最後はかならず清が勝つ?

明石竜 

第1話 ぼ、ぼ、ぼくは、へっ、兵隊へ、行くのが、いっ、嫌なんだな。

「清のやつ、やっぱり脱走してしもたか。まあ、そのうち戻ってくるだろう」

昭和十七年、ある初夏の日の朝。千葉県市川市に佇む八幡学園の年老いた園長先生は、ちょっぴり呆れ気味ながらも、微笑ましく呟いた。


時同じくして、

「こっ、怖いんだな。へっ、兵隊へ、行くのは、いっ、嫌なんだな」

 その清という男は、ぽっちゃり体型に丸刈りで風呂敷袋を背負い、下駄を履き、シャツ一枚に半ズボン姿で顔を青ざめさせ、ぶつぶつぼやきながら、線路の上をとぼとぼ歩いていた。

 目前に迫った徴兵検査が嫌で嫌で嫌で仕方なかったのだ。

「どっ、どっ、どこに、逃げようかな? うまく逃げないと、学園の先生に、また捕まって連れ戻されるんだな。ふっ、富士山の、方へ、行けば、いいのかな?」

 清が悩みながら引き続き線路上を歩いていたそんな時、

 ピィィィィィィィ!

 けたたましい汽笛が聞こえてくる。

案の定、彼の後方から真っ黒な蒸気機関車が迫って来たのだ。

「よっ、よけないと、ぼっ、ぼくは、轢かれて死んじゃうんだな……あっ、あの中は、くさくて、嫌だけど、しっ、死ぬのは、もっと、いっ、嫌なんだな」

 焦り顔の清は、勇気を振り絞って線路からぴょんっと飛び降りる。三メートルほど下の肥溜めに落っこちてしまった。

 そしてそのまま、浮かんでこなかった。



 

「こっ、こっ、ここは、どっ、どこなのかな?」

 清は目覚めると、すぐに起き上がって周囲をきょろきょろ見渡した。

 小高い丘の上にいるようだった。

眼下には、彼が今まで見たことのない風景が広がっていた。

中世ヨーロッパ風の煉瓦建築や木造建築が建ち並んでいたのだ。

清のいるすぐ間近には、翼のようなものが生えたうさぎやリスっぽい動物の姿もまみえた。

 草花もエメラルドグリーンに煌いていたりした。

 宝石のようにキラキラ煌く木の実がなっている木もあった。

「よっ、横浜、なのかな? いや、きっと、違うんだな。へっ、変な、生き物もいるんだな」

 清が呆然と立ち尽くしていると、

「うっ、うわわわっ!」

突如、全長五メートル以上は優にあるドラゴンっぽい生き物がグォォッと吠えかかって来た。

「おっ、大きな、トカゲさん、なんだな。にっ、逃げないと、たっ、食べられるんだな」

清は一目散にその場から走り出し、丘を下っていく。


「もっ、もう、追って、来ないかな? こっ、こっ、これは、夢に、違いないな。きっ、きっと夢なんだな。でっ、でも、さっ、寒いんだな。こっ、凍えそうなんだな。ゆっ、夢なのに、おかしいな」

 商店や家々が立ち並ぶ街に入り、石畳の道の上で清が身をすぼめてガタガタ震えていると、

突如、

「どうしたの? 大丈夫?」

 彼の背後から女の子の声が――。

 振り返るとそこには、三つ編みに束ねられた青髪、エルフ耳で、丸顔ぱっちり垂れ目。ヨーロッパ風の民族衣装を身に纏っていた可愛らしい少女がいた。背丈は一三〇センチほど。年は十歳くらいだろうか? 

「ぼっ、ぼっ、ぼくは、さっ、さっきまで、眠っていて、目が覚めたら、みっ、道に迷って、まっ、迷子に、なってるんだな。そっ、それに、ぼっ、ぼっ、ぼくは、おっ、お腹が、すっ、すいてるんだな」

「そうなんだ。可哀そう。だったら、ウチにおいでよ」

「いっ、いいのかな?」

「もっちろんだよ。困ってる旅人を見かけたら助けてあげなさいってお母さんいつも言ってるもん。わたしの名前はタシマヤっていうの。よろしくね♪」

「ぼっ、ぼくの、なっ、名前は、清なんだな」

「清かぁ。変わったお名前だね」

「こっ、ここは、どこなのかな?」

「ササクア王国の首都、ナモンリミカっていう街だよ」

「きっ、聞いたことがない、場所なんだな。がっ、外国なのかな?」

「清くんはどこから来たの?」

「にっ、日本なんだな」

「わたし、そんな場所、聞いたことないや。遠い遠い国みたいだけど、言葉が通じるね」

「ふっ、不思議なんだな」

「うん、不思議、不思議、とっても不思議♪ わたし、日本っていうとこのこと、詳しく知りたいなぁ」

「ぼっ、ぼっ、ぼくも、ササクア王国のこと、しっ、知りたいんだな」

 そんな会話を弾ませているうち、タシマヤという女の子のおウチに辿り着いた。

 赤い煉瓦で出来ていた。

「おっ、大きな、おウチなんだな。でっ、でも、魔女が、出て来そうで、こっ、怖いな。ヘッ、ヘンゼルと、グレーテルのお話に、こういうのが、あったんだな」

 清は足がすくんでいた。

「日本には面白そうなお話があるんだね。わたしのおウチには魔女なんていないよ。ただいまお母さん、日本っていう国から来た、清っていう旅人のお兄さんが道に迷って困ってたから連れて来たよ」

 タシマヤは嬉しそうに紹介する。

「あらまぁ、いらっしゃい。わたくしも初めて聞いた国だわ。わたくし、タシマヤの母のジフと申します。はじめまして」

 ブラウンヘアーに、丸顔ぱっちり瞳。年齢は三十代半ばくらいだろうか? お淑やかそうな感じの人だった。お顔はタシマヤによく似ていた。

「はっ、はっ、はじめまして、なんだな」

 爽やかな笑顔で握手を求められ、清は緊張気味に応じた。

「朗らかな感じの子ね。清ちゃん、自分のお家のようにくつろいでね」

「それは、何か、悪いんだな」

 ジフから言われ、清は苦笑いを浮かべて申し訳なさそうにする。

 外は夕暮れ時で、暗くなりかけていたが、家の中は明るい。

電灯もあったのだ。

「清くん、その恰好だと寒いでしょ。これを着てね」

 タシマヤから羽毛っぽいものが入った上着を渡してくれた。

 青地に白の花柄模様もついていた。

「きれいな、柄なんだな」

 清はありがたくそれを着用する。

「清くん、こちらへどうぞ。もうしばらく待っててね」

 タシマヤに居間的な感じの所にあるテーブル席へ案内された。

「びっ、美術館、みたいだな」

 清は壁に掛けられた装飾品や絵画、彫刻の数々に目を奪われる。

「清ちゃん、お待たせ。お夕飯よ」

「遠慮せずにたくさん食べてね」

 ジフとタシマヤはテーブル上に次々とお料理を運んでくる。

肉、お野菜、果物、その他お惣菜。より取り見取りだ。

「おっ、おにぎりが、あるんだな。ぼっ、ぼっ、ぼくは、おっ、おにぎりが、すっ、好きなんだな」

 三角形に固められた米飯を見て、清は嬉しそうに呟く。

「これはモマテっていう郷土料理なんだけど、清くんの出身地ではそう呼ぶんだね」

 タシマヤはわくわくしながら呟く。

「よっ、呼び方が、違うんだな。ぼっ、ぼっ、ぼくの、お母さんの、作ったおにぎりと、同じ味がするんだな。とっても、美味しいんだな♪」

 清は手づかみで幸せそうに頬張った。

「ふふ。清ちゃん、可愛らしいわ」

 ジフも嬉しそうに微笑む。

「てっ、照れるんだな」

 清はうつむき加減になっておにぎりを頬張り続ける。

「清ちゃん、日本はどの辺りなのかしら?」

 ジフは地球儀らしきものを持って来て、清の眼前にかざした。

「ぼっ、ぼくにも、よく分からないんだな。ぼくの見たことがある地図とは、違う気もするんだな。ぼっ、ぼっ、ぼくのいた、にっ、日本と、アメリカは戦争してるんだな。そっ、それで、ぼっ、ぼくは、へっ、兵隊に、行かされそうになってるんだな。兵隊へ、行くのは、いっ、嫌なんだな。兵隊へ行って、さんざんなぐられ、戦地へ行って、こわい思いをしたり、敵のたまに当たって、死ぬのが、一番、おっかないな。そっ、それで、逃げて来たんだな。そっ、そしたら、気付いたら、こっ、ここにいたんだな。せっ、戦争は、よっ、良くないことなんだな。日本とアメリカは、仲良くしないと、ダメなんだな」

「わたし、清くんの気持ち、とってもよく分かるよ。戦争なんてしても、人がいっぱい死んじゃうだけで、良いことなんて何もないもんね」

「わたくしもよ。戦争はとっても悲惨なものだもの」

「わっ、分かってもらえて、うっ、嬉しいんだな。にっ、日本では、せっ、戦争に反対して、平和を、望んだりすると、非国民にされて、とっ、特高警察に捕まって、殴られて、殺されちゃうんだな」

「日本はすごく怖い国なんだね」

 タシマヤの表情が強張る。

「タシマヤ、日本が怖いんじゃなくて、日本人には怖い人もいるが正しいのよ。清ちゃんみたいなとっても良い子もたくさんいると思うわ。清ちゃん、日本にいるのが危ないのなら、しばらくというか、ずっとここにいてもいいのよ。この国は、とっても平和な所だから、安心して過ごせるわ」

「そっ、それは、もっ、申し訳、ないんだな」

「気にしないで。清ちゃんみたいな良い子なら大歓迎よ」

「わたしも大歓迎だよ♪ 清くん面白いし」

「じゃっ、じゃあ、しっ、しばらく、お世話に、なろうかな?」

「ありがとう、清ちゃん」

 ジフさんは微笑み顔。

「おにぎり、じゃなくて、モテなんとかの料理以外のも、どっ、どれも美味しいな」

 今までに一度も味わったことのないお料理ばかりで、清は幸せいっぱいだった。

「清くん、この国のお料理を食べると、長生き出来るよ。この国の平均寿命は一〇〇歳越えてるからね」

「なっ、長生きなんだな。にっ、日本では、五〇年もないくらいなんだな」

「そうなんだ。日本にもこの国のお料理、広められたらいいな」

 タシマヤは残念がる。

 そのあともいろいろ楽しく会話を弾ませ夕食後、清はジフさんに風呂場へと案内された。

「ぼっ、ぼくの、家には、ふっ、風呂は、なかったな」

 広々とした大浴場で、檜風のもので作られた、一度に十人以上は入れそうな湯船もあった。

「これがお着替えよ。大きめだから、清ちゃんのサイズにも合うと思うわ」

「ねっ、寝巻まで、用意してくれて、ありがたいんだな」

 タータンチェック柄の服が用意されていた。

 これがこの国の一般的な寝巻なのだろうか?

         ☆

「あったかくて、とってもいい湯、なんだな♪」

 清が湯船に浸かって幸せそうにゆったりくつろいでいる時、

 台所では、タシマヤとジフのこんな会話が――。

「お母さん、ガイタニ王国といつまた戦争になるか危機的状況だってこと、伝えなくてよかったのかな」

「うん、絶対言わない方がいいわ。清ちゃんは、必死の思いで戦地から逃げて来たみたいだし。それにね、あの子は、ササクア王国とガイタニ王国との間を平和にしてくれる気がするの。なんだか、野に咲く花のように人を和やかにする力を感じるわ」

「確かに、そんな不思議な雰囲気だよね。あのお兄さん」

 タシマヤが朗らかな気分でそう呟いた矢先、

「どっ、泥棒は、ダッ、ダメなんだな」

「うわっ! ダッ、ダメだよ清くん。そんな恰好で出て来ちゃ」

 とっさに両手で目を負い隠す。

「あらまぁ♪」

 ジフはにっこり微笑む。

 清が真っ裸で二人のいる所に飛び出して来たのだ。

「さっ、さっき、大きな、ねずみみたいな生き物が、ぼっ、ぼくの、服を、盗んでいったんだな。どっ、泥棒をするのは、悪いことなんだな。だから、捕まえて、こらしめないと、いけないんだな。わっ、悪いことをすると、お母さんや、先生に、怒られるんだな」

 そう伝えてそのまま外に飛び出て行ってしまった。

「ちょっと、追いかけてくるね」

 タシマヤもお外へ出ていく。


「きゃっ!」

 若い女の人の悲鳴。

「おい、面白い奴がいるぞ」

「見慣れない奴だな」

「ハッハッハッ! まるで裸の大将だな」

 男の人達の笑い声。

「ママァ、裸のお兄ちゃん」

「裸だ裸だぁ」

「お○ん〇ん丸見えーっ♪」

 子ども達の笑い声も。

 素っ裸の清の姿は町の多くの人々に目撃されてしまっていたのだ。

 今は夜で空は真っ暗だが、付近は街灯に照らされていた。

「まっ、待って、欲しいんだな」

 清はなんとかネズミみたいな生き物に追いつくも、

 チーゥ、チーゥ。

「とっ、飛んだんだな」

 羽を広げて宙に舞い上がってしまった。

 清は呆気にとられた表情で見つめる。

「こら、やめなさい!」

 追いついたタシマヤに注意されると、巨大なネズミみたいな生き物はしょんぼりした様子で鳴き声を上げ、清のシャツを離してくれた。

「ごめんね清くん、あの子、珍しいものを見て興奮しちゃったみたい」

「あっ、ありがとう、なんだな」

「清くん、お礼はいいから、早く服を着てね」

 タシマヤは頬を赤らめながらお願いする。

「わっ、分かったんだな」

 清はちょっぴり焦り気味に返してもらえた服を着込んだ。

「タシマヤちゃん、面白い旅人を連れてきたな」

「ぃよぅ! 裸の大将!」

「はっ、恥ずかしいんだな」

「みんな、清くんをこれ以上からかうのは、やめてあげてね」

 タシマヤの注意に、

「おう!」「はーい」

地元の男共は朗らかな気分で承諾した。

「ぼっ、ぼっ、ぼくは、裸の大将じゃなくて、裸の清なんだな」

「清くん、ここから早く逃げよう」

「そっ、そうだな。恥ずかしいんだな」

 二人はその場から走り去る。

「あっ、清くん。危ない。前、川」

「わわわ」

 清はドボォォンと川に転落してしまった。


         ☆


「元の世界に、戻った、みたいだな」

 清が目を覚ますと、近所の見慣れた風景が広がっていた。

「清、ここで昼寝しとったか。さあ、帰るぞ」

 そしてほどなく園長先生に見つかってしまう。

「いっ、嫌なんだな。耳が尖ってたり、動物の耳や尻尾が付いてた不思議な人もいたけど、平和な、あっちの世界で、暮らしたいんだな。もう一回、川に飛び込めば、戻れるのかな?」

「清、そこ川だぞ。危ない!」

 園長先生の制止を振り切り、清は逃げる。

 そして川に転落、ではなく自らの意思で飛び込んだ。


     ☆


「よかったぁ~。すぐに息を吹き返してくれて」

「あっちの、世界に、戻れたみたいだな。あっ、ありがとうなんだな」

 清が再び目を覚ますと、目の前にタシマヤが。

 こうして、清は無事、彼女のおウチへ帰って行ったのだった。

 そして素敵なお部屋で泊まらせてくれることに。


 翌朝。清が目を覚ました時、タシマヤとはジフは台所にいた。

「こっ、これは、泊めてもらった、お礼なんだな。人に何か助けてもらったら、お礼をしなさいって、お母さんがいつも言ってたんだな」

 清はジフに何かが描かれた三枚の台紙を手渡す。

「あらあら。清ちゃん絵がとっても上手ね」

「わ! これ、わたしの似顔絵だ。そっくり。なんか、紙の切りくずがいっぱい貼り合わさってる。こんな風にして出来た絵、わたし初めて見たよ」

 タシマヤとジフは興奮気味に見つめる。

 この二人の似顔絵と、あの小高い丘から眺めた町の光景と、昨日襲われそうになったドラゴン風の生き物が描かれていたのだ。

「こっ、これは、はっ、貼り絵っていうんだな。ちぎり絵ともいうんだな」

「すっごぉい! 日本にはこんな芸術もあるんだね」

「斬新ね」

「清くんって、日本じゃ超有名な芸術家なんだね」

「いっ、いや、そっ、それほどでも、ないんだな」

「こっちの国でも清くんは絶対偉大な芸術家として評価されるよ。この貼り絵、町の皆に見せに行こっと♪ 清くんもいっしょにおいで。町案内もしてあげるよ」

「そっ、それは、嬉しいんだな。ぼっ、ぼくは、旅をするのが、すっ、好きなんだな」


 兵役から逃げた清がこっちの世界で上手くやって行けるのか? それはまた別のお話。タシマヤが何か不穏なことを言っていた気もするが。

 

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