第190話 闘神 手向ケ Ⅱ
知の代表者であるファウストの創造物は、他の物とは明らかに違う。
そして、他の代表者も別格だ。不死身、感応、巨躯、大食、どれも強力。一般的な生き物が手の届かないスペシャルな力。
だがそのなかにあっても、ファウストの能力は異質である。
創造する力は世界のバランスを崩しかねない。
石を金に変えられる。目に見えないほど小さな生き物を造る。魔力を無限に生み出す建造物を創造する。そして極めつけは病と毒を生み出す。
味方であるうちはいい。だが、もしファウストが敵に呑み込まれてしまった時は……。
突進してくるゴブリンに対し、一歩前に踏み出して盾を合わせる。
ワト軍のゴブリンの身体能力は高い。そんなゴブリンの決死の突進を普通の盾で受けてしまったらどうなっているだろうか。体のバランスを崩したり、腕が痺れたり、どちらにしろわずかでも隙を生んでしまうはずだ。
だが、ファウストの盾は完璧に衝撃を吸収する。
カツン、と音がして、ゴブリンの動きが止まった。まったく手が痺れるような感じはないし、体のバランスが崩れることもない。まるで子供とじゃれあっているような気分だ。
クロスボウもそうだ。弓に熟達していない者が使っても簡単に操作できて、思ったところに矢が飛び、簡単に敵の肉を貫いて骨を砕く。
世界を転覆させる能力。
デルア初代女王のアシュリーですらこれほどの力をもっていなかったはずだ。
ファウストの予想では、ワト軍と我々の戦力差は五分か若干有利とのことだったが、明らかにこちらが押している。
たしかに初動、俺の指揮がうまく機能した。だとしてもここまで有利にことが運んでいるのは、ファウストの創造した物のお蔭だろう。
このまま攻めれば勝てる。被害も微少に抑えることが出来そうだ。
だがもし、この戦いの流れが変わるとすれば……。
(ミクリル王子)
(どうした)
(奴が動きました。王子の方へ突っ込んできます)
(【闘神】の周囲に【飛榴弾】を)
【闘神】、奴が暴れて陣形を崩された時。
いまの状態で奴を受ければこちらの前線は崩れる可能性がある。バリスタや投石器、弓兵が機能しなくなれば、敵にかかる圧は下がってしまう。
陣形を崩させないようにしなくては。
ここだ。
ここが勝負の分かれ目。
「ルド! 敵の動きを鈍らせろ! 【闘神】を孤立させる」
「うむ」
敵の攻めは通させない。最後まで攻め勝つ。
「アレン! クラヴァン! 道を切り開くぞ!」
「おうよ」「はいッ」
大丈夫だ。思考は淀んでいない。
――熱くなってはいけませんよ、王子。
まだ、ユキがいる。
俺の記憶のなかに。魂に。
俺とアレン、クラヴァンの三人で敵軍に穴を開け、前線を突出させる。【闘神】は孤立しそうに見える俺たちを狙うだろう。
クラヴァンは強化術と体術の達人、俺はファウストが創造した盾を装備しており、アレンはデルア最強の兵士。一撃は耐えられるはず。
三人で敵の注意を散らしつつ相手をして……。
「ルート! 【飛榴弾】を爆発させるな! 投石をしているゴブリンを射ぬくんだ!」
「はっ!」
獣との戦いを経験したのも大きい。あの時よりも視野が広がり、戦場の隅々まで見えている。
【飛榴弾】の破裂音、ゴブリンの雄たけび、盾が敵の棍棒や爪を弾く音。
それらの情報に邪魔をされていても集中力だけは切れてない。頭はどこまでもクリアだ。
「わずらわしいメシだな」
なんの曇りもなく見えている。
「会いたかったぞ」
「おかしいな、人間。捕食者のまえでは貴様らメシは血相を変えて逃げだすものだがな」
「俺たちはお前に食われるほど弱くはない」
盾を上げようとした瞬間、奴は目のまえにいた。
「いいや、人間。貴様らは弱い」
一瞬の出来事だ。
ゴブリンの成長は早い。人間など比にならないほど。
ユキと闘った時には普通のゴブリンより少し背が高い程度だったが、いまの背丈は人よりも頭二つ分高い。
こんな巨体ならそう速くは動けないだろうと思い込んでいた。が、【闘神】の踏込みは、俺の予想をはるかに超えていた。
――その盾はある程度の衝撃は完璧に吸収します。対人間ならどれだけの使い手だろうと、その盾で守りを固めたミクリル王子を傷つけることは出来ないでしょう。ですが、これからは人智を超えた超生物と戦うこともあります。
腕を振り上げる【闘神】
――だから訓練をしてください。
インパクトの瞬間、俺は後方に跳躍した。
――敵の攻撃を受け流す訓練を。
離れ際、【闘神】のふとももを狙って槍を投げた。タイミングは完璧だったはずだが、いとも簡単に回避されてしまった。
一撃は受け切れた。
だが……。
「どうした、人間」
圧倒的な能力の差。
なんということだ。
後方への跳躍の着地とほぼ同時に【闘神】の追撃が。
地面に足がついてないないから、もう跳べない。
まともに攻撃を食らったら……。
スッと伸びてくるゴブリンの腕。
まだだ。まだ死ねない。
俺は投槍を引き寄せ、それを受けとった力を利用して体をねじる。
まだだ。
振り下ろされる拳に盾を合わせ、体を回転させた。
「チッ、無駄なあがきを」
盾はもう充分にエネルギーを溜まっている。次の一撃で。
「死ねッ」
【衝撃】
一瞬、【闘神】が体勢を崩した。
突然の出来事に反応できずにいた、アレンとクラヴァンが駆けつける。そして俺が作ったわずかな隙を見逃さずにクラヴァンが膝の裏に蹴りを入れ、アレンが毒の息を吐く。
タイミングは、いましかない。
「全軍、前進! 【闘神】を囲め!」
包囲さえしてしまえば、いくらコイツが強くても……。
「ククククク……」
己の目を疑った。
「囲む? 貴様らのような弱小種族は、どうあがいても我々に食われる運命なのだ」
指示を出すためにわずかな間、視線を切っただけだった。
そのごくごく短い時間に、なにかが起こった。そしてクラヴァンは力なく倒れ、アレンも膝をついていた。
動揺。
これはもしかすると、なにをしても勝てないのかもしれないという諦念。
嫌な空気が流れた。
ピッ!
しかしその空気を引き裂くように、鋭い矢が空を切る。
「集中を切らしたらダメだ! 王子!」
ルート……。
「この程度の拳であの性悪ババアが死んだんなんて、まったく情けない話だ」
「クラヴァン!」
「なんちゅう顔してるんだ王子様。そりゃ負け犬の顔だぜ」
うまく攻撃を受けたか。
いや、痛みを我慢しているように見える。まだいけるだろうか。
「いける。まだ負けてない」
「アレン!」
アレンは……。
硬い外皮が功を奏したか。
と、その時、【闘神】の頭上に魔方陣が。
だが残念ながらバックステップで回避されてしまう。
「魔術の祖、ル・マウならこの程度の敵には屈しなかっただろう。そして儂も負けぬ。なぜなら儂、ルド・マウは初代魔将ル・マウの正当な後継者なのだから」
「ルド!」
誰も諦めていない。
このゴブリンに勝てるビジョンが浮かばないが、諦めてなるものか。
ファウストなら諦めない。最後の一瞬まで勝てる方法を探すだろう。
俺もだ。
こんなところで……。
「虫どもが! まとめて肉玉にしてやる……」
負けるわけにはいかん!
「足だ! 足を狙え!」
動きさえ止めてしまえばルドの魔術で押し潰せる。
「後のことは考えるな! いま、コイツをやるんだ!」
恐れるな。熱くなるな。委縮するな。
「いい指示だな、王子様」
【廃陣】
クラヴァンの筋肉が膨れ上がり、血管が怒張する。
強化術の奥義。初めて目にする。体が一回り大きくなったようだ。
「ククク、あの人間が使った技か。その程度でこの俺の命をとれると思ったか」
口では強がっているが、その口ぶりに反して行動は性急だった。ユキの死陣の脅威を経験している【闘神】は、【廃陣】を警戒しているのだろう。一瞬で間合いを詰めると、腕を振り上げる。
「その程度か?」
「なに!」
信じられない光景だった。。ファウストの盾ですら衝撃を受け切れなかった【闘神】の拳を、クラヴァンは素手で掴んだのだ。
「あの性悪女を殺したくらいでいい気になってんじゃねぇぞ、ガキが。強化術の神髄は精神だ。仲間を逃がすために振るう時間稼ぎの拳と、その汚ねぇ面に一発たたき込んでやるつもりで振るう拳じゃな……」
クラヴァンの拳が【闘神】の頬に触れたその時、空気が歪んだ。
「重さが違ぇ」
血だ。
【闘神】が血を流した。
いける。勝てる。
「王子様。もし僕がみんなを傷つけたら、その時は僕を……、殺してください」
「なにをするつもりだアレン」
「僕は村を救ってくれた王子様のような……、立派な男に、なるんだ……」
なんだ!?
【竜の心】
Gyaaaaaa!
アレンが咆哮を上げた。瞳はいつものアレンのものではなく、暴れ回る竜のそれだ。
「なんのこの程度! 貴様ら弱小種族に――」
ガシッ。
アレンが【闘神】の頭を掴み地面に叩きつけ、投げた。
なにが起こっているかはわからないが、アレンがやってくれた。
「機を逃すな! 責め立てろ!」
く。
筋肉が邪魔で槍が刺さらない。
なら刺さるまで力を加え続けるのみ。
アレンの攻撃で隙をみせた【闘神】に槍を向け、
【衝撃】
「ぐあぁぁぁ!」
よし、腹部に槍が刺さった。
いける! 押せる!
「僕の世界を体験してみませんか?」
ピッ! ピッ!
「ようこそ、暗闇へ」
風を切り裂いて飛ぶ二本の矢は、迷うことなく【闘神】の瞳に吸い込まれていった。
「ルド! ゲートを繋げ! 奴の体を真っ二つに引き裂いてやる」
「うむ」
【ゲート】
【闘神】が、ルドの展開した【ゲート】の中心を通るように位置取り、投槍を引き寄せる。
投槍と一緒に奴の体が引き寄せられ、【ゲート】を潜り抜けるその瞬間にゲートを解除。外皮がいくら硬くても、筋肉がいくら発達していても無駄だ。
「勝った……、のか……」
いくら強かった生き物も、死んでしまえばただの肉塊だ。
「チッ、いいところだけもっていきやがって」
「そう言うなクラヴァン。お前の活躍は誰もが認めてる」
「そりゃよかった。じゃ、俺はちゃっと休んでますから」
「あぁ。お前が目を覚ました頃には全部終ってるよ」
「どうも」
バタン、と倒れ込んだクラヴァン。【闘神】を殴った拳はひどく腫れていて、指が曲っている。
人間の領域を超えた身体能力、廃陣の影響だ。
「オウ、子、様」
「アレン!」
「ハァ、ハァ、ハァ」
「無事か?」
「はい、ちょっと疲れちゃったけど戦えます」
「お前のお蔭で助かった、ありがとう」
「とんでもない」
なんとか勝てた。
「みなの活躍で敵将は討ち取った! しかし最後まで油断するな! 敵を殲滅するまで戦い続けるぞ!」
俺は光を失った瞳で虚空を眺める【闘神】の耳を削いだ。
ユキへの手向けとして。
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