80.異変の前触れ


 グロッザの言葉を聞いて、子どもたちもキョロキョロと辺りを見回す。

 ティララが俺のすそを引いた。俺はうなずく。


「皆、とりあえず中に入ろうか。居間で話をしよう」


 俺たちの様子から察したのだろう。

 子どもたちの表情が、不安そうにくもった。


 居間に向かうとき、メイドさんがそっと提案した。


「お飲み物をお持ちします」

「ありがとうございます。グリフォーさんは?」

「旦那様はシグード様に呼ばれ、ギルド連合会支部へ行かれています。少し、お帰りが遅くなっているようですが」


 なにかあったのかな。


「私たちは別室におりますので、なにかあればお声かけください」


 館の皆さんの気遣いをありがたく受けながら、俺は子どもたちに相対した。

 ソファーや椅子に座った彼らは、祈るように俺を見ている。

 俺はまず、皆の不安を取り除くために微笑んだ。


「リギンは今、別の土地で元気に頑張っているよ」

「別の土地?」

「エラ・アモで探索者レンジャー試験に合格したんだ。そして、今度は自分の足で世界を見てみたいとリギンは言っていた。……リギンはね、エルピーダから独り立ちしたんだ」

「それってつまり」


 いつも一緒にいることが多かったナーグが身を乗り出す。


「あいつ、ひとりでエルピーダを出たってことかよ」

「ひとりじゃないよ。試験を通して、頼れる仲間を見つけたみたいだった。今はパーティを組んで旅をしているはずさ」

「リギン、もう帰ってこないの?」


 そうたずねたのはステイだった。


「すぐに戻ってくることは、ないだろうな。ただ、向こうで独り立ちを祝う会を開いたとき、あいつは何度も言ってたよ。『ありがとう』ってな」

「……そっか」


 シン、と場が静まる。

 やはり皆もすぐには受け入れられないか――そう思っていると、ふいにステイが大きく背伸びした。


「あーあ、結局リギンの奴が自立一番乗りかぁ。ぜったい私たちの方が早いと思ってたのに」

「別に競争じゃないよ、ステイ」


 グロッザが言う。落ち着いた少年の顔には苦笑が浮かんでいた。

 ナーグが勢いよく立ち上がる。


「つーか、あいつ薄情モンだな。せっかく旅に出るなら、こっち帰ってから行けばよかったのによ!」

「それ言えてるー。私らお祝いできないじゃーん」

「ミティはね、ミティはね」


 最年少の子がぴょんぴょん跳ねる。


「キノコ料理ひとつ、作れるようになったよ! リギンおにいちゃんが帰ってきたら、ごちそうするの!」

「そーだな。あいつが帰ってきたら嫌というほど祝ってやろうぜ」

「そーだそーだ」

「自立した後の暮らしぶりも参考になりそうだからね。話を聞いてみたいよ」

「私らも負けてらんないね!」

「だから競争じゃないんだよ?」

「……リギンが名を上げる前に、バルバの改修、終わらせなきゃ」


 ミティ、ナーグ、ステイ、グロッザ、そしてエーリ。

 俺は驚くと同時に感動していた。


 この子たち、ちゃんと前を向いてくれている。

 いつか社会に出て行くということを、考えてくれている。

 そうなったら、また「ありがとうございました」って言われるのだろうか。


 やば。今から涙が出そうだ……。


『みんな色々考えてるんだねえ。すごいや』


 俺たちの様子を見ていたホウマが感心半分呆れ半分で言った。


『ボクたちは自立なんて当たり前だからさ。キミたち人間がときどきわからなくなるよ』


 まあそれ以上に――とホウマはちらりとフィロエを見た。

 金髪少女はエルピーダの子どもたちの輪には入らず、カップに注がれた紅茶の水面をじっと見つめている。


『自立したくないって気持ちは、もっとわからない』

「ホウマも気になるのか。フィロエのこと」

『そうだね。なんでだろうな』


 のんに欠伸をする猫精霊。


 そうこうしているうちにフィロエは席を立ち、自室がある2階へと上がっていった。


「イスト君」


 あとを追いかけようか迷った俺をミテラが呼び止める。


「私が話をしてくるわ」

「すまん。頼んだ」

「ええ。他の子をお願いね」



◆◇◆



 夜が来た。

 ひととおり騒いで落ち着いたのか、子どもたちはそれぞれ納得した表情で自室に戻っていた。

 居間には俺とホウマのふたりだけ。猫精霊は丸まって寝息を立てている。

 シグードさんはまだ館に戻ってきていない。

 メイドさんが気を利かせてれ直してくれたコーヒーをちびちび飲んでいると、2階からミテラが降りてきた。


「思ったより精神的にこたえてるみたいね、フィロエ……」

「やっぱりミテラもそう思うか」

「『イストさんの元を離れる未来が想像できない』って言ってた。茶化すわけじゃないけど、本当に愛されてるわね。イスト君」

「俺にはもったいないほどのいい子だよ」


 ミテラが隣に座る。

 大人の距離感だ。


「あの子が望むのは新しい世界や希望あふれる未来じゃなくて、ずっと今の暮らしが続くことなんだと思うわ」

「やはりそうか……俺は院長として、孤児院の狭い世界じゃなく、もっと自由に飛び立って欲しいって思うんだがな」

「それは私たち大人のエゴじゃない? イスト君、院長先生の肩書きにこだわりすぎだわ」


 手厳しい。

 だがそのとおりかもしれない。


「……そうだな。ミテラの言うとおりだ。実はさっきもずっと考えてたんだ。俺はフィロエと向き合っているつもりでいて、そうではなかったかもしれないって」


 コーヒーを飲み干す。


「明日、様子を見て俺からも話してみるよ。フィロエが望むなら、ずっとここにいていいんだぞって」

「うん。あと必ず伝えてあげてね。がどう思ってるか」


 カップをソーサーに置いた。

 かちゃんと陶器が鳴る音にホウマが飛び起きる。


「ああ、悪い。驚かせてしまった」

『イスト。大変。これヤバいよ』

「は? なにがヤバいんだ?」


 目を見開き、瞳孔も大きく開いて天井をえている。

 猫精霊の急激な変化に、俺はミテラと顔を見合わせる。


 そこへ、2階から誰かが駆け下りてきた。かなり慌てた様子で居間に飛び込んできたのはアルモアだった。


「さっきアヴリルの様子が変だったから、部屋を見に行ったの」

「部屋? 誰の?」

「フィロエ! そしたらあの子、いなくなってたのよ。窓が開けっぱなしだった」


 外はもう真っ暗闇だ。ましてや、フィロエはひとりで出歩くような娘じゃない。


「見間違いかもしれないけど……窓のところに黒いもやみたいなのが浮かんでた。すぐに消えてしまったけれど」


 にわかに嫌な汗が出てくる。


「アヴリルは?」

「まだ遠くに行ってないと思って、追いかけてもらってる」

「よし。俺たちも行こう。ミテラは子どもたちを」


 俺はアルモアとともに館の玄関へ走る。


 ところが、一歩外に出てすぐに足を止めることになった。

 広い庭に、松明たいまつを持った冒険者たちがずらりと並んでいたからだ。


 彼らの先頭に立っていたのはグリフォーさんだった。

 そしてなぜか、彼の隣には別の冒険者に背負われたシグード支部長の姿もある。


「遅かったか……」


 シグード支部長のつぶやき。

 とっさに状況が理解できないでいる俺たちに、グリフォーさんが言った。


「イスト。大事な話がある」


 抜き身の大剣のような、重々しく鋭い声であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る