5.いじめていた者への答え
振り返ると、線の細い少年がこちらに走ってくるところだった。いっぱしにも、抜き身の剣を持っている。
後ろには2人、付き従えている。
思い出した。フィロエの後方で腰を抜かしていた子たちだ。フィロエと同年代だろう。
皆、少し痩せ気味なのが気になった。ちゃんと食べているのだろうか。
一時は生きる気力を失っていたフィロエといい、俺の記憶にある孤児院の子どもたちとはずいぶんと違う。
先生に、何かあったのだろうか……?
「ナーグ」
剣を持つ少年を見て、フィロエがつぶやいた。
怯えている。さっきまで生き生きと輝いていた瞳に影が差している。
「おいフィロエ。どういうつもりだ。こんな見ず知らずのおっさんにモンスターを横取りされるなんて、オレの言ったことを忘れたのかよ」
「忘れてはない。けど……」
「口答えすんなよ。オレはお前に、モンスターをおびき寄せろって命令したんだ。せっかくオレが声をかけてやったのに、ホント使えない女だな! まあ……あんなでっかい奴が出てくるとは思わなかったけど」
おいおい少年。ずいぶんな言い草だな。
さっきまで後ろの方で震えていたのはどこのどいつだ。
「だいたい、お前みたいな役立たずで才能のない奴が、スキル持ちのオレと一緒にいられるだけでもすごいことなんだぞ。分かってんのか?」
「……」
「分かってねえみたいだな。これはまた、じっくりと教えてやらないといけないな」
フィロエの肩がびくりと震える。
視線を地面に向け、
「少年。ナーグといったか。いくら何でも言い過ぎだぞ。同じ孤児院の仲間だろ」
「うっせえクソ野郎! 邪魔だからさっさと失せろよゴミ! 小汚いおっさんが!」
おおい、マジかよ。
どうなってんだ孤児院の教育。
あまりに極端なキレ具合に、俺は怒りも忘れて呆気にとられた。
しかし相手は本気だ。血走った目と怒る肩、少年の後ろにいる二人がオロオロし始めた様子でそれとわかる。
「今すぐフィロエから離れろよクソ。じゃなけりゃ、オレのスキル【全力攻撃】でぶっ殺してやる。アンタよりオレの方が強いってところを見せてやるよ」
ふーむ。スキル【全力攻撃】とな。
確か、戦士適性のある人間が初期に覚える汎用スキルだったか。
汎用スキルは単純レベルアップで覚えられるもの。となるとナーグ少年のレベルは、おおよそ5か6といったところ。
だからって生身で剣の刃を受ければタダじゃ済まないが。
次から次へとぶつけられる罵倒に、俺は困惑しきりだった。
よほど俺がフィロエと一緒にいたのが気に入らなかったらしい。
もしかしてこいつ、フィロエのことが大好きなんじゃないか?
いやいや。
だからと言って好きな子を危険なモンスターの囮に使おうって性根は大いに問題ありだ。
俺の経験上、この類の人間はパーティの中で真っ先に信頼を無くして
「食らえ! スキル【全力攻撃】!」
仕方ない。とりあえず一度かわして、指導代わりのゲンコツを――。
「ギフテッド・スキル【閃突】」
瞬速の突きと美しい光刃がナーグの身体スレスレを通過した。
少年の身体は無事だったが、着ているものはそうはいかなかった。剣を振り上げた格好のまま、上も下もただの布きれと化して落ちる。
俺の隣で、フィロエが木の棒を突き出した姿勢で止まっていた。
気のせいだろうか。彼女の長い髪が逆立っているように見える。
「許せない」
先ほどまでと打って変わって、凄みのある少女の声が漏れる。眉が急角度を描き、強烈な視線がナーグ少年を射貫いた。
「さっきから聞いていれば、イストさんを馬鹿にして。
「ふ、え……?」
ナーグはようやく自分の身に起こったことに気付いたようだ。
ズタボロになった衣服。一歩間違えば、地面に散らばっているのは自分の皮膚や肉だったかもしれないと悟った彼は、その場に崩れ落ちた。
眉間に棒の切っ先を突きつけ、フィロエが雄々しく宣言する。
「ナーグ、私はあなたを許さない! もうあなたの言いなりにはならない! あなたに怯えたりなんかしない!」
「うわあああ……っ、嫌だああぁっ……」
好きな娘に拒絶されたショック。
死を身近にして感じた恐怖。
立場が一瞬で逆転したことによる混乱。
自慢だった己のスキルよりもさらに強力無比なスキルで圧倒されたことによる敗北感。
諸々が重なったナーグ少年は鼻水も露わに泣き出した。それだけでなく、失禁までしてしまった。
さすがに哀れ。
だがフィロエはそう思わなかったようで、険しい表情を緩めなかった。
ナーグ少年よ。いったいどれほどフィロエをいじめてきたのか。自業自得といえばそうかもしれないが。
「イストさん」
油断なくナーグを睨みながらフィロエが言う。
「イストさんが【閃突】のお手本を見せてくれたおかげで、私にもギフテッド・スキルが使えるんだとわかりました。この力、イストさんのために使います」
まるで騎士のように凜々しく宣言する少女。もしかしたら、彼女にはそちらの適性があるのかもしれない。
俺は気を引き締めた。フィロエがそこまで俺を買ってくれるなら、腹をくくらないといけないだろう。
新しい保護者として、彼女を引き取るのだ。
院長先生にもきちんと話をしないと。
それから生活費に拠点と……うん、頭から湯気が出そうだけど頑張ろう。
「あ。院長先生」
フィロエがつぶやく。おそらく騒ぎを聞きつけて慌てて出てきたのだろう。ちょうどよいタイミングだ。
孤児院から出てきた男性を見た俺は、微笑みを引っ込めた。何か、強い違和感がある。
先生って、あんなに太っていたか? もっとスマートだったような気が。
「なあフィロエ。あの人がエルピーダ孤児院の院長先生で間違いないのか?」
「あ、はい。そうです。ガビー先生っていいます」
別人だ。
俺が世話になった先生は、もうここを去ってしまったのだ。
息切らせてこちらにやってきた後任の院長――ガビー先生は、俺を見てにっこりと笑った。
「これはこれは。我がエルピーダ孤児院へはどのようなご用件で?」
柔らかい口調だった。
だがなんだろう。
この、なんとなく覚えた違和感は。
気のせいだと思いたいけど。
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