第152話 剣 ノ 舞 Ⅱ

   ◇ 飛 剣 ◇


 ―― 明暗統治領 ――




 もう二日になる。


 リズベットが食事を受け付けなくなってから。


 目撃してしまったものがあまりにも衝撃的だった。あの光景が楽天的なこの悪魔から光を奪ってしまったのだ。


 「リズベット。飯だ、食え」

 「すみませんヨキさん。食欲がないのです」

 「もうすぐ追いつく。飯を食わなくては力が出んぞ」

 「すみません。どうしても食べれそうにないんです」


 かつてリズベットが暮らしていた土地にはなにも残っていなかった。


 ――ここはトルさんの店でした。美味しい野菜炒めを出すお店で、昼間から酒飲みが騒いでいたんです。


 そう言ってリズベットが指差したのは、壁が崩れてボロボロになった建物だ。床には乾いた血液や砕かれた骨。酒瓶はすべて割られていた。


 かつて街だったその場所に漂っていたのは生活の匂いではなく死の香りだった。戦場に充満する気が重くなるような臭い。


 ――ここは公園でした。私も子供の頃は父に連れられてよく遊びに来た記憶があります。


 公園は煮炊き場になっていたようだ。火をつけた痕跡や穴の空いた大鍋、刃の欠けた包丁などが転がっている。ここを襲った奴らは骨の一部と排泄物、血液以外はすべて食べていたようで、その残骸が散乱していた。


 ――小鬼ゴブリンだと思います。


 物の食べ方、生活の仕方は完全にゴブリンと一致するらしいが、所々に知性を感じるとのこと。


 ――なにかがゴブリンを指揮しているのかもしれません。


 大切な物を奪われた時に復讐に燃える者は、戦う力や気概のある者だ。それが欠けた者はただ絶望するしかない。


 リズベットは食事を拒んだ。口に食べ物を入れるが、飲み込めないのだ。


 なにかを食べようとするとゴブリンの食事の跡を思い出すのだろう。


 ――すべての住民が殺されたと決まったわけではない。


 俺は言った。気休めのつもりだった。


 ――ならゴブリンの群れの後を追いましょう。


 なにか役割や目的があればリズベットを支配する憂鬱も少しは楽になるかもしれんと思い、リズベットの案を呑んだ。


 しかしその選択が誤りであったとすぐに後悔することになる。


 道に打ち捨てられたのはかつて生き物だったなにか。鳥の羽や骨の一部、まとめて捨てられた排泄物、雑に捨てられた、生物の所有物。リズベットはそれを見るたびに目に涙を溜めていた。


 ――もう止めるか?


 あまりにも辛そうだったから尋ねた。


 ――いいえ、止めたくありません。


 リズベットはファウストの元を離れた後もずっと戦っていた。終わりのない戦い。自分との戦いだ。


 自分のような不幸な生き物を救うために侵略者と戦うことを決めた。だが弓将ルベルの殺気と死に様に心を折られてしまう。不甲斐ない自分自身への憤りと折り合いをつけるために恵まれない者へ施しをした。そうすれば少しは世界がよくなるかもしれないから。


 こんなことで本当に世界は良い方向に進んでいるのだろうかという疑問は押し殺して。


 ――私の甘さが、こういう形になって、私の目の前に現れているのかもしれません。


 リズベットが手にしたのは血に濡れたぬいぐるみだった。食われた悪魔、幼子おさなごが所有していた物だろう。


 ゴブリンの群れを追うのは簡単だった。かなりの数がいるようで、奴らが通った後の地面はしっかりと踏み固められ足跡が残っていたし、食べ残しも目印になる。しばらく追跡するとリズベットの耳がゴブリンの音を聞き取った。


 そしていま、俺たちはゴブリンの姿がよくみえる高台にいる。


 「え!?」

 「どうした」


 俺の目では緑色の点が虫のようにワラワラと動いているようにしか見えないのだが、リズベットはしっかりと見えている。コイツの視力は尋常じゃない。


 「なにから話せばいいのかわかりません」

 「一つずつ話してみろ」


 リズベットの顔から血の気が引いていった。


 「まずあれはゴブリンじゃありません。なにか別の生き物です」

 「なぜそう思う」

 「体の大きさ、筋肉のつき方、装備、洗練された動き。ゴブリンと似ているのは肌の色と顔つきくらいです。数も尋常じゃない。大地を埋め尽くすほどの軍勢。ゴブリンのなかに天使が混じってます。もしかすると天使が指揮をしているのかも」

 「なにが起こってるんだ」

 「わかりません。それに誰かが丸太に張り付けにされています。若い女性。天使のようです。手足を切りとられてる。あれは……」

 「知った顔か?」


 ゴクリと唾を呑むリズベット。


 「たぶん」

 「誰だ」

 「エステルさんです」


 クソ。


 「まだ生きているのか?」

 「わかりません。あっ、動きました」

 「おいリズベット。俺はエステルを救出する。お前はゴマと行け。ファウストにこのことを伝えるんだ」

 「ダメです。あの軍勢に飛びこんだら生きては帰れない!」

 「エステルはファウストと同様、この世界を救うために生まれた代表者だ。あいつが死ねばどうなるかわからん。俺の実態は霊体。体が朽ちても復活できる」

 「レイスだって魔法攻撃を受けたら消滅します!」


 面倒な奴だ。


 「ならお前も戦うか? 故郷を奪われた程度で萎れて飯も食えなくなるような軟弱者のお前に戦う気概があるのか!?」

 「戦えます」

 「一度戦場から逃げたお前を信じると思ることは出来ん」

 「戦いたい! もう、負けない! もう振り返らない! もうなにも奪わせない!」




   ◇ 剣姫 ◇


 ―― 明暗統治領 ――




 「ねぇお嬢ちゃん? 本当に行くの?」

 「うん。行くよ? どうして?」

 「だから何度も言ってるでしょう? 便りがないのよ。クチュワルからもプルソンからも。なにが起こってるかわからないの」

 「でも長髪の剣士はそっちに向かったんでしょう?」

 「そうだけど……」

 「なら私も行く。強い相手と剣の修行をしたいんだ。お姉さんのおかげでいい剣も手に入れたしね。明日の朝ごはんまでお願いしてもいい? それまで食べてから出発するから」

 「……」


 みんな心配性だなぁ。


 便りがないくらいでビクビクしすぎだって。


 さてさて、今日の戦果を確認しようかな。


 いやぁ、これは立派な剣だ。


 にしても昼の天使はバカだったなぁ。


 ――おい貴様、草原のマヤだな。


 ――そうだけど? なんか用?


 ――来てもらおうか。話は後だ。


 ――嫌だよ。なにされるかわかんないじゃん。


 ――我らの主人がお前に用がある。ゴチャゴチャ言わずに早く来い。


 ――だから嫌だって。話があるなら主人ってのが出てくればいいじゃん。なんで私が行かなくちゃいけないわけ?


 ――断るなら力ずく連れて行く。


 ――いいね。そっちの方がシンプル。


 腕はぼちぼち。仲間同士で回復し合いながら戦うのも面倒ではあった。でもあの程度じゃまだまだだね。草原の民の子供くらいの強さ。どうしてあの程度でアタシに勝てると思ったんだろう。不思議だ。


 ていうかなんで私の名前を知ってたんだろう。それも不思議。


 バカな剣士のことはもういいや。あんまり面白くなかったし。


 それよりも天使がもっていたこの剣だ。笑えるくらいよく斬れる。色んな剣を振ってきたけど、こんなのは初めて。やっぱり小人が造ったのかな。


 ん? なにか書いてある。


 「ようとう、びゃくや?」


 なんだろう、これ。


 「よくわかんないなぁ」


 振ったら刀身が増えるのもおもしろい。


 「はは、ははは」


 最高の拾い物をした。今日は本当にいい日だ。


 「マヤだな?」


 ん?


 「誰?」


 眼前にいたのは……。悪魔?


 「名前はない。ただこう呼ばれている囁く悪魔と」


 立派な体だ。いい筋肉。でもなんか違和感がある。なんだろう、なにが変なんだろう。


 あれ? 筋肉の動きが違う。肌の感じもおかしい。生き物じゃないみたいだ。金属とか土とか、そういう物で作られた人形みたい。


 「うん、で、なんの用?」

 「ふふふ、突然現れたのに驚きもしないか。大した胆力だ」


 あっ!


 「君は小心者みたいだね。で、なんの用?」

 「小心者だと?」

 「だって君、偽物でしょ? 剣士だから目には自信があるんだ。あれ? あぁなるほどなるほど」

 「なにをしている?」

 「なにをしているってただ目を覚ますだけだよ?」


 私はゆっくりと息を吸って体中に力を溜め、解放した。


 「ほらやっぱり!」

 「!?」

 「草原の民はね、いっつも殺し合いをしてるから知ってるんだ。君みたいな卑怯なやりかたをする相手の対処法を」

 「なに!?」


 先程の筋骨隆々の悪魔はもういない。いるのは小人サイズの小さく華奢な悪魔。


 「ねぇ教えて欲しいんだけど、いつ私に薬を飲ませたの?」

 「……」

 「答えないのなら斬るけど?」

 「……、薬は必要ない。これがボクの……、ボクだけの能力なんだ」

 「そうなんだ。大抵の毒は味でわかる自信があるからどうやったのかなぁって思った。で、なんの用?」

 「助けて欲しい」

 「なんで?」

 「世界を解放したいんだ。そのためには力がいる。君のような優れた者の力が」


 よくわかんないけど楽しそう。


 「いいよ」

 「本当に!?」

 「うん、ホント。でもすぐには無理だね。いまは戦いたい人がいるから」

 「それならば剣姫マヤ、手が空いたらボク達と一緒に戦ってくれる?」

 「うん。楽しそうだし」

 「ありがとう! ボクはデルア北部の忘れられた森、神の土地である【毒虫の森】で力を蓄えてるんだ。世界を解放するために。君が生まれた草原のさらに北だけどわかる?」


 草原の北? あぁあの陰鬱な森か。


 「いいよ。わかった」

 「本当にありがとう!」


 あそこは毒虫がいっぱいいるから入っちゃダメだって言われてたけど……。まぁいいか。




   ◇ 舞姫 ◇


 ―― デルア北部 ――





 王子様がいつになく暗い顔をしている。どうしたんだろう。


 「ベル」


 はっ! 私を呼んだ? 違う違う。バレてないはず。私は石だ、木だ。バレてない、バレてない。


 「そこにいるんだろう」


 大丈夫。バレてない。私はいける。大丈夫。


 「最近お前の気配を感じられるようになってきた。ちょっとこっちに来てくれ」

 「もしかして、バレてます?」

 「あぁ」


 ちっ。


 なんか落ち込んでいるみたいだったからって仏心で近付いたのが失敗だった。あれは罠だったんだ。


 くぅ。さすがは王子。


 「な、なんですか」

 「またお前に救われた。礼を言う」


 ……。


 きっとこれも罠だ。騙されないぞ。


 ……。


 気まずい。もういいかな? 機嫌を損ねたらどうなるかわからないし。


 「ミクリル王子!」


 うわっ! びっくりした! ルートさん?


 「どうした」

 「奴が吐きました」

 「そうか。それで?」

 「明暗で動きがあります。聖者ワト率いる天使の軍勢がゴブリンを指揮し誘導。奴らは悪魔の街を根絶やしにし、それを糧にゴブリンを増やし、合成虫で強化しているようです」

 「合成虫……」

 「次の目標は……、デルアです。敵拠点も判明、デルア最北部、通称忘れられた森。敵のオーク、モグラ、ネズミの獣人は繁殖力に優れた種、合成虫を用いた同種合成での強化が目的かも。草原を狙ったのもおそらくは……」

 「拠点防衛のためか」


 北の草原は死の番人ヨークに崩され、東からは聖者ワト率いるゴブリンの群れ。シャム・ドゥマルト、デルアが陥落すれば南からの脅威はなくなる。そのうえデルア国民を糧にまた強化されてしまう。聖者ワトの軍勢が虫に侵攻したのは合成虫の採取が目的だったか。


 すべてが後手に回ってしまった。


 「ワイズ、ウェンディ! デルア領内の都市にこの事態を伝え、数を集めろ!」

 「「はっ」」


 数だけでは足りん。


 「クラヴァン!」

 「へい」

 「お前の足と体力を信じたい」

 「嫌な予感しかしませんがとりあえず聞きましょうか。なんです?」

 「このことをファウストに伝えてくれ。アイツの力が必要だ」

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