第235話 冷タイ 血
「いやはや、お見事な手腕でございました、サカ様。敵の間の抜けた表情といったらありませんでしたねぇ」
「問題はここからね、この男をどうしたものか」
「どう、とは?」
「どの情報を隠し、どの情報を流すかの選択が、今後の展開を大きく左右する」
「狂鳥様の指示を仰ぎますか?」
最悪、事後報告でもいいかもしれないけど……。
「そうね、ファウストの指示が欲しい」
ドクトル・レナードは、そそくさと部屋を出ると、伝令の
「サカ様、その部屋、どうも濃度が高すぎるようです!」
「わかってるわ、ドクトル・レナード」
さて、楽しい楽しいお仕事の時間だ。
負傷兵に紛れて療養所に侵入する策と胆力、身のこなしや鍛えられた筋肉などの身体的特徴から、この男が普通の兵士じゃないことは間違いない。
しかし勇敢なる侵入者が押し入ってきた、この部屋。ここはメロイアン・コネクションのトップである、私の部屋だ。
いつも幻覚作用のある煙で満たされていて、ちょっと焚く植物の種類や、活性化させる微生物の比率を変えるだけで、効果を調整することが可能である。
もちろん、私自身にも幻覚は効く。部屋のなかに満たされた物質は、すべての生物の判断力を低下させてしまう。
「久しぶりね、えぇっと、あなたは……」
「リッツだ。君は誰だったかな……。記憶にないんだ」
リッツ、どこかで聞いたような。
扉の向こう側にいたレナードに、小声で尋ねた。すると。
「デルアの元舞将ですね。なかなかの大物ではありませんか」
「他に役に立ちそうな情報は」
「家族を戦争で失っています。先代闘将のユキ・シコウとは子弟関係。狂鳥様がシャム・ドゥマルトを攻略した際、真っ先に捕まえた人物でもあります。その時も単身で狂鳥様の配下、ヨキ様のまえに現れ、捕獲されています」
「一度やったヘマを繰り返す奴は本物のバカだ。こいつが仲間じゃなくてよかったよ」
「まったく、その通りです」
まだ、完全に落ちたわけではなさそうだけど、目は
「ユキだよ、リッツ。久しぶり」
「あぁ、ユキさん。僕はバカだなぁ、あなたを忘れるなんて」
「いま、なにをしてるんだ、リッツ」
「いま? いまは……」
リッツの目に光が戻った。
「あら、やるわね」
突如、リッツが抜剣、空を切り裂いた。
「この甘い臭いが……」
そしてリッツは、空気を吸い込まないように服で鼻と口を塞ぎ、身を低くした。
さすがは元デルア舞将。
こんな若い男だとは思ってなかったけど、リッツ・アン・デガルステンの名はメロイアンにも届いていた。
デルアの闇で暗躍した将。メロイアンの極道と同種の、汚い男。
「ねぇリッツ、これからどうするつもりなの?」
「どうする? あんたを殺して逃げるさ」
ヒュッ、と、誰もいない場所に剣を振るリッツ。
「私がメロイアン・コネクションを、どうやって大きくしたかわかる?」
「いや、興味もないね」
ヒュッ!
「正しい目利きよ。メロイアン・コネクションが流通させていた品物はすべて、私がこの身で試し、常に一定以上の品質を約束してた」
「嘘も
「体が壊れる? そうね、私は嘘をついているのかもしれない。でもおなじ空間にいるにも関わらず、私だけ幻覚を見ずに済んでいるのはなぜ?」
「なぜ?」
「毒代謝。私の体にはあらゆる毒薬、劇薬、麻薬をすぐさま代謝する機構がある。だからあなたとおなじ部屋、おなじ空気を吸っているのに、こうやって普通に活動できているのね」
「そんなわけがあるか」
「そうね。こうやってあなたが話している私も幻想かもしれないし、いまあなたが生きているのすら幻想なのかもしれない」
「来るなっ!」
ヒュッ!
「つまるところ、確実なんてものはなに一つないのね。私がここにいることも、侵略者や代表者も、囁く悪魔だって、ファウストだって、あなただって、私ですらそう。全部、偽物かもしれない。私がいま、あなたに話しかけているこの瞬間すら存在せず、記憶ですら何者かに
「ハハハ、わかったぞ! 貴様の使っているトリックが! このペテン師め!」
「かわいそうなリッツ。トリックなんてないのよ。私たちの存在そのものが不確かで、なんの証明もないのに、トリックなんてあるはずがないじゃない」
ヒュッ!
「ほら、斬れた。この手応えは本物だ! お前の弱点はもう、わかった!」
目の光が完全になくなった。完全に落ちたみたいだ。
「僕の、僕の勝ちだ!」
リッツ・アン・デガルステン。なんとも惨めな男だ。
デルアでも身内の情報を相手方に渡し、またおなじことを繰り返す。自分のサイズを見誤って大物だと錯覚し、仲間の足を引っ張る。
つくづく思う。コイツが身内じゃなくてよかった。
「ドクトル・レナード、終わったわ。完全に落ちた」
「さすがはサカ様」
「この程度なら、なんの問題もない」
「はい。ところでサカ様、狂鳥様より指示を受けました。私、クエン・B、プラム・Sに直接話したいことがあるから、すぐに集まるようにとのこと。向かっても?」
「もちろんよ、ついでにこの男の処理の方法も聞いておいて」
「かしこまりました」
治療に運ばれてくる者の数が、目に見えて減ってきた。外の騒がしさも落ち着いている。
こんな小物を送り込まなければならないほど、追い込まれていたとするなら、ファウストに負けはないわ。
「サカ……」
!?
「不確かなものばかりの世の中だ、迷いそうになる」
「リッツ、あんたいったい、どうやって……」
「確かなものに触れたんだ」
「そう」
視界のはじの方で、ネズミが一匹、消えるのが見えた。
療養所はメロイアンの急所だ。
リッツが押し入ってきた時点で、手が空いてて実力のある誰かに救援要請がいってるはず。
時間稼ぎさえすれば。
「こ、ごろして。サカをごろしでぇ! ゔぉくがぁぁあああ!」
なるほど。
明暗の大天使エルマーとおなじだ。侵略者にやられて心が壊れてる。
時間稼ぎなんて悠長なことを言ってる場合じゃないかもね。
なんとかして生き残らなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます