94.お散歩デートの誘い


 おパーティから一夜が明けた。


 グリフォー邸に割り当てられた部屋で、俺は重いまぶたを上げた。窓から差し込んでくる日差しはもうかなり強い。


 ――寝過ごしたか。


 上半身を起こす。何だか身体も重い。眠いわけではないのに、気分がシャキッとしない。


「精神的な疲れってやつかな。ここのところ色々あったし」


 はぁ、とため息をひとつ。

 それから気を取り直すため、頬を勢いよく張った。

 こんな顔を子どもたちに見せるわけにはいかない。気合いだ気合い。


 身なりを整え部屋を出る。

 玄関ホールは何やらにぎやかだった。


「あ! イストせんせー、おはよー!」


 ミティが俺に気付いてブンブン手を振る。今日はいつにも増して元気だ。


「今日はね、みんなでキノコ狩りにいくの!」

「ああ、なるほど。だからその格好なのか」


 汚れてもいいように厚手のズボン、手袋、そして大きな帽子。真っ白な歯をのぞかせて、ミティは満面の笑みだ。

 この子だけでなく、ホールには主だったエルピーダのメンバーが揃っていた。どうやら、ミティを心配して付いていくつもりらしい。


「イスト様、お加減はよろしいのですか?」


 駆け寄ってきたルマが心配そうに言った。俺の手を握る。


「いつもより遅いご起床。わたくしは心配しておりました。もしや、体調でも崩されたのかと」


 ほら、こんなに手が冷たい――と両手でさすってくれる。

 俺はいた手でルマの頭をでた。


「心配してくれてありがとう。ちょっと疲れてただけだから、大丈夫さ」

「しかし。明らかにお顔の色が優れません。やはり私が残って身の回りのお世話を」

「待ってくださいルマさん。それでは約束が違います。うらやましい」


 ガシッ、と銀髪ポニーテール少女の肩をつかむフィロエ。アルモアたちも寄ってくる。


「今日くらいはイストをゆっくり寝かせてあげようって話だったでしょ」

「姉様がいないとあたしにゃき泣きそう」

「あらあらまあまあ」

「む!? だーかーらっルマさん!? どさくさに紛れてイストさんの手を握りしめないでください!」

「フィロエ。あなたもよ」

「ねーさまー」


 ――うん。騒がしい。

 いつもどおり元気な皆で安心した。

 俺はそっとルマたちの手をほどく。


「ほら、行ってこい。あんまりミティを待たせたら可哀想だろ。頼りになるお前たちが一緒なら安心だ。俺もゆっくり休んでいられる」


 フィロエたちは顔を見合わせた。そこへダメ押しのように俺が背中をぐいぐい押すと、彼女らは渋々ミティのところへ歩いていった。

 仲良く出かけていくエルピーダの家族。その後ろ姿。玄関口で手を振りながら見送った。


 やがて皆の姿が道行く人々にまぎれて見えなくなると、俺は首筋をほぐした。ああいかん。まだ本調子じゃない。

 空を見上げる。今日もよい天気だ。


「気晴らしに、俺も出かけようかな」


 目を細める。

 が、すぐにじゅうめんになった。


 ――出かけるったって、どこへ?


 魔王クドス討伐後、なんやかやと人助けを続けていたこともあって、俺はすっかり街の有名人になってしまっていた。道を歩けば必ず声をかけられてしまう。

 数日前、フィロエとの勉強会から帰ってきたときなんか最たる例だ。

 ひとりで街に繰り出してゆうに食事――なんてのはたぶん無理。お店の人に余計な気遣いをされてしまう。


 にぎやかなのは嫌いじゃないんだ。

 けどさ。


「やっぱこういうときは、静かにのんびり過ごしたいよな……」


 空に向かって大きなため息をつく。

 仕方ない。今日は部屋で大人しく寝ていよう。

 きびすを返す。そのときひづめの音がした。


『マスター』

「おはようレーデリア。お前は皆と一緒に行かなかったのか?」

『我はマスターの従者であり運命共同体ですから。……ハッ!? また我はゴミ箱のぶんざいで身の丈に合わないたいげんを……!?』

「言ってない言ってない」


 思わず笑ってしまう。やっぱりレーデリアはレーデリアだ。


『ごほん。あのうマスター。我は先ほどマスターのつぶやきを耳にしたのですが……静かに過ごしたいのですか?』

「ん? ああ、そうだな。特に最近、精神的なストレスのせいかどうも元気が出なくてさ。のんびり静かに散歩でもして気分転換できればと思ったんだ。しかし、なかなか」

『マスターは有名人でいらっしゃいますから』

「有名になるつもりはなかったんだがなあ」


 苦笑しながらぼやく。

 頭をいていた俺は、ふと、その手を止めた。

 レーデリアの身体から、黒っぽいもやが溢れ出したのだ。


『マスター。差し出がましいことを申し上げてざんえないのですが』

「レーデリア……?」

『我と……その。?』


 もやが晴れる。

 そこに居たのは一頭の美しい黒馬。


 額に輝く球体で、レーデリアだとわかる。

 しかし、『至聖勇者の鉄馬車』たらしめたも、も、どこかに消え去っていたのだ。


 ぜんとしていた俺は、ハッとして思い出す。


「レーデリアの変身能力か!?」

『きょ、今日の我はマスターの馬です』


 ブルブルとたてがみを揺らしてみせる。


『荷台を引いたままだと、街の中では目立ってしまうのではないかと』

「いや、それはそう、なんだが。なあレーデリア、お前の中にあった孤児院エルピーダは」

『ごご、ご安心を! 【空間拡張】により今も我の身体の中にあります。いつでも元に戻せますから……ってまた我は! なんと偉そうな! ゴミ箱が自信満々にのたまうなど!』

「ああ大丈夫。大丈夫だ、そういうことなら」


 いや驚いた。

 レーデリア、いつの間にこんなことができるようになっていたのだろう。

 すらりとした馬体がゆっくりと近づく。


『マスター。どうぞお乗りください。街の外へ、我がご案内します』

「レーデリアが連れて行ってくれるのか?」

『は、はい。実はマスターがゆっくり過ごせそうな場所に心当たりがありまして……ああ! もちろん我のようなゴミ箱の提案など一蹴して下さってまったく、いっこうに、一片の非もなく構わないのですが!』


 変わっているのか、いないのか。

 世にも珍しいレーデリアからのお誘いに、俺は頬をゆるめた。


「それじゃあ、お願いしようかな。楽しみだ」

『お……おおおぉぉぉぅ……マスターの、期待感、が……ッ!』

「くれぐれも無理はするなよ?」


 若干の不安を抱きつつ、レーデリアの背に乗る。シンプルな見た目のくらに腰を下ろすと、驚くほど身体に馴染んだ。


『で、ではっ! 行きます!』


 レーデリアの脚が力強く石畳を蹴った。


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