな」


 また球体を撫でる。

 それにしても、本体を人形化――か。

 いつか、人間と変わらない姿に変身できたりしてな、レーデリアは。


 立ち上がる。少し立ちくらみがしたが、我慢できそうだ。

 グリフォーさんの館に帰るまでは大丈夫。


「そういえばレーデリア。俺が目を覚ますまで待たずに、そのまま館まで戻ってよかったのに。もしかしてお前も体調が悪いのか」

『あ、あの。そのう……』

「ん?」

『……マ、マスターが気絶してるのに、おめおめ街に戻って……もし誰かに問い詰められたら……。我は、我は……上手く切り抜けられるわけがないのです……切り抜けられるわけがないのですぅ!』


 二回言ったよこの娘。


『そ、それに』

「それに?」

『いえっ、いえいえいえ! 何でもないです、何でも! 我のようなゴミ箱にはれいせんばんな願いなので!』


 ガクブルするレーデリア。俺は首を傾げた。


 黒馬の首を軽く叩く。


「戻るか」

『は、はい』


 レーデリアにまたがり、並足でゆっくりと街に向かう。すでに外壁がはっきりとわかるところまで戻ってきていた。

 人もまばらな街道で、俺は一度振り返った。夕日に照らされた平原、リマニの森はもう見えない。


『服従の呪い』をかけられていた娘、か。


 彼女はいったい何者なのだろう。

 精霊? それともモンスター?

 どこから来たのか。目的は何か。ノディーテの言葉を信じるなら、彼女は人間と友好関係を結びたがっている。だが、彼女ほど力のある存在が、なぜ人間と。


 ノディーテはこちらを追ってきていないらしい。

 もしかしたら、もうウィガールースに入っているのではないか。

 彼女に『服従の呪い』なるものをかけたのは、いったい誰か。


【障壁】越しにノディーテの魔法の威力は体感している。それほどの遣い手をはんきょうらんおちいらせるほどの呪いだった。なまなかなモノではない。

 呪いをかけた者は、ノディーテを『服従』させて何をしようとしていたのか。


 ――とりとめのない思考がめぐる。

 何の気なしに眉間を触ってみる。深い溝ができていた。


 これじゃあ、せっかくの休息が台無しだな……。


 眉間のしわをもみ消す。子どもたちに心配かけないようにと思う一方、今日もまた安眠とはいかないだろうなと俺は思った。


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