第236話 用心棒

 サカ療養所に侵入者がいる、手助けに行け。


 ネズミの獣人からそう言われた。しかしメロイアンの外には数えきれないほどの敵がいるのだ。ここを離れるわけにもいくまい。


 一人で葛藤していると、悪魔のリズベットが話しかけてきた。


 「ユジーさん。療養所へ行って下さい」

 「しかし、ここを離れるわけにはいかんだろう」

 「いえ、構いません。療養所が落とされれば、メロイアンは終わります」

 「お前たちだけでどうにかなるのか?」

 「わかりません。でも、やります。もうすぐヨキさんとゴマちゃん、ハクちゃんが到着するでしょう。ルゥさんからはじまった私たちが、ルゥさんを解放します」


 そう言い、悪魔は武器を構えた。



 ドンっ!



 「やったか?」

 「油断しているように見えたのですが、やはりあの人には届きません。この距離だと牽制しか出来ないのが残念です。せめてファウストさんがいてくれれば……」


 あれが伝説の魔術師か。


 外壁の辺りは、均衡状態が続いている。


 我々は早くル・マウを仕留めなくてはならない。だが、そこに辿り着くまでには、敵の壁を越えていかねばならない。


 ル・マウが魔術を展開するたびに悪魔のリズベットやラピット・フライが邪魔をしているのだが、焼け石に水といったところ。


 「ふぅ、さすがは稀代の魔術師ル・マウ。わしとは馬力と完成度が違う」


 目下、ル・マウに唯一抵抗できているは、ルド・マウという魔術師のみ。敵とおなじ魔術で拮抗させている。


 しかし素人目に見ても地力じりきの差は明らか。少しずつ押されているようだ。


 静かな睨み合いだ。なにか少しの変化で破裂しそうな緊張感。


 こんな時に奴は……。


 「狂鳥はなにをしているのだ」


 俺の呟きとも似た言葉に反応したのはリズベット。


 「治療をしているようです。天守閣からまったく動いていません」

 「天使エステルはあらゆる傷を治すのだろう?」

 「敵陣にも注意をしなくてはならないので、ずっと聞いていたわけではありませんが、矢が抜けないようです」

 「意味がわからん。特殊な矢だったのか?」

 「いいえ、違うと思います」

 「では、なぜ……」

 「理由はわかりませんが、なにか複雑なトラブルに見舞われているのでしょう。私の知る彼なら、少しくらいのケガで動けなくなるような人じゃない。仲間のためならどれだけでも無茶をやる人です」


 なにがあったんだ……。


 「誰か!」


 その時、ネズミの獣人が駆け込んできた。


 「なにがあった」

 「療養所で捕らえていた男が、サカ様の術を振り切りました。かなり危険な状態です」

 「わかった……。俺が行く」


 ここを離れるのは不安ではあるが、療養所を落とされるわけにもいかん。


 「ユジー殿、儂が送ろう」

 「助かる」


 すぐに魔術の門が展開された。


 どうも気味が悪い。


 簡単に致命傷を負った狂鳥、動かない敵の本隊、間断なく送られてくる合成獣や草原の民といった戦力。


 こんな時にガスパールの間抜けは消えるし、キコも狂鳥も動けない。俺まで外壁から離れなくてはならないとは。


 狂鳥の配下がいるとはいえ、囁く悪魔の本隊が攻めてくれば、外壁付近の戦況は一気に傾く。突破されるような展開になれば、メロイアンが受けるダメージは計り知れん。


 ちっ。


 ここまで敵に好き勝手させるとは……。


 噂というのは尾ヒレがつくものだ。狂鳥という男もこの程度だったということだろう。


 「ユジーだ!」

 「サカ様を助けてっ!」

 「こっちこっち!」

 「アイツ、変なんだ。誰も勝てない!」

 「早く!」


 かなり混乱している。


 なんだこの負傷者の数は……。なにが暴れたらこんなことになるのだ。


 「サガぁぁああ!」


 ヒト?


 いや、とてもヒトには見えん。獣人とも、他の亜人とも違う。なんだアレは。


 サカが追われている。かなりの深手を負っているようだ。危険な状態。


 「貴様、ユジーだな」


 草原の民までいるのか。


 間に合わん。


 と、その時、俺と対面していた草原の民の体から血が噴き出した。いままで見たこともないほど見事な太刀筋だった。


 「こっちは僕たちに任せてくれるかな?」

 「お前は?」

 「ヨシュだ。一族の者が迷惑をかける」

 「任せた」

 「あぁ」


 しかし、あの男は何者なんだ。明らかに他とは違う。


 考えている暇などないか……。



 ガキンッ!



 重い。重すぎる。


 「サカ! 無事か?」

 「遅いわよ……」

 「あれはなんなのだ?」

 「リッツ・アン・デガルステン、デルア王国の元舞将。悪いことは言わないわ。時間を稼いで援軍が来るのを待ちなさい」

 「断る。すぐにケガの治療をしろ」


 このレベルに対抗できる実力を持っている者となると、限られてくる。


 すぐに思いつくのは狂鳥の右腕、マンデイ。だがあの女はいま狂鳥と共にいる。


 キコも天守閣付近の護衛。ガスパールのアホは行方不明。他の実力者は敵本隊と睨み合っている。動けばバランスが崩壊するだろう。


 この場を切り抜けられるのは、俺以外にいない。


 リッツが地面を蹴る。


 なんて出鱈目でたらめ踏込ふみこみだ。


 一歩で、地面が蜘蛛の巣状に割れた。


 攻撃を受けようと剣を構えたが、寸前で回避へとシフト。狂鳥が造った武器が、いかに頑丈であろうと、これは受けられん。俺の体が壊される。


 リッツの攻撃をかわした時に、感じた。


 一撃だ。


 この勝負、一撃で決まる。


 リッツの斬撃は重さだけじゃない。速さ、そして、無駄のなさ。やるなら腕一本、運が悪ければ命くらいは失う覚悟でなければならん。


 「ようやく、避難が一段落した。これで私も心置きなく動けるよ」


 バーチェットか。


 「遅い到着だな、バーチェット。だが、こいつは尋常じゃないぞ」

 「あぁ、狂鳥の目から報告は受けているよ」

 「目?」

 「彼らだ」


 いつの間にか、療養所付き以外のネズミ住人がわらわらと集まっていた。


 「やっちゃえ!」

 「そんな奴、倒しちゃえ!」

 「バーチェット様とユジーがいるんだ。負けるわけない」

 「がんばれっ!」


 狂鳥の目、か。


 「いい比喩ひゆだな」

 「今日以上に彼らの力を強く感じたことはない」

 「あぁ」


 修羅場を潜って来た者同士には、特有の波長がある。


 言葉じゃない。感覚で通じ合う。


 互いがなにを考え、なにを思っているのかが、わかるのだ。


 一撃で決まる。


 俺が感じたことを、バーチェットも感じているのがわかった。


 リッツが一歩、踏み出す。


 来る。


 ――君がサカのところに新しく入った用心棒か。


 ――あぁ。


 ――いい面構えじゃないか。名は。


 ――ユジー、あんたは?


 ――仁友会、会長スコット・フィル・バーチェット。組織は違うがおなじ街の仲間だ。なにかあったら訪ねて来るといい。


 カリスマ・バーチェット。


 猛烈な勢いで振られた剣を、奴は、腕だけで、受けた。


 「この程度で私の腕が斬れるとでも?」


 涼しい顔をしているが、あの斬撃、骨まで到達しているだろう。


 まったく、この街の男は……。


 俺はすかさず剣を抜き、リッツの利き腕を叩き斬った。


 「貴様ぁぁああ!」


 ん?


 この男……、先程のような人間離れした雰囲気がなくなっている?


 「おい君、私を忘れるな」


 この街最強の男の拳が、リッツの頬にめり込んだ。


 バーチェットの拳をまともに食らったんだ。普通なら立てない。


 だがこの男は。


 「あぁあ、腕を斬られちゃった」


 なぜ、平然としていられる。


 「なるほど。これがヨークの言ってた、乗り越えた、って状態なのか。確かにすごいな。生まれ変わった気分だ。腕を斬られてよかった。いや、あなたが殴ってくれたかもしれない。お陰で地獄から帰ってこれたよ。どうもありがとう」


 この男は、なにかがおかしい。


 「おい、リッツ。貴様、なにを言っている」

 「なにってそのままだよ。いやぁ、実はね、殺したい奴がいるんだけど、いくら頑張っても勝てそうになかったんだ。だからね、自分なりに色々調べてさ、ようやく見つけたんだよね。強くなる方法を。もっと時間がかかると思ってたんだけど、意外と簡単だった。いまは気分がいいから、殺さないでおいてあげるよ。サカの命もどうでもいい。とりあえず、そこをどいてくれるかな?」

 「断る」

 「そうか」


 まったく、見えなかった。痛みすら、感じなかった。




 「俺は……」

 「天使エステルが君を救った」

 「だがエステルは……」

 「とりあえず狂鳥はまだ生きているようだ。しかしアレはなんだったんだ」


 アレは……。


 あんなのは見たこともない。


 「バーチェット、アレは……」

 「かつて狂鳥が言っていた。いつか戦わなければならなくなる、と」

 「あぁ」

 「侵略者と戦うということはこういうこと、なんだろうな」


 生き物を超越した個体。化け物。


 いったい、誰があれを止めるというんだ。

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