92.レーデリアの変化
「さっきの人、すごく失礼でしたね!」
頬を膨らませながらフィロエが
「イストさんにあんな横暴な態度を取って! シグードさんにも!」
「俺はフィロエに対して無礼だと思ったね。大丈夫だったか?」
「確かに、ジロジロ見られて気持ち悪かったです……」
シグードさんはアガゴと距離を取っていろと言っていたが、次会う機会があったなら一言抗議してやろうと思った。
正面玄関を出る。支部の前庭はとても広く、整然と整えられた石畳の上に周囲の建物の影が濃く落ちていた。
『マスター!』
呼び声に振り返ると、立派な鉄馬車――レーデリアがコッ、コッと駆け寄ってきた。
確かレーデリアはグリフォーさんのところで留守番していたはずだが。
『お迎えにあがりました』
「ああ、ご苦労様。でもお前からわざわざ来てくれるなんて、珍しいじゃないか」
ネガティブと控え目を形にしたような彼女だから、指示無しに自分から積極的に何かをしようとはしないはずだ。
それだけ
「ねえレーデリアちゃん」
ふと、フィロエが馬体の首筋に触れた。
「なんかさ、一ヶ月半前の戦いからイストさんにくっつきすぎじゃない?」
不満気だ。
するとレーデリアがトコトコと俺の側まで近づいた。そして俺の右肩に額を当てる。
「レーデリア?」
『う……』
「おい、どうした。何か身体に異変があるのか? 苦しいのか?」
『う、う、うわあああっ、我としたことが、我としたことがぁー!』
突然
『我のようなゴミ箱が、なんと大それたことを! 寂しさを
「レーデリアちゃん、さっきもくっ付いてたよね。もしかして無意識?」
『うわああああん、すみまぜんんんー!』
いつものレーデリアだった。もはや見事と言えるネガティブぶり。
広場の真ん中で泣き続ける漆黒の馬を、フィロエが慣れた様子でなだめた。そういえば、フィロエは俺と同じで一番付き合いが長いものな。それだけ愛着もあるし、レーデリアを泣かせてしまった負い目もあるのかもしれない。
「……無意識、か」
俺は右肩を撫でる。
以前のレーデリアなら、あんな風に積極的にスキンシップを取ろうとしなかった。
フィロエが言うとおり、彼女は少しずつ変わってきているのかもしれない。魔王討伐がきっかけなのかはわからないが、「誰かと繋がりたい」って気持ちを表に出せるようになってきたのは、歓迎すべきことだと俺は思う。
すっかりいつもの様子に戻ったレーデリアに乗り、俺たちはグリフォー邸への帰路に
そろそろ仕事が終わり、街の人たちも
目抜き通りには人が増え始めていた。
「おっ、イストさんじゃないか。お疲れさん!」
ゆっくりと道を進んでいると、街の人から次々に声をかけられた。
「ウチの店に寄っていかないかい? サービスするよ」
「すみません。今日はもう帰ろうかと。またの機会に」
「イストの旦那。今日もキマッてるねえ! ひっく」
「あはは……どうも」
「イストさまぁ! 今日こそは私を【エルピーダ】に!」
「申し訳ない。ギルド連合会ならきっと良いところを紹介してくれるよ」
「イストさーん!」
「イスト!」
「イスト様!」
――今日は何と言うか。
特に色んな人に声をかけられる……。
「むふふ」
「嬉しそうだなフィロエ」
「もちろん。イストさんが皆に認められることは、私自身の喜びですから! さすが最高最強、
「ハハ……」
乾いた笑いが漏れてしまう。
俺は冒険者よりむしろ孤児院の先生だ、って常々言ってるんだけどな。特にフィロエ、君にはもう何十回言ったか。
街の人たちから温かく声をかけてもらえるのは本当にありがたい。けど正直言うと、ちょっと疲れた。精神的ストレスという奴か。
隣に座るフィロエを見る。
「やあ、どうもどうも!」
本当に嬉しそうに手を振っている。
フィロエをがっかりさせないように、俺はため息を呑み込み、そっと肩を回した。
『マスター……』
レーデリアがこっそり話しかけてくる。俺の様子に気付いたのだ。
俺は人差し指を口に当てた。レーデリアはもどかしげに震えた後、馬車のスピードを少しだけ上げた。
◆◇◆
それから三日後。
ついにお
会場は連合会支部ではなく、特別に手配された街の
入口まで遠いよ。噴水
最高ランク冒険者が誕生したとあって、この日はウィガールースの上流階級がほぼ一通り顔を揃えるという。
正直勘弁して欲しい。
昨日は緊張でろくに眠れなかった。シグードさんがかつて味わった苦悩を身をもって知る。
迎賓館へはレーデリアで向かった。俺の希望だ。せめて途中までは心落ち着く場所に居たかったのだ。
『我が……我がこのようなキラキラした場所に……あばばば……あばばば……』
――俺たちの平穏と引き換えに、レーデリアが半ば壊れている。すまない。本当にすまない。
ついに迎賓館の入口前に到着してしまった。
腹を決める。
「皆、行こう」
呼ばれたのは俺だけではない。魔王クドス討伐に特別な功労があったエルピーダ所属の冒険者たち――フィロエ、アルモア、ルマ、パルテも一緒だ。
彼女たちは色とりどりのドレスに身を包んでいた。
フィロエは緊張と期待が半々といった表情。ドレスが珍しいのか、しきりにスカートの表面を撫でたり、長手袋をさすったりしている。「似合ってますか?」と俺に聞いてくる。もう十回目だ。
アルモアは俺以上に緊張している様子だった。ドレスの
一方、エルピーダの面々の中で最もドレスを着こなしていたのがルマである。連合会から支給された借り物のドレスが、まるで最初から彼女専用にあつらえられたように
同じように、双子の妹のパルテもドレスが身体に馴染んでいた。姿勢、歩き方が姉とそっくりである。ただ、表情に関しては不機嫌そう。そういえば、ドレスを着ること自体を渋っていた。理由はよくわからない。
至聖勇者の鉄馬車から降り立った俺たち五人を、静かなどよめきと感嘆の
俺は皆の先頭に立って、迎賓館入口の階段を上った。
星の輝きを宿した水晶が、一歩進むごとに胸元で揺れた。
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