82.フィロエ・アルビィを討伐せよ


「大事な話……ですか」


 俺はちらりと空を見る。この暗闇のどこかにフィロエがいると思うと、居ても立ってもいられなかった。


「すみません。今は急いでいるので」

「それはフィロエ氏のことかね」


 枯れた声はシグード支部長のものだった。

 冒険者に背負われた彼の顔が、松明たいまつの光を受けて浮かび上がる。後ろでアルモアが息を呑んだ。


 かつて彼女を震え上がらせたとき以上の死相が、支部長の顔に張り付いていたからだ。


「大事な話とは他でもない。フィロエ氏のことなのだよ」


 それはどういうことだ。

 失踪したフィロエのことを、なにか知っているのか。


 そのとき、空が急に明るく輝いた。

 目を細めながら見上げると、上空に球体の照明魔法が打ち上げられていた。

 光は街のあちこちから上がる。あっという間に昼間のように明るくなった。

 そこで気付く。街の方からざわめきが聞こえてくる。


 これは――悲鳴と、怒号……?


「こっちにも来たぞぉーっ!」


 突然、後方の冒険者が叫び声を上げた。

 ここからでは見えなかったが、明らかに戦闘と思われる金属音や怒鳴り声が聞こえてきた。


 いや、一瞬だけ――人の形をした真っ黒いすすが冒険者のひとりに切り伏せられるのが見えた。

 でもあの姿、どこかで。


「イスト様! ご無事ですか!?」

「イスト!」


 騒ぎを聞きつけ、ルマとパルテも館を飛び出してくる。


 シグード支部長は冒険者の背中から降りると、おぼつかない足取りで俺のところまでやってくる。

 ほねった手で、俺の二の腕を強くつかんだ。


「時間がない。手短に言う。君たちも戦列に加わってくれ。目標は煤人間とそれを操る本体――フィロエ・アルビィの討伐だ」

「……いま、なんて?」

「フィロエ氏を、我々の敵として討伐せよと言った」


 くらり、とへいこうかんかくを失いかけた。

 俺の横ではアルモアやルマ、パルテも絶句している。


 シグード支部長の息が荒い。立っているのもつらそうだった。

 ろうこんぱいの支部長に代わり、グリフォーさんが言葉を継ぐ。


「ボスの【夢見展望】が、この騒動の元凶がフィロエだと教えてくれたんだよ。俺も半信半疑だったんだけどな」


 グリフォーさんが空を見上げる。視線の先に、照明魔法に照らされた人影が浮かんでいた。

 すらりとした手足。長い髪。時折キラキラと反射する金色の光。

 遠くからでも、それがなのだとわかった。


「あれを見せられちゃあ、腹をくくるしかない。今、ウィガールースの全域にフィロエの姿をした煤人間が現れて暴れている。誰かに操られているのか、それともあの子が持ってる力の暴走か……いずれにせよ、このままだとヤバイ。今すぐ動かないともっと手遅れになる」

「手遅れって……いたっ」


 支部長の指先が俺の皮膚に食い込む。じんじょうじゃない力の入れようだった。


「予知は……もうひとつある」


 血走った目だった。


「フィロエ氏を夜のうちに討伐できなければ……。私の予知は、そこで止まった。もう住人たちを避難させる時間もないのだ」

「なん……ですって……」

「イスト・リロス。これはギルド連合会ウィガールース支部長としての『命令』だ。フィロエ・アルビィを討伐せよ」


 言葉を返せなかった俺の代わりにパルテが噛みついた。


「命令って、そんな無茶苦茶、聞けるわけないでしょ!」

「冒険者ギルド【エルピーダ】は我らギルド連合会の所属だ。正式な命令を拒むことは許されない」

「なっ……!」


 絶句するパルテ。

 俺は唇を噛んだ。


 そのときふと、肩を叩かれる。いつの間にかミテラが後ろに来ていた。

 小声で耳元にささやいてくる。


「イスト君。辛いだろうけど、ここは冷静になって。ギルド連合会の正式な『命令』を拒否するということは、最悪、【エルピーダ】そのものの解体に繋がりかねない。少なくとも、ギルドとしてこの街にはいられなくなる」

「……」

「子どもたちを路頭に迷わせるわけにはいかないわ。それを忘れてはだめ」


 けんげきの音が激しくなってきた。

 煤人間は次から次に地面から湧いてくる。ついにはグリフォーさんも戦いに加わった。


「イスト! お前もギルドマスターなら、覚悟を決めろ! いま、お前が守らなきゃいけないものはなんだ!」


 豪腕を振るい煤人間をなぎ倒しながらグリフォーさんが叫ぶ。


 目の前には、苦悩の末にここに来たのであろうシグード支部長の顔。

 両脇には、不安で瞳を揺らすエルピーダの少女たちの顔。

 脳裏には、これまでずっと一緒だったフィロエの笑顔が浮かんだ。


 ――子どもたちを路頭に迷わせるわけにはいかないわ。

 ――いま、お前が守らなきゃいけないものはなんだ!


 俺は大きく、息を吸った。そして息を吐く。


 かつて俺を導いてくれた恩師ならどうするだろうと考えた。

 答えはすぐに出た。


 俺はふところに手をやり、冒険者タグの水晶を取り出した。

 シグード支部長に手渡す。


「これはお返しします。あわせて、ギルドマスターの地位も」

「なに……?」

「俺はもう冒険者でも、ギルドマスターでもない。ひとりの……孤児院を預かる先生として、フィロエを救います」


 二の腕をつかむシグード支部長の手をそっとはずす。


「だから、あなたの命令は受けない」

「なんと……」


 今度はシグード支部長が絶句する番だった。


 俺は後ろを振り返り、ミテラに「すまん」と言った。

 小さな頃から姉代わりだった女性は、意外にも優しい笑みを返してくれる。


「わかった。シグード支部長の説得は任せて。……行ってらっしゃい。フィロエをよろしくね」


 俺は一瞬だけ微笑み、すぐに表情を引き締めた。


「レーデリア! 聞こえるか! お前は館の皆を守ってくれ!」


 叫ぶ。

 直後、館の入口に『至聖勇者の鉄馬車』が駆け付けた。


『お任せを、マスター。あとはご随意ずいいに』


 頼もしい言葉にうなずき、俺は走り出した。


 すると、すぐ後ろを誰かがついてきた。

 アルモア、ルマ、パルテの3人だった。空からはアヴリルも戻ってくる。


「ま、それでこそイストね」

「イスト様のお心のままに」

「あたしたちはあたしたちの好きにやらせてもらいましょ」


 三者三様の言葉。ありがたかった。

 俺は腹の底から叫んだ。


「行くぞ! 俺たちでフィロエとこの街を救うんだ!」

「はい!」


 待ってろ、フィロエ。

 今行く。



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