95.過去の出逢い、今の遭遇


 ウィガールースを出て街道を走ると、緑の青さが目に染みた。太陽の光を受けて力強く輝く草木。疲れた精神の栄養剤だ。

 風を感じる。そくで進むレーデリアの揺れが気持ちよい。


 時刻はお昼前。

 俺とレーデリアは、街道をまっすぐ北へ向かっていた。


 かつて孤児院エルピーダがあった場所に来る。そこで一度、祈りをささげた。

 レーデリアが連れてきたかったのはここではなかったようで、彼女はさらに走った。孤児院跡からすぐ北東にあるリマニの森に入る。

 樹々がごうかいに切り取られた直線の道を俺たちは進んだ。


「懐かしいな」


 馬上で俺は微笑んだ。

 まだエルピーダのメンバーが俺とフィロエ、そしてレーデリアだけだったとき、【閃突】で切り拓いた道だ。

 まさか自分が再び利用することになるとは。


「レーデリア。もしかしてお前が案内したい場所って」

『は、はい! 我とマスターが初めて出会ったところです』


 少し浮かれた口調で返事がくる。

 リマニの森の奥。聖なる水をたたえる滝のほとり。

 俺たちはそこで出会い、主従契約を結んだ。

 もう遙か昔のように思える。

 葉や土の匂いが濃くなり、肌に心地良い冷気を感じるようになる。


 聖なる滝は、かつてと変わらない姿でそこにあった。


 俺は無意識のうちに深呼吸する。腹の中によどんで張り付いた空気がすすがれ、内蔵の隅々まで活力が戻ってくる――そんな表現が大げさに思えないほど、気持ちよかった。

 水音に隠れるこずえのざわめき。時間が、倍くらいゆっくり流れているように感じる。


 滝壺のほとりに腰かけ、街を出るときに買ってきたパンを食べる。程良くいた腹にちょうどよい。


「レーデリア、座ってゆっくりしたらどうだ? ここには危険もないし」


 俺のかたわらに立ったままの黒馬に声をかける。

 額の球体がびびび……と細かく震えた。おそれ多い、とかそんなことを考えているのだろう。俺は苦笑しながらパンをかじった。


「今日はありがとう、レーデリア。おかげでいい気分転換になった」

『よかったです』

「それにしても、ここを選ぶなんて盲点だったよ」

『我にとって……ここは始まりの地ですから……』


 首を上げ、滝を見るレーデリア。


『ここでマスターと出逢っていなければ、我は今頃どんな存在になっていたか』

「レーデリア?」

『ここをマスターと共に訪れることで、主従関係を結んで頂いたときの初心を思い出せると思ったので……すみません、マスター』

「なにも謝ることはないさ」


 言いながら、俺はレーデリアの横顔を見つめた。

 瞳、それと耳が、彼女の不安を表すようにあちこちを向く。


 もしかして彼女自身も、ここ最近の自らの変化を自覚しているのではないか?

 だからわざわざここに来て、自分のを確かめようとしたのではないか?


「謝ることはないさ。なにも」


 俺は繰り返した。

 そう、謝ることはない。自分を見つめ直すなんて、最高に人間らしいじゃないか。

 俺にできるのは見守ること。

 そして、人よりもずいぶんと自己肯定感が低いこの子を、どこまでも受け入れ、認めてあげること。

 それだけだ。


 実に冒険者らしくない。

 俺が本当にやりたかったことを思い出させてくれて、むしろお礼を言いたいくらいだ。


 目を閉じ、滝の水が水面を叩く音に耳を澄ませる。

 まるで血が全身を巡る音のようで、気持ちを落ち着かせると同時に力も湧いてくる。

 うん。充分に、回復できた。


『マスター』


 ふと、レーデリアが呼ぶ。

 目を開けると、黒馬の顔が明後日の方向を向いていた。

 さっきまでと雰囲気が違う。


「どうした」

『お気をつけて。なにか……来ます』


 立ち上がる。

 ゆっくりと辺りを見回した。獣、モンスター。いずれの姿も見えない。


 レーデリアに目配せし、たんそうを生成してもらう。

 漆黒のそれを静かに構える。

 ギフテッド・スキル【槍真術】は永続スキルだ。『サンプル』の使用制限とは関係なく、常に発動した状態にある。


 どこから来る? なにが来る?

 状況に変化がないまま一呼吸、もう一呼吸した。


『――――ッ!』


「うおっ!?」


 突然、東の方から誰かの叫び声がした。少し遅れて地面が揺れる。

 俺とレーデリアは樹々に向かって身構えた。


『――――ッ!』

『――――ぅッ!』

『――に――わぁッ!』


 だんだん近づいてくる。

 それにともなって地面の揺れも強くなる。


 推測する。何者かが叫び声を上げるたび、強力な魔法が発生しているのではないか。地面の揺れはそのせいなのでは。

 余波で地震を起こす魔法なんて、そうそう使えるものではない。


 しゃにならない奴が、来るか。

 果たして――。


『お――は――ようッ!』


 張り詰めた空気にそぐわないが、周囲の樹々を根こそぎ吹き飛ばした。

 破片を漆黒槍で打ち落とす。


 土煙の向こうから現れたのは――女の子、だった。


 赤い髪のツインテール。

 フィロエと年は同じくらいか、少し上に見える。

 けれど……この子をただの少女と言っていいのか。

 右腕に不釣り合いなほど大きなガントレット。

 全身から噴き出す赤と黒のオーラが、とてつもなくまがまがしい。


 この感覚には覚えがある。

 ウィガールースを絶望の淵に叩き込んだ魔王クドス。それも、人型形態のとき。名だたる冒険者たちを威圧し、すくませた、あの圧力だ。


 この子は少なくとも、人間じゃない。


 少女はうつむかせていた顔をゆっくりと上げた。

 整ったかんばせに凄絶な笑みを浮かべる。いや、笑みというより……狂気そのもの。


『強い奴、見つけた』


 赤と黒のオーラが一回り大きくなった。


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