二人が並ぶとき
中内イヌ
前
前方に蹴り出されたボールを目がけ、一目散にダッシュ。競い合う村田は、とにかく足が速い。先にボールをキープするために、必死に食らいついた。
ガガッ、と肩や肘が当たる。村田の激しいチャージだ。足がもつれて、大きくバランスを崩す――と。
「うわっ!」
土埃を巻き上げながら派手に転倒する。無様な俺を尻目に、村田は素早くボールを足元に収めると、豪快なショートをゴールに決めた。
悔しいけど、これが今の実力。不意に諦めにも似た想いが、胸の中に沸き上がってくる。
練習が終わり、洗い場で擦りむいた膝を洗っていた時、声をかけられた。
「
顔を上げると、目の前に
「激しく転んでたけど、大丈夫?」
響香に見られていた。そうとわかり、情けない気持ちに拍車がかかる。
「これぐらい、平気だって」
心配そうな響香の態度に、無性にいら立っていた。
響香とは家が隣で、保育園にはじまり小中高と、ずっと一緒だ。親同士が親しかったこともあって、家族同然に育ったといっても過言ではない。
時折、喧嘩をしながらも気の許せる相手だった。だけど、そんな関係も思春期というやつを迎えた頃から、微妙に変化する。
響香は頭がよく、テストで常に学年トップという秀才。その上、(俺から言うも癪だけど)クールな美少女であり、高校に入ってから既に何人にも告白されているというモテぶりだ。今のところ、すべて断っているようだけど、俺としては心穏やかとはいかない。
それはつまり、俺が響香を女の子として意識しはじめたから……?
仮にそうだとしても、今の俺では、どう考えても釣り合いが取れない。そもそも頭のよさや外見なんて、響香を語る上で大した要素ではなかった。響香には、もっと飛び抜けた武器がある。
それに比べ、俺は……。
「ねえ、佑馬」
「うるさいな。ほっといてくれよ!」
語気を荒げ、響香に背を向けて駆け出した。
以前の響香なら、駄目な俺をもっと叱咤したはず。それなのに、最近は妙に優しい。まるで憐れみをかけられているようで、気に入らなかった。
この日から、意識的に響香を避けるようになった。話しかけられても、よそよそしく接することが増えた。響香はなにも悪くない。そんなことは、わかっているけど……。
それから一か月が過ぎた頃の、部活の練習後。村田が唐突にこんなことを言った。
「俺、石井響香に告白したぜ」
「え?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
「だから、告ったんだよ。俺とつき合ってくれって」
「そっ、そんなこと……なんで、俺に?」
「だってお前ら、仲良さげじゃん」
「別に、家が近所なだけで……それ以外は、なにも」
平静を装おうとするほど、動揺が顔に表れる気がした。
「ふーん。でも、気になるだろ。返事がどうだったのか」
「そ、それは……」
サッカー部の同学年で一番にレギュラーを勝ち取ったのが、この村田だ。近頃はそれを鼻にかけて、あからさまに態度が大きい。いけ好かないヤツだが、実力はある。
更に学業の方も、学年で上位と優秀。客観的にみれば、何事も平凡な俺よりは、遥かに響香と釣り合っているのかもしれない。
「お前と勝負して、俺が勝ったらつき合ってもいいってさ」
「は?」
「石井響香に、そう言われたんだよ。そんなわけで、俺と勝負してもらうからな」
わけがわからない。本当にそんなことを言ったのか。
「待ってくれ。勝負って、一体どんな?」
「将棋だとさ」
「!」
あまりに突飛な話ではあるけど、将棋という一点ではリアルに感じる。なぜなら将棋こそ、響香の飛び抜けた才能が発揮される競技なのだから。
子供の頃から将棋を指し続けてきた彼女は、今や将来の女流名人を嘱望されるほどの存在。そんな響香だからこそ、俺はある種の引け目を感じていた。
実を言えば、将棋を先に覚えたのは俺の方である。ウチのじいちゃんが大の将棋好きだった影響で、保育園の頃には一人で指せるようになっていた。つまり響香が将棋に興味を持つきっかけを作ったのは、俺自身ということ。
それだけに皮肉だ。それにより、俺は絶対的な才能というものを思い知ることになる。響香はみるみる腕を上げ、俺はすぐに相手にならなくなった。
村田との勝負は、部活が休みの明日の放課後に行うことになった。とはいえ、やはり気が進まない。響香の真意がわからなかった。
考えながら家に帰り着くと、隣の家の前に響香の姿をみかける。明らかに、俺の帰りを待っていた雰囲気だ。
最近、ほとんど口を利いていなかったけど、流石に話さないわけにはいかない。
「村田に、なんであんなこと言ったんだよ」
「別に、単なる気まぐれかな」
「もし、俺が負けたらどうする」
「その時は、村田君とつき合うよ。だって、そういう約束だから」
「は? なんだよ、それ」
「いいでしょ。一度くらい誰かとつき合ってみたって。もう高校生なんだし」
その言葉が投げやりだと感じて、俺は響香を睨みつけた。
「お前な――」
「佑馬のせいだから!」
響香の厳しい口調に、こちらの言葉がかき消された。
「最近、変だよ。すっかり、いじけちゃって」
「別に、いじけてなんか……」
「だったら私のこと、どうして避けるの?」
「それは……」
言葉が続かずに、なんとなく見つめ合った。沈黙が続いた後で。
「とにかく、勝ってよね。私のこと、どうでもいいと思ってないのなら」
響香はそう言うと、家の中へ姿を消した。
「ホント……意味わかんねー」
心の中には、モヤモヤばかりが募った。
次の日の放課後。呼び出しを受けて向かった先は、三階の端にある普段は使われていない空き教室だ。ガランと広いスペースの中央に二脚の机が対面に置かれ、その上には将棋盤が用意されていた。
待っていたのは、村田を含めて三人だった。
「こいつらは立会人な」
村田は同伴者の二人を、そんな風に説明する。どちらもサッカー部の後輩だから、俺も知った顔だ。普段から村田とつるんでいる連中だから、立会人としては中立な感じは皆無。でも、別に文句を言うほどのことでもなかった。
村田の提案で勝負の様子を動画に残すことになり、立会人の一人がスマホを手にして机の横に立つ。もう一人の方は手持ち無沙汰な様子で俺の後方で立っているけど、この時点では特に気にしてはいなかった。
向かい合って席に座ると、村田は頭を掻きながら言う。
「ハハ、将棋なんてガキの時以来だぜ」
駒を並べ終えて、勝負は開始された。
村田がどの程度の実力なのか、それは指してみなければわからない。だけど、こっちは三、四歳にはじいちゃんを相手に指しはじめ、あっと言う間に適わなくなったとはいえ、小学校の頃までは響香に張り合おうと必死に腕を磨いてきた身だ。遊びでやった程度の相手には、まず負けない自信があった。
響香との実力差を思い知って、すっかり指さなくなったのは小学校高学年の頃。サッカーをはじめたのもその頃で、身体を使う方が自分には向いていると気分を切り替えたのだ。
響香がいずれ女流名人になるのなら、俺はJリーガーになってやろう。最初こそ、そんな風に息巻いていた。だけど現実は、目の前にいる村田にすら遅れを取る始末。そんな自分を改めて情けなく感じた。響香と釣り合うような人間に、俺は一生なれないのかもしれない。
たとえそうであっても、勝負に負けるつもりはなかった。響香だって、俺が負けるとは思ってないだろう。ところが――
「うっ……!」
勝負はまだ序盤。村田の指した一手に、俺は手を止めた。
「どうした? 早く指せよ」
「ちょっと、待ってくれ……」
いつの間にか、形勢がかなり不利になっていた。考え事をしていたとはいえ、こんなに早く追い詰められるなんて……。
「村田……指すのが久しぶりなんて、嘘だろ?」
「さあ、どうかなぁ?」
村田は惚けているが、実際かなりの実力だ。ここまでの手筋は、偶然でどうにかなるレベルではない。
なんとか立て直そう。そこからは一手一手を慎重に指していくが、形勢はどんどん悪くなるばかりだ。
「オイオイ、テンポよく指せよ。さっきから時間使い過ぎだろ」
「……」
「ほら、早く。それとも、もう負けを認めるか?」
「くっ……」
盤上を見つめ続けていると、額には冷や汗が滲んだ。村田の指し手には、まったくの隙がない。俺の実力では、この局面を覆すのは不可能だと感じられた。
「もう考えるだけ無駄じゃね?」
頻りに煽ってくる村田の言葉に、精神が削られていく。投了、すなわちギブアップ寸前。それは、そんなタイミングだった。
ガラッとドアが開く音に、一同が注目する。
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