第250話 警備 ノ 穴

 狂鳥ファウストは死に、厄介だったレイスのヨキもゴブリンと統合していなくなった。そしてゴブリンはメロイアンに幽閉されている。


 メロイアンは強敵だ。しかし、これだけ戦力を整えた我々の敵じゃない。合成虫による強化、不干渉地帯を利用した食糧の安定化、負ける可能性は、万が一にもない。


 「ワト、お前の愛した世界の破滅は、すぐそこに迫っているぞ」

 「そうか。残念だ」


 聖者と呼ばれた男、ワトは、なにかを悟ったように、いままでになく静かだった。


 「……、諦めたのか?」

 「いや、どんな目に合っても私は希望を諦めない。そして、君のように悪に手を染めてしまった生き物を見捨てることもない」

 「まったく、バカな男だ」


 我が主、いや、間抜けな侵略者が目覚め、ワトの頭部を殴打した。しかし、ワトも化け物だ、すぐに再生する。


 「目覚めたか、じゃじゃ馬め」


 ワトは侵略者が飽きるまで何度も、何度も殺された。聖者ワトは不死身の存在になってから、数えきれないほど死んでいる。もう、痛みも感じないほどに、死に慣れてしまっているのだ。


 「今日も我が主は荒れてるようだな」

 「囁く悪魔、君がおりに閉じ込めているからだよ」


 殺し疲れた侵略者が、結界の奥で体を横たえた。殺すことしか能のない、原始的な生き物。そして、ワトと同様、不死身の存在。


 「なぁ囁く悪魔、いや、ニィル」

 「なんだ」

 「今日が最後のチャンスかもしれない。道を正すつもりはないか?」

 「この世界に救いはないんだ。すべてがなくなってしまえば、痛みも、悲しみもなくなる」

 「なぜ君は物事の悪い側面しか見ない。愛や喜びも、なくなってしまうんだぞ」

 「そんなもの、必要ない。愛する者が目のまえで……、お前のような能天気なバカにはわからんだろうな……」

 「私は国が亡びるのを見た。家族が殺され、何十年もの間、体を切り刻まれて不老長寿の研究に利用されてきた。私を軽蔑する者たちから浴びせられてきた終わることのない悪態、侮蔑の目。長く生きてる私は、数々の痛みを経験してきたんだ。それでもまだ、希望を捨てたくない。きっと、いつか、苦しみのない世界は実現する」

 「いつまで夢を見ているんだ聖者ワト」

 「いつまで悪夢から醒めないんだ、ニィル」

 「悪夢じゃない。俺だけが唯一、正しく世界を見ている」

 「ニィル!」

 「なんだ」

 「今日が、最後の日だ。心を入れ替えろ」

 「お前はなんの話をしている」

 「私は知っている。今日、お前は終わるぞ、ニィル。贖罪しょくざいのために生きるんだ。まだやり直せる」

 「やり直すつもりなんてない。贖罪に生きるくらいなら、信念のために死ぬ」

 「本当に、戻らないのか?」


 今日のワトは変だ。


 あのバカな生き物に殺され過ぎて、頭がおかしくなったのだろう。


 しかし、静かな日だ。誰もいない。みんなどこに行っているのだろう。


 「ニィル」

 「イザベラか。なんだか今日はやけに静かだな」

 「えぇ、神の土地【蠱毒の森】の壁がなくなりそうなの。同種合成も完了する。人手がいるの」

 「そうか。遂にこの時が来たんだな」

 「そうね」


 明暗に住んでいた時からの友人イザベラは、こんなに喜ばしい報せをしているのに、なぜか悲しそうだった。


 「どうしたイザベラ」

 「なにも。ちょっと考え事をしてただけよ」

 「そうか」


 精霊の睡眠サイクルはおおむね把握した。人狼のガスパールも無敵ではない。狂鳥が地中に埋めて勝ったという話もある。集団で魔法を行使して穴に埋めるか、同種合成した獣で身じろぎ一つ出来ぬように固定してしまえば勝てないことはない。


 「ねぇニィル。あなたのビジョンは本当に正しいのかしら」

 「なぜそんなことを訊く」

 「未来のことは誰にもわからない。もしかしたら今後、かつてのあなたが望んでいたような、世界が実現するかもしれない」

 「かつての俺……」

 「淫魔だけじゃない、私のようなヴァンパイア、その他の希少な生き物たちも普通に生活できる未来が」

 「そんな未来はないよ、イザベラ」


 すでに亀仙が見た未来の範囲の先に来てしまった。


 しかし、我々の勝利の条件は変わらない。同種合成で強化した生物を、世界各地から集めたテイマーに使役させる。我々が勝利する未来は、それしかなかった。


 獣のフューリーを何度も殺して食いつくし、陸に上がってきた水のワシル・ド・ミラをすら、ただの肉に変える生命の洪水。帝国蟻に勝てるかどうかは五分といったところだろうが、問題はない。自衛にしか興味のない虫には、檻のなかのあの化け物をプレゼントすればいいだけだ。


 世界は、まっさらな状態に戻るだろう。痛みも苦しみもない、原始的で、美しい、本来の姿に。


 我々の勝利は、揺るがない。


 自室に戻って、明日以降の世界について考えた。


 忘れられた森で成長し続けた合成獣キメラがメロイアン、そして獣を蹂躙じゅうりんする。相手の肉でまた数を増やした兵はデルアを呑み込み、瀕死の明暗を取り込み、そして虫を。



 コンコンコン



 ノック?


 「誰だ」

 「夜分に失礼します。僕、狂鳥のファウストっていう者なんですが、ちょっとお話があるので、入っても構いませんか?」


 な!?


 「……」

 「入るよ?」


 ドアが変形して、大きな穴があき、ぞろぞろと生物が入ってきた。


 先頭には見慣れない服を着たヒトの若者。その肩には妖精のような虫が二匹。白い狼と、灰色の犬。細身の剣士と、美しい悪魔。そして怖ろしく整った顔をした女。最後に入ってきたのは髪が長く、一際、衆目を集める派手な女だ。


 気が付くと、妖精の一匹が目のまえにいた。


 「君が囁く悪魔かぁ。想像よりずっと小さいなぁ。どうも、こんにちは」


 生きたラピット・フライ……。


 しかも二匹。繁殖したのか? いやそんなことはどうでもいい。


 こいつら本当に狂鳥の……。


 咄嗟に口に含んだ自殺用の毒をかじる。ここで俺が捕らえられるわけにはいかない。目的のためなら、この命など……。


 「ラピット・フライのまえで毒殺なんでさせるわけないじゃないですか。マグちゃん」

 「うン」


 もう一匹のラピット・フライから針を刺された。


 すると、体の灼熱感や吐き気が、魔法のように消えてなくなった。


 今度は、冷たく美しい顔をした女が一歩で距離を詰めてきて、俺の体を片手で抑え込んだ。


 「安心して。後でちゃんと殺してあげるから」


 女の声は、体の芯から凍りつきそうに、冷たかった。



 パリパリパリ



 周囲が寒くなったと思ったら、壁が氷り、俺の体を張り付けにした。フロスト・ウルフ……。


 「ちなみにメロイアンに解毒剤を送ったのも僕たちです。捕らえるたびに自殺されたらもったいないからね。命が」

 「狂鳥……」

 「どうしてここに僕たちがいるって顔してるね」

 「……」

 「なんでだろうね。警備にあたっていた魔術師や獣はなにをしていたんだろう。まったくちゃんと働けよって話だよね」

 「本当に、狂鳥なのか……?」

 「そうですよ。握手してあげましょうか?」

 「いや……」

 「ところでニィルさん。鳥なき里のコウモリって言葉の意味、わかる?」

 「なんの話をしてる……」

 「いやぁ、僕がまえ住んでいた世界の言葉なんだけどね。意味わかるかぁって」

 「……」

 「お前のことだよ、ニィル」


 そう言った若い男は、身を屈めて地に触れた。すると、土が変形し、椅子になった。


 いや、ただ形を変えただけではない。布? 物質が変化している……。創造……。


 となると、コイツが狂鳥……。


 「さて、散々やってくれましたね、ニィル。あなたのお蔭で明暗の大半、メロイアンの一部の市民と戦士が命を落としました。デルアを内部から引っ掻き回したのもあなたですね? あっ、あなたの同郷の友である、夢喰いの獣、トーリから教えて貰いました。亀仙を追い詰めるだけではなく神の世界まで覗き見るとは……。ヴァンパイアのイザベラも優れた能力を持ってるようだ。純潔のヴァンパイアらしいですね。そのせいで何度もハンターから命を狙われたとか」

 「なにを言っている……」

 「拘束させてくれませんか? 抵抗されると面倒なので。それからゆっくり話しましょう。過去のこと、そして僕らの未来について」

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