7.感謝と尊敬の眼差し
それから俺たちは、エルピーダ孤児院から北東にあるリマニの森にやってきた。
切り立った山の側に広がる、静かで美しい場所だ。
なぜこんなところにやってきたかというと、フィロエが「怪我の治療にぴったりの場所があるんです!」と主張したからだ。
――そういえば、ずっと昔に院長先生から聞いたことがあったな。リマニの森には、聖なる力が宿った水が流れているって。何でもモンスターの邪気を払う効果があって、街道に
俺がエルピーダ孤児院にいた頃は、森に入るときは必ず院長先生も一緒で、一人で勝手に奥まで行くことはなかったから、実際にその聖なる水を見たことはないのだけど。
遠く野鳥が鳴く声を耳にしながら、フィロエの後ろを付いて歩く。すると、長い金髪が機嫌良さそうに跳ねる様子がよく見える。
森の奥にずんずん進んでいく。良くも悪くも怖い物知らずな娘、ということだろう。
モンスターの気配はない。聖なる水が効いているのだろう。
さて。これからどうしようか。
孤児院を頼れないとなると、完全なノープランになる。フィロエを預かる身として、このままでいいはずがない。
温かい食事と寝床。彼女が安心できる環境を早急に整えること。それが俺の役目だ。
最初にすべきは――いや、むしろこちらから――。
「イストさん!」
「うおっびっくりした。どうしたフィロエ」
気がつくとフィロエが引き返して俺の顔をじっと見上げていた。
「イストさんこそ、どうしたんですか? ずっと黙ってます。……傷、すごく痛みますか?」
「いや、傷は我慢できる程度だから大丈夫だ。悪いな、考えごとしてたんだ」
「考えごと?」
「これからのことさ。俺はお前を引き取った。だから俺には責任がある。少しでも早く安心できる寝床と腹一杯の食事をお前に用意してやりたいんだ。それが俺の役目だ。しかしなあ、金とか場所とか、諸々足りないことだらけで」
――そこまで言ってしまってから後悔した。フィロエは孤児院ではもう年長者だが、それでも保護対象の子どもに大人の愚痴をぶちまけてはいけないだろう。
「……嬉しいです」
「ん?」
「私のこと、そこまで考えてくれてたなんて。感激です!」
「え? いや」
「それにさっきのセリフ。『用意してやりたいんだ』って、何だか格好良かったです! 雰囲気出てました!」
雰囲気ですかい。
「やっぱりイストさんは凄いです。憧れます。私、イストさんのような大人になりたいです」
キラキラ――と純粋そのものの瞳で俺を見つめる娘。
そんな顔をされては、俺もこう答えるしかない。
「フィロエの期待を裏切らないよう頑張るよ……」
「私も頑張ります。だから今日は任せてください。しっかりきっちりイストさんを案内してみせま――」
ぐううぅぅ。
鳥の声にも負けないくらい盛大に腹が鳴った。
満面の笑みを硬直させたまま赤面するフィロエ。俺は頬を緩め、自分の腹を叩いた。
「お腹空いたな。先に、何か食べ物を探すか」
「で、でしたらっ!」
我に返ったフィロエが、勢いよく近くの樹を指差す。
そこには、大人の頭ほどある大きな実がなっていた。薄くグラデーションがかかった
「キソの実です。すっごく甘くてボリュームたっぷりで、あれひとつでお腹いっぱいになれますよ!」
「うん。確かにでっかいな」
俺はうなずいた。得意げにこちらを見上げてくる少女にたずねる。
「でもアレにはそこそこ強力な幻覚作用があったはずだけど」
「え?」
「え、じゃない。ほれ、他に食べられる果実はたくさんあるから、一緒に集めよう」
――その後も、フィロエは事あるごとに空回っていた。何としてでも俺の役に立とうとしてくれているのは伝わってくるのだが。
「あ、イストさん。ウサギです、お肉です! ここは私に任せてくださいっ。いくぞギフテッド・スキル【閃と――」
「うわあ待った待った! 肉ごとこの辺りが吹き飛ぶから! 俺がやるって。この小石を使って……それ、スキル【遠投】」
「凄い! 一撃で仕留めた!」
――という感じで、先走るフィロエを俺がフォローして、そのたびに尊敬の眼差しを向けられ称賛されるという、これまで経験したことのない賑やかな時間を過ごした。
小休止を兼ね、焚き火を囲って肉を食う。
こんなに明るくて素直な娘が、「死んでも構わない」と考えるほど追い詰められていたのだ。今のエルピーダ孤児院の環境がいかに子どもたちにとって良くないか、端的にわかるというものだ。
きっと、こんな風に誰かと食事した経験がなかったんだろうな。
「イストさん?」
「何でもない。しっかり食べな」
「イストさんが狩ってくれたお肉、美味しいです!」
「そうか。よかった――痛っ」
滴った肉汁が腕の傷口にかかり、思わずうめく。
するとフィロエが血相変えて飛んできて、布きれで丁寧に汚れを拭ってくれる。なぜか「ふー、ふー」と息を吹きかけてきて、微妙に傷に
「癒しの川に急ぎましょう」
手早く焚き火を片付けたフィロエは、再び先頭に立って歩き出す。
雑草をかき分け、獣道を進むこと約10分。
せせらぎの音とともに小川が姿を現す。幅は2メートルほど。流れはゆっくりだ。木漏れ日を反射して、水面が輝いている。
川のほとりに膝を突き、両腕をゆっくりと水に
ゆっくりと痛みが取れていく。傷痕も少しずつだが目立たなくなっているようだ。これなら完治も早いだろう。
一安心したのも束の間、俺はフィロエの様子がおかしいことに気付いた。さっきまで嬉しそうにしていたのに、いつしか笑みは消え、真剣な表情に変わっていたのだ。
「やっぱりおかしい……」
「どうしたフィロエ。おかしいって、何がだ?」
「前に見たときは、もっと川の水は透き通っていたというか……こう、雰囲気があったんです。聖なる水って言われるのに相応しい神秘的な輝きが」
言われて川面に視線を向ける。確かに、心なしか濁っているようにも見える。
「傷の治りも、もっと早いはずなんです。……やっぱりおかしいよ。もしかしたら上流で何かあったのかも」
不安と苛立ちで爪を噛むフィロエ。
「何か上流にあるのかい」
尋ねると、彼女はうなずいた。
「聖なる川の上流に、滝があるんです。凄く、凄く綺麗な場所で、私のお気に入り。イストさんに見せたくてここまで来たのに」
「わかった。じゃあ一緒に様子を見に行こう」
聖なる水の異変は、俺たちの安全確保を考えると他人事ではない。
フィロエを促し、俺たちは小川に沿って上流へと急いだ。
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