野口君はごく平凡

水神竜美

野口君はごく平凡

 東京というのは不思議な所だと思う。

 電車に乗って学校に通っていると、一日に一度は何かしらの障害を持った人を見かけるのに、僕みたいに別に障害がある訳でもない、見た目にしか違いが無い人間がやたらと人目を引くのだから。


 自分でも全く覚えていない赤ん坊の頃、僕は熱湯の入っていたポットをひっくり返してしまったそうで、上半身のほぼ左半分を丸々火傷してしまった。

 だがお医者さんのお陰で後遺症も障害も残らず、顔と胴体の左半分と左腕をほぼ覆い尽くす火傷の痕が残っただけで済んだ。


 確かにぱっと見で驚かれるのはしょうがないと思う。薄茶色の泥道のような若干ぼこぼこした皮膚が人から見える部分のほぼ半分を覆っている上に、最近ちょっと暑くて七分袖を着ているのだから。

 でもだからって無遠慮に人をじろじろと見るのは普通に失礼だと思うし、良い気分はしない。

 電車に乗っている間はそうでもない。でも大学に着くと周囲の視線から結構な割合で遠慮が減る。

 まだ入学前の説明会やオリエンテーション位でしか学校に来ていないから単純に見慣れないのだろうか。何だか異様なものを見つけたかのような目を向けられるのも毎日通っていればその内無くなるだろうか。



「あ、君君!やっと見つけた!」

 校舎に入った辺りで、急に後ろから大声で呼び掛けられた。

 振り返ると、ぱっと見体育会系の爽やかそうな先輩らしい男性と、いかにもギャル風の格好をした年齢のよく分からない女性が駆け寄って来た。

「初めまして、僕達はボランティアサークルの三年と二年なんだけど、今年の新入生に凄い痕のある子がいたって聞いて探してたんだよ。君だろ?」

「うわ~ほんとに凄い……」

 言いながらサークルのチラシを差し出して来る。

「……凄い痕って……何で探してたんですか?」

 思わず目を細めて歩き出すが、先輩は気付いてないかのように追いかけながら喋り続ける。

「いやいや、君日常生活大変だろう?何か不便があったらいつでもうちのサークルを頼ってほしいと思ってたんだ!遠慮はいらないからね!」

「いや、何も不便は無いです」

「いやいやそんな筈は無いだろう?それだけの怪我だか病気だかを負って!」

「こんな病気無いですよ。只の火傷の痕で障害とかは一切無いです」

「え~だったら何で治さないの?」

 今度はギャルの方が話しかけてきた。

「治ってますよ。もう手術は済んで一切不自由は無いです」

 左腕を軽く掲げて手を握ったり開いたりしてみせた。

「え~痛くないの?」

 そう言いながら、断りもなく長いネイルで人の左腕をなぞってきた。

「とっくに治ってるのに痛い訳ないでしょ……」

 つい呆れた声が漏れてしまった。痛い痛くないよりもそのネイルの衛生状態の方が気になるのだが。

「ま、とにかく何かあったらいつでもうちを頼ってくれ!待ってるからね!」

 そう言いながらチラシを押し付けて先輩達は去っていった。

 思わず小さな溜息が出た。

 僕の故郷である福島県は、大きく分けて会津地方、中通り、浜通りの三つの地域に分かれているのだが、先の震災の際、僕が産まれ育ち住んでいた会津若松は、太平洋よりも日本海に近い位置にあるので、強い揺れは感じたものの物的被害は殆ど受けなかった。

 だが沿岸地域に当たる浜通りの被害は深刻で、そこに住んでいた親戚からは悲惨な状況やボランティアに助けられた等の被災地の話をよく聞いた。

 だが、殆どのボランティアの皆さんにはとてもお世話になったものの、ごく一部にまだ自治体も状況を把握出来ていないのに先走って来た挙げ句「折角来てやったのに!」と役所の人に文句を言っていたり、ニュースによく出て芸能人も来たような所謂「有名な避難所」にばかり集まっては他の避難所に行ってほしいと言われても動かず軽作業ばかりしていたりと、一体何しに来たんだと聞きたくなるようなボランティアもいたという話を丁度思い出した。

 多分だけど、就職活動等で「あの災害にボランティアで行ってきました!」と言いたくて行ってる人もいるのかもしれないな、と先程の二人を見て思った。

 そんな事を考えながら教室に入る。

 案の定談笑をしていた何人かの会話がぴたりと止まった。

 こうやって無駄に人目を引いてしまうから、僕はなるべく目立ちにくい席はないかと教室内を軽く見回し、上の方の段の向かって右端の机に着いた。


 段々と教室内に人が増えていったが、僕が選んだ席は当たりだったようで、特に妙な視線も驚くような声も無いまま講義の時間が近付いて来た。

「あ、ここ、隣いい?」

 このまま静かに講義に入れるかと思っていたら、突然女の子の声に話し掛けられた。

「――え?あ……どうぞ」

 元々女の子と話し慣れてる訳でもないので、つい驚きと戸惑いが声に出てしまった。

 こんな端っこの席に座りたがる生徒が他にもいたのか、と好奇心も加わり、どんな娘なのかと視線をそちらに向けた。

 向けた瞬間、シャツの下で豊かに実った膨らみが僅かに揺れる姿が目に飛び込んできた。

 でかい。

 彼女がそのまま席に着くと、机の上に立派な胸が重たそうに乗っかった。

 すげー机に乗るおっぱい初めて見た……などと考えた辺りで、自分も無遠慮に人をじろじろと見てしまっていた事にようやく気が付き、そっと視線をノートに戻した。

 顔も可愛い方だったしさぞかしモテるだろうに、何でこんな端っこの席を選んだんだろうか。

 そんな事を考えていると、少ししてから先生が教室に入ってきた。

「皆今日が始めての講義か?まあ緊張し過ぎず気合い入れていきなさい。では出欠を取る」

 ……大学でも出欠取るのか……内心溜息をつきたくなった。

「稲葉愛香」

「はい」

 そう呼ばれて最初に返事をしたのは隣の彼女だった。

 早い名前だったんだな、等とどうでもいい事を考えながら重い気分を紛らわせる。

「根本咲」

「はーい」

 ああ、もうすぐだ。

「野口英男」

「はい」

 僕の名前が呼ばれた瞬間、微かに教室内がざわめいた。

「え……野口英世……?」

「今英世っつった……?」

 そんな言葉と共に視線が集まるのが分かる。今までに何度も通った道だ。

「皆静かに!英"世"じゃなくて英"男"だからな?」

 先生がフォローしてくれて正直ほっとした。

 だが。

「野口は福島県会津若松の出身だそうだな。もしかして野口英世の子孫なのか?」

「いえ全くの他人です。名字は偶然同じなだけで」

 何で先生が食いついてくるんだ。

「野口英世は左手を火傷していたそうだが……ひょっとして野口のそれは生まれつきなのか?」

「違います。生後七ヶ月で負った火傷なんで全くの偶然です」

 心なしかざわめきが大きくなってきた気がする。

「偶然!?それも凄いな、似た名前だと人生も似るとかあるのか?」

 流石に眉根が寄った。

「いや、もし人生も似るなら僕は今頃東大や早稲田に入れてると思います」

 間違ってもこんな二流大学にはいないだろう。

「……」

 周囲から小さな笑い声や溜息が聞こえた。

「……あーすまん余計な時間を掛けた!続けるぞ!葉山力!」

「はーい」

 よりによって一番聞きたくない言葉を先生に言われるとは思わなかった。


 野口英世に似せた名前を付けたから大火傷を負ったんじゃないのか。

 両親が散々後悔していた事であり、そんな言葉を聞く度に僕は「そんな訳ないでしょ、ポットひっくり返したのは僕のせい」と言っていた。

 この名前を付けた両親のせいの筈がない。悪いのは僕自身、それが揺るぎようの無い事実だ。


 やがて講義が始まったが、馬鹿らしい事を言う先生の講義だけあって特に中身が濃いとも思えない内容だった。

 それでも要点をノートに書き写していると、後ろからぽと、と小さな音が聞こえた。

「すいませ~ん、消しゴム落としちゃったんで拾ってもらえますか?」

 階段状に上になっている後ろの席から小さな声が聞こえたので振り向くと、男子二人が二人共いやらしい顔をして稲葉さんに話し掛けていた。

 彼女は別に取り立てて襟元の深い服を着てる訳でもないのに、屈ませれば谷間でも見えるとか思ったんだろうか。

 稲葉さんを見るとあからさまに嫌そうな顔をしているが、後ろの二人は気付いていないのか気にしていないのか表情を変える様子は無かった。

 何だかむかついたので、僕が拾ってあげる事にした。

 後ろからえ、と息を詰めるような声が聞こえたが、拾ってほしいと言われて拾っただけなので気にせず、右手で拾った消しゴムをわざわざ左手に持ち替えて渡してあげた。

 後ろの彼は一瞬嫌そうな顔をしてから、そっと指先で摘まむようにして受け取った。

 それからは別にちょっかいをかけてくる事も無く、静かなまま講義は終わった。


「……さっきは、ありがとね」

「え?」

 ノートを見直していると、隣からお礼が聞こえたのでそちらを向いた。

 見ると、稲葉さんが胸の前で手を合わせながら、笑顔と申し訳なさの混ざったような顔を向けていた。

「いや、僕は消しゴム拾っただけだから」

「いやいや、ああいうタイプは一度上手くいくと調子に乗って何度もやったりエスカレートさせたりするのよ。代わりに拾ってくれて本当助かったわ」

「……今までにもあったんだ、大変だったんだね……」

「そーなのよ!本当ムカつく!人の体ばっか見て!」

 教室の中なので抑えめではあるものの突然怒声を上げた彼女に少し驚いたが、共感出来る言葉があったのでそのまま耳を傾けた。

「私だって好きでこーなった訳じゃないのにさあ……中二位から急に大きくなり出しただけで……名前も愛に香るでな~んか匂わせぶりだし……」

 言いながら疲れた様子で机にもたれかかる。自然と胸が机に押し付けられて、その大きさが強調された。

「それで高校に入った途端よ!女の先生や先輩が人を汚ないものでも見るような目で見て来て!私が何したっつーのよ!」

「……ええ?それは酷いな」

「でしょ!?それで男は教師も生徒もやらしい目で見てくるし!おまけに風紀には三年間ずっと目ぇ付けられてたんだって!私は酒も煙草も何にもやってない至って真面目な生徒だったっつーの!」

「……そこまで……?何で見た目だけでそこまで偏見持てるんだ……」

 眉間に皺を寄せながらそう言うと、彼女は急にはっとした顔になってまたこちらに向かって手を合わせてきた。

「……ごめん!」

「……ええ?」

 今度は突然謝られて、流石に混乱した。

「私、なるべく自分より人目を引きそうな人の近くに座ろうって思ってたの……!そうすれば目立たずに済むと思って……!勝手に利用しようとしてごめん!」

「……あ、そうだったのか」

 納得した。

 最初は単純にモテるタイプはモテたいもんだと思い込んでいたけど、女性の場合は不特定多数の異性にモテるというのは身の危険に直結するだろうし、普通にセクハラも呼び込んでしまう訳だ。

 なら身を守ろうとするのは当然だろう。

「いや、気にしなくていいよ。むしろお役に立てたなら嬉しいし……ってさっきはお役に立てなかったんだった」

「ええ?ちゃんと助けてくれたじゃない!それに……私なんかより野口君……あ、野口君でいい……?貴方の方がずっと大変だったんじゃ……?」

「別にそうでもないよ」

 彼女が言い辛そうに言ってきたので、僕はあっけらかんと返す事にした。

「物心ついた時からずっとこうだったからこの見た目が普通だと思ってるし、小さい時から包帯巻いたまま外で遊び回ってたから周りの友達もそんなに気にしてる感じは無かったよ。小中高とずっと地元の学校だったから特別珍しがられもしなかったし」

「……そう……なんだ……」

 却って気まずそうな顔になってしまった。

「それに便利な事もあるんだよ、この痕を見た反応である程度その人の性格が分かるし。例えば『何で治さないの?』って言ってくる人とは大抵合わないとか」

「……え?」

 意味が分からなかったようで、彼女は首を傾げた。

「要するに『治した方が良いよ』『そのままだと気持ち悪いよ』って本人に面と向かって言える人だからさ、実際そう言ってきた人と仲良く出来た試しは無いんだ」

「……そう……なん……だ……」

 余計反応に困ってしまったようだった。

「いや、別にこれのせいで取り立てて苦労した記憶は無いって事だから。強いて言うなら……」

 顎に指を当てて考える。

「小学生の時、クラスで演劇やる事になって僕も主役に立候補したんだけど、『主人公は普通の子供だから』って言われて落とされたんだ」

「え……!」

 彼女が口元を手で覆った。

「それ言われて、色々映画とかドラマとか観てみたんだけど、確かに派手な傷痕があるキャラや障害があるキャラが出てくると、必ずと言っていい程歴戦の軍人だとか障害者スポーツの選手だとか、その傷や障害がキャラ設定やストーリーに組み込まれてて、『ただ傷があるだけ』『ただ障害があるだけ』ってキャラは殆どいなかったんだよね」

「……そう言えばそうよね……」

「それがずっと不思議だったんだ」

 姿勢を直してきちんと向き合った。

「僕みたいに壮絶な過去も特別な経験も無い傷痕持ちだっているのに、映画やドラマでは何でそういう『傷や障害のあるただの人』がいないのか。東京に来てから尚更思ったよ。東京では障害のある人は毎日見掛けるから東京の人にとっては特別じゃない筈なのに、重要なキャラどころかエキストラにもいないもんね」

「……そっか……障害のある人が見当たらない社会って却って不健全よね……」

「だよね?何でモブやエキストラって健常者ばっかりなのかな?」

 障害者が外を歩いていない社会とは、バリアフリーが行き届いておらず移動が不便だったり、すぐ差別や偏見を向けられる危険な社会に他ならない。

「何の特徴も無い平凡な主人公とかも多いんだし、大きな傷痕があるから壮絶な戦いを繰り広げたとか、車椅子だから大変な過去があるとか別に無くても良いと思うんだよね。ただ『そういう人』ってだけで」

「あー確かに!漫画の巨乳キャラって大抵お色気担当じゃない!?別に好きで巨乳になった訳じゃないのにおかしいわよね!?何で巨乳はセクシーキャラじゃなきゃいけないのよ!」

「……そうじゃない漫画は女性キャラ全員巨乳の漫画とかだしね……」

 僕もつい夢中になって喋ってしまったけど、最終的には共感を得られたようで良かった。

「……あ、そろそろ次の教室行った方が良いかも……」

「あー本当だ!じゃ、またね!」

 見るのを忘れていた腕時計を見て呟くと、稲葉さんはスマホを見てから慌てて駆け出していった。

「……またね……か」

 只の挨拶かもしれないけど、女の子にそう言って貰えたのは何だか嬉しかった。



「あーいたいた!君だろ!?野口英男君!」

 昼休みになり学食で昼食をとっていると、突然やたらでかい声が耳に入った。

 周囲がざわめく中、眉根を寄せて声の方に振り返ると、二十代後半位なのにやたら若々しいファッションの男性が満面の笑顔で近付いてきた。

 あ、これは関わりたくないタイプだ。

 そう察した僕は向き直って食事を再開しようとしたが、いきなり後ろからがっしりと左肩を掴まれて顔を近付けられた。息が臭い。

「待ってたんだよ~!君みたいな逸材を!あ、触られると痛い?」

「……強く握られると痛いです」

 そう言うと肩は離してくれたものの、今度は首に自分の左腕を絡ませるような姿勢になって余計近付いてきた。息が臭い。

「あ、申し遅れたけどこれ俺の名刺!」

 言いながら強引に手渡された名刺を見ると、色々書かれた真ん中に大きく『河合可愛』と書かれていた。

「……?」

「ははは、読めないだろ?これは『河合ラブリイ』って読むんだ!本名だぞ!母親が付けたんだ!」

「……」

 これは酷い。

 反応に困っていると、河合先輩は何も言わずに隣の席に座ってきた。

「俺はスピーチサークルの代表やってるんだけど、将来はTV関係の仕事に就いてディレクターになりたいと思ってるんだ!」

「はあ……」

 何も聞いてないのに唐突に自分語りが始まった。

「色んな番組があるけど、やっぱり人の心を一番動かすのはノンフィクション!真実の記録だと思うんだよ!」

「そうですか」

「少し前にも流行っただろ!?不治の病の女性が結婚するとか!俺はあんな風に人々を感動させる番組を作って、ひいては書籍化、ドラマ化、映画化と一大大型コンテンツの制作者になりたいんだ!」

「そうですか」

 周囲の視線が痛い。

 僕は何もしていません。

「で、普段はスピーチサークルで世間に言いたい事がある人を募集してるんだけど、殆どが今の世の中はどうこうで、自分だったらこう変えたいなんていう理想論ばっかりで、俺が求めてるドラマチックなノンフィクションは全然出てこないんだよ!」

「スピーチってそういうのが多いんじゃ……」

「だが!そこに君が入学してきてくれた訳だ!野口英男君!」

「……はい?」

 さっきまでの話題との繋がりが分からない。

 とりあえずいちいちフルネームで呼ぶのはやめてほしい。

「君が今まで経験してきた苦労!闘病!受けてきた差別!そんな心の叫びを是非聞かせてほしいんだ!」

「……え?僕そんな経験してきたなんて言いました?」

「言わなくとも分かる!君の心の奥底から溢れ出そうな程の訴えが見ているだけで伝わってくるよ!」

「何言ってるんですか?」

 成る程。

 ようやくこの人の目的が分かった。

 あからさまに不機嫌そうな目を向けたが、気付いていないのか気にしていないのか笑顔に変化は無い。

「という訳で!今から訴えに行こう!君の内に秘めた気持ちを!」

 そう言うと、先輩はいきなり引っ張り上げる様に僕を立たせ、引きずるように強引に連れて行った。

「ちょ、まだ食べ終わってないんですけど……!」

「昼休み終わっちまうから!大丈夫何も怖くないよ!」

 結局会話は噛み合わないまま食堂から連れ出された。



 引っ張ってこられた先は大学構内の、公園にありそうなステージの上だった。既に準備はされていた様で、先輩は僕を掴まえたままステージ上に置かれたスタンドマイクへと向かい、それを手に取った。

『はい、一年生の皆は初めまして!他の皆にはお待たせしました!ラブリイスピーチコンテストの時間です!』

 突然響いた大音量の声に、周囲にいた人達は思わず視線を寄越した。

『今回居合わせた皆はラッキーだぞ!今回はこのコンテストの為に産まれたかのような最強の新入生、野口英男君の登場だあー!』

 一度足を止めた人達もばらばらとまた歩き去っていったが、僕の名前を聞くと半分程がまた振り返り、僕の姿を見ると興味深そうに近寄ってくる人もいた。

『あの野口英世とそっくりな名前の上に、同様に酷い火傷を負って生きてきた人生!その苦しみを是非訴えてほしい!まずはその火傷の辛さを聞かせてくれ!』

『いやもうすっかり治ってますし、そもそも自分で勝手にポットをひっくり返して熱湯浴びただけですし、手術とかも小さい頃にやったんで殆ど覚えてません』

 マイクを向けられたが、僕には正直に答える事しか出来ない。

『ち、小さい頃の手術はさぞかし大変だっただろう!長い入院生活も辛かったんじゃないのか!?』

『手術中も入院中も僕は寝てただけなんで何も。リハビリみたいのもしなかったですし、通院も入院も手術も日常だったんでこれが普通だと思ってました。お医者さんや看護師さんの方が大変だったと思います』

『お……お医者さんや看護師さん!それは大変だったんだね!それでは学校に入ってからは!?周囲からどんな扱いを受けてきたのか!?』

 やたら大袈裟なリアクションで悲しそうな身振りをすると、先輩はまた僕にマイクを向けた。

『入院してない時はいつも外で友達と遊び回ってたんで、周りも皆僕はこういうもんなんだと思ってるみたいでした。小中高とずっと地元の学校だったんで特別珍しがられる事もなく……』

(ちょ、ちょっとこっち来い!)

 普通に喋っていると、今までずっと大声だった先輩が急に小声で叫び、僕を舞台の袖へ引っ張っていった。


「お前俺の言った事聞いてなかったのか!?ドラマチックなノンフィクションが欲しいんだって言っただろ!」

 今までの笑顔はすっかり消え去り、先輩は僕の右肩を掴んで隠しもしない怒りをぶつけてきた。

「僕ドラマチックなノンフィクションがあるなんて言ってませんけど」

「そこは空気読んで盛るとかしろよ!お前を見たら誰だって期待するだろ!泣かせる話しろよ!」

「それじゃもうノンフィクションじゃないでしょ」

「そーゆーのは演出って言うんだよ!多少の誇張は誰だってやってんだ!ちゃんと俺が卒業出来るように協力しろっつーの!」

「言ってる事正反対になってません?」

 流石に呆れを隠す事も出来ず、先輩の手を払って背を向けた。

「……っ……てめ……!」

 今度は僕の左肩をがっしりと掴んできた。

「ちゃんと喋らねえと、その火傷は放射能でそうなったって言いふらすぞ?」

 その言葉が耳に入った瞬間、僕は一瞬で沸騰した怒りを込めて先輩を睨み付けた。

「ひ……っ!?」

 僕が本気で怒るとかなり怖い顔になるというのは周りから聞いていたが、よりによって福島県民を一番怒らせる言葉を発した先輩に、その怒りを全て込めた目を向けたら流石にびびったようで、すぐ手を離して後退ってくれた。

 とりあえず放射線を放射能と呼ぶような頭じゃそりゃ卒業出来ないよな、と理解しながらステージを後にした。


「野口君……!」

「……稲葉さん?」

 ステージの袖から出てくると稲葉さんが駆け寄ってきた。

「何だか騒がしかったから来てみたら、野口君がうるさい人にステージで絡まれてて、その内袖に引っ張り込まれたのが見えたから……大丈夫だった?」

「大丈夫だよ」

「ごめんね何も出来なくって……先生でも呼んでくれば良かったかな?」

「いや、大丈夫だから、ああいう人にはあんまり関わらない方が良いよ。心配してくれて有難う」

 稲葉さんを促して、二人で校舎に戻る事にした。

「えっと……野口君は次の講義は何?」

「日文科」

「あ、また私と同じだ」

「そうなんだ?じゃあ……」

 顎に指を当てて軽く考える。

「今度は一番上の席にしようか」

「――うん!」

 一瞬だけ驚いた顔をした後、笑顔で答えてくれた。



 とりあえずラブリイ先輩はそんなに友達がいなかったのか、僕の間違った噂が広まる事は無かった。



 それから一年後、ラブリイ先輩はまた卒業出来なかったらしい。

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野口君はごく平凡 水神竜美 @tattyi

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