地球滅亡のおしらせ

焦り男

地球滅亡のおしらせ

『────地球に衝突します』


 八月二十四日正午、ようやく政府は声明を出した。

 それはいわゆる、地球滅亡のおしらせだった。


 『ご存知の方もいらっしゃいますでしょうが……』その語り口の通り、先月頭頃には既に、世間は地球滅亡の話題で持ちきりだった。

 現在放送している政府の公式声明より早く、テレビやウェブニュースで取り上げられていたし、何よりあの影だ。空を見上げれば大きな影が日増しに近づいてきている。その影響か最近は太陽も月もたまにしか顔を出さない。人類史始まって以来最大の緊急事態。


 一週間後、急接近してきた惑星が地球に衝突する。


 空が綺麗な白藍色だから、たしか天王星だったはず。違ったかもしれない。正確には覚えてないけど、とにかく私たち人類は一人残らず死んでしまうのだと、そう聞いた。

 空のような大地がこれまでの景色を侵食していくさま。毎日毎日、明日が近づくほどに終わりは目前なのだと実感する。

 テレビでは政府のお偉い様方が避難の際の注意事項を話していた。連日の報道でニュースキャスターが再三語っていたものなので、耳にたこだ。

 そもそも避難誘導は人々が縋る先として提示してくれているんだと思う。だって世界はもう終わりだ。空を見上げればそれは明白で、この地球上にもう逃げ場なんてない。だからせめて仮初の逃げ場を作って、嘘の安心を提供してあげようとしているんだ。


 普段通りの日常を過ごす人は減った。家にこもる人。犯罪に手を染める人。神様に祈る人。自殺してしまう人。この辺りは増えた気がする。

 皆それぞれどうしようもない気持ちを抱えて生活しているんだろう。大変な世の中になってしまった。


 私はというと、意外にあっけらかんとしていた。来週には死んでいるという事実も意外と簡単に受け入れることができた。

 当然、死ぬのは嫌だ。友達と遊べなくなるし、続きの気になる漫画もあるし。他にもいろいろあるのだろうけど、挙げだしたらキリがない。

 そんな感じで死ぬことのデメリットは山ほどあるけど、実はメリットもあったりする。

 夏休みの宿題をやらなくて済む、とか。

 くだらないことに聞こえるけど、私たち学生にとっては重要なことだ。

 夏休みを謳歌してその最中に死ねるのであれば、それはちょっとだけ幸せなのかもしれない。終わらない夏休みといえば聞こえもいい。夏休みを終えないまま人類は終わるのだ。そう考えると人類滅亡も少し素敵で、ちょっとは情緒あふれるものになるはず。

 そんな不幸中の幸いを抱いて、私は終末を過ごしている。


 この終末、何をすべきなのか。三日三晩悩んだりもした。なにせ時間は限られている。あまりたくさんのことはできないだろう。

 思い切って悪いことでもしてみようか、という思いが脳裏を過った。無許可無免許でお父さんのトラックを運転したり、家の表札に落書きしてみたり、行ってみたい悪事は大量にある。

 けれどいかに来週世界が終わったとしても、やってはいけないことをやるべきではない。後味の悪い死に際になるに決まっている。

 というわけで、後味の良い終末の過ごし方を今思いついた。


 最後の一週間、せっかくだからとことん善人になってみようと思う。



 バタバタと階段を駆け下り、リビングに顔だけ出す。

 祖母ちゃんはどこだろう……きょろきょろ見渡すと、いつもの場所に見慣れた丸々とした背中があった。

 リビングの外窓を開ける。祖母ちゃんはいつもこの縁側で、膝に乗せた猫を撫でている。セットにお茶と大量のお茶請けを置いて。太るわけだ。

 隣に腰掛ける。


「ばあちゃん、世界終わるって」

「そおかい。意外と早いねぇ」

「ばあちゃんの視点で見ても早いんだ」

「ちょっと早いよ」

「ちょっと早いんだ」


 みゃあ、祖母ちゃんに似て太った初老の猫が鳴く。年を重ねても可愛いところが特にそっくりだ。


「ばあちゃん、食べ過ぎたら早死にしちゃうよ」

「なあに、どうせ明日で終わるならいいじゃないの。不健康な生活はするだけ得だよ」

「明日じゃなくて来週だよ。地球滅亡は今月末。それまでは意地でも生きてね」

「しょうがないねぇ」


 生きてねの一言で、祖母ちゃんは脇に隠した缶ビールから手を離してくれた。


「それより聞いてよ、ばあちゃん」

「どうしたんだい?」

「私、善人になろうと思う!」

「へえ」

「どう思う?」

「いいじゃない」

「いいよね」


 私の宣言を否定せず受け止め、普段の調子で猫を撫でる祖母ちゃん。


「手始めにばあちゃんのお願いを叶えたいんだけど、何かある?」

「可愛い孫娘が長生きしてくれることが、お祖母ちゃんの願いだよ」

「ば、ばあちゃん……」


 普通に面食らって感動してしまう。あの捻くれ者のお祖母ちゃんの口から、こんなにも直球で愛のある言葉が放たれるなんて。珍しいこともあるものだ。

 少し涙ぐむ私に、お祖母ちゃんは続ける。


「まあ地球が終わるなら長生きは無理だろうがね」

「ば、ばあちゃん……」


 捻くれ者は終末まで捻くれ者のままだった。


「最初のお願いから失敗しちゃったねぇ。ヒッヒッヒッ」

「ヒッヒッヒッじゃなくて、叶えられそうなお願いをちょうだいよ」


 相変わらず意地の悪い老婆で安心した。世界が終わるくらいじゃ彼女の芯は変わらないようだ。


「願いねぇ。正直これといって無いけど、そうねぇ」

「うんうん」

「買い出しでも行ってもらおうかしら」

「お! いいね、最初に相応しいよ。何を買ってくればいい?」

「酒」

「そう来たか」


 予想通りの回答が返ってきた。


「ばあちゃん、私未成年」

「このご時世に年齢確認とかされないわよ」

「悪い大人だなぁ。ていうか脇に隠してたじゃん」

「残りがもうこれ一本しかないの。お願いチグサちゃん。これがお祖母ちゃんの最後の願いよ」

「最後ならしょうがないなぁ」


 私からお願いを聞きに来たんだし断る理由もない。本当はもう一本冷蔵庫に入ってるの知っているけど。

 急いで買いに行こうと腰を上げる。すると祖母ちゃんがおもむろに私の服の裾を掴み、思わず体制を崩す。


「うおっと、どうしたのさ。ばあちゃん」

「やっぱりこれ、最後のお願いじゃなくてもいいかい? 最後の前のお願いってことで」

「別にいいけど」

「あと酒はビールじゃなくてフルーツ味の甘そうなやつで。あとおつまみも大量に。あと……」

「急に要求多いなぁ」


 祖母ちゃんは「全部使っていいから」と言って、私に一万円札を渡してきた。

 思わず大喜びしちゃったけど、今お金の価値ってどの位なんだろう。

 善は急げ、私はすぐに家を出た。

 

 

 スーパーまで来てみたは良いものの、


「何もない……」


 棚という棚ががらがらで、残る商品は掃除用具や食器が僅かばかり。特に食品棚は全滅していて、何の商品も陳列されていない。

 それもそのはずで、店員さんもいなければお客さんもいない。このスーパーは既にもぬけの殻だった。街中には結構人がいたんだけど。

 仕方ないので他を当たろう。



 コンビニ五軒。スーパー三軒。薬局一軒。

 いずれも収穫は無し。当然自販機も売り切れのみ。


「疲れた……ここが最後の頼みの綱……」


 肩で息をしながら、ひしゃげたシャッターを飛び越える。機能しなくなった自動ドアをこじ開け……と思ったが、重くて少ししか開かない。


「すみませーん! 夏寺チグサでーす! アキヒロさんいますかー?」


 大きな声で人を呼んだ。店の有様から相当酷い目に遭ったのだと推測される。どこもそうだ。窓の割られていない店屋なんて一つもない。

 もし生きているなら、怯えた彼はきっとカウンターの裏で息を潜めている。そして私の声を聞いて、大慌てで飛び出してくるはずだ。


「チグサちゃん!? 本当に? ちょっと待っててくれよ!」


 バタバタと忙しない様子が手に取るように分かる声。良かった、まだご存命だった。


「ふう、待たせたね。お久しぶり、調子はどうだい? 僕は……」

「お久しぶりです。良かったらお邪魔してもいいですか?」

「おっとそうだった。たまには男らしいところ見せちゃおうかな」


 そういうとアキヒロさんは、腕捲りをしてから力いっぱい自動ドアをこじ開けた。

 ……こじ開けたものの、開いた幅は数十センチ。細身の子供がギリギリ通れるくらいの隙間だった。


「ごめん、これが今の僕の全力だ」

「大丈夫です! がんばって通ってみせます」


 言ってはみたが、第二次成長の賜物か、胸部と臀部が引っかかる。

 全力を使い果たしたアキヒロさんの息がもう一段階上がっていた。


「がんばれチグサちゃん! がんばれ!」

「がんばってます! かなり」


 応援の甲斐あってかは知らないが、なんとか入店することができた。

 ここは親戚のアキヒロさんが経営する街の小さなタバコ屋で、小規模ながらお酒とおつまみの販売スペースがある。そこに希望を託したわけだ。


「しかし、しばらく会わない内に大きくなったね、チグサちゃん。いろいろと……」

「いいもの食べてるので。というか最後に会ったの一週間前ですよ」

「一週間は長いよ……非常に」

「アキヒロさん、お酒ってまだありますか?」

「え? 盗まれないように隠してた分ならまだあるけど、なんでお酒? 飲むんじゃないよね」

「おつかいです。ばあちゃんが飲みたいって。フルーツのお酒ありますか?」

「ばあさんか……未成年にお酒買わせようなんてまったく……いや待てよ」


 アキヒロさんは独り言を呟いた後、私に目線を合わせてきた。急なことでドキドキとしてしまう。


「な、なんですか」

「チグサちゃん、あの人は安い発泡酒が大好きで、それ以外は口にしない。ましてやフルーツ酒なんて若者好みの味、終末のこの日に望むかな?」

「わかりませんけど……気分じゃないですか」

「気分が変わっても、選ぶのはせいぜい高い発泡酒だ。発泡酒以外は飲まない。チグサちゃん、僕に何か隠してないかい? もし悪い友達の命令でとかなら……」

「ち、違います! 断じて」


 真剣な眼差しでアキヒロさんを見直す。睨む一歩手前ぐらいの感覚だ。


「うお、急に真剣に見つめるんじゃない。ドキドキするだろ……」

「信じてください!」

「ぐ……」


 アキヒロさんが先に視線を外す。彼は折れた時にそっぽを向く癖がある。


「分かったよ、信じよう。けど交換条件だ」


 再び視線が私を捉える。このパターンは初めてだ。


「靴下を半足くれないか?」

「なんでですか?」


 突飛な発言に思わず顔をしかめる。


「どうせキミ、世界が終わる最後は家族と過ごすんだろう。当然さ、それが健全だ。しかし言ってしまうと僕はチグサちゃんと最後を過ごしたい。けれど僕は邪魔者だ。夏寺家の輪に居ていいはずがない」

「居ていいですよ」

「いいやダメだ! 僕が邪魔者になることは僕自身が一番わかってるんだ。僕の我がままで最後の一家団欒に水を差せるものか。ばあさんにも殴られそうだし」

「ばあちゃん暴力振るいませんよ」

「どうだろうね……判断材料に欠けるよ。

 まあなんにせよ、僕に夏寺の敷居を跨ぐ資格は無いんだ。そうしておんぼろのタバコ屋で独りきりの終末を過ごす……なんとも寂しい最期だと思わないか?」

「思います」

「そうだろう。じゃあせめて最愛の姪っ子の温もりぐらいは欲しい……そう考えるのは自明の理……今の僕気持ち悪かったりする?」

「気持ち悪くないです」

「それは良かった。じゃあお酒と靴下をトレードしよう」

「なるほど」


 よく分からないけどそういう事情らしい。アキヒロさんが来たら皆歓迎すると思うけど。


「上着じゃだめですか?」

「ダメだ。もし風邪でも引いたらどうする? 病床に伏せながら過ごす終末は独りきりのタバコ屋以上に寂しいぞ」

「分かりました。半足だと気持ち悪いので、プラスもう半足でおつまみもください」

「ああ、構わないよ。片方だけじゃ気持ち悪いもんな。……ちなみに、今の僕気持ち悪かったりする?」

「気持ち悪くないです」



「ありがとうございましたー! 寂しくなったらいつでも家に来てくださいねー。鍵開けておきますからー!」

「お気遣いありがとう! でも鍵は閉めたほうがいい! 帰り道気を付けてねー!」

「分かりましたー! アキヒロさん、悔いのない終末をー!」


 手を振るアキヒロさんに手を振り返す。

 店で別れを告げた後、なんだか胸が詰まるような感じがして、少し歩いてからまた別れの挨拶をした。詰まるような感覚はまだ取れない。



「ただいまー」

「おかえり。随分とかかったようだね」


 帰宅、祖母ちゃんが出迎えてくれた。口振りから気が付きにくいが、かなり心配してくれていたようだ。

 外はもう真っ暗だし……といっても今は明るい時間の方が少ないけど。


「晩御飯、もう出来てるよ」

「ありがとう! ……お父さんは?」

「あのバカ、今日も帰ってこないそうだ。さっき電話があったよ」

「そっかー。まぁしょうがない」


 適当に笑顔を作る。

 

 私とお父さんの関係はちょっとだけ難しい。

 二年前にお母さんが死んでから、私とお父さんの距離は曖昧になってしまって、今も修復できずにいる。もともと仕事人間な部分があったお父さんは、私とのコミュニケーションが上手くいかずに苦労している様子だった。それに追い打ちをかけるように最愛の人の死。私とお父さんは酷く落ち込んで、いつしか干渉を避けるようになっていった。

 お互いがお互いに母の面影を感じてしまうことが、余計に辛かったのだと思う。少し経ったある日、父方の実家にいた祖母ちゃんが一緒に住んでくれることになった。それから私は祖母ちゃんにべったりで、相変わらず父と喋るのは最低限だった。

 地球滅亡の噂を聞いた以後からは特に、お父さんと会う機会が減った。いつからか帰ってこない日が続いて、今日で四日目だ。

 たぶんお父さんは疲れてしまったのだと思う。気を遣う私に気を遣う日々は、きっと想像以上のストレスだ。何にも囚われず過ごせる今日があるなら、それがお父さんの望む終末なら、きっとそれが正解だ。


「チグサ」

「えっ?」


 私の心象を見抜いてかは分からないが、祖母ちゃんが背中を叩く。


「それで例の、見つかったかい?」


 祖母ちゃんの悪い笑顔が滲む。こういう時に問答無用で元気にしてくれる人だから、私は懐いたのだろう。


「もちろん! フルーツのお酒もおつまみも手に入ったよ」

「さすが我が孫娘! よくやったよ……ってアンタ靴下は?」

「アキヒロさんにあげた」

「おおアキヒロかい! 殺してやりたいねぇ」



「ごちそうさま! 今日もおいしかったよ」

「そりゃよかった。最後の晩餐はこれに決まりだねぇ」

「間違いないね」


 気合の入った晩御飯を平らげると、祖母ちゃんは件のお酒とおつまみを持ってきた。


「今から晩酌? 本当によく食べるね」

「チグサも付き合うんだよ」

「いいけど。待って待って、二本はだめだよ!」


 お祖母ちゃんはフルーツ酒とは別に、懐から昼間の缶ビールを取り出した。


「分かってる分かってる。さんざん言われたからねぇ。今更一日一本のルールは破らないよ」


 「お酒は一日一本まで」私が口を酸っぱくして言ってきたことだ。どうやらちゃんと守っていてくれたらしい。


「だから最後の願い、聞いてくれるかい?」

「どうせ『今日は好きなだけ飲ませて』とか言うつもりでしょ。まったくしょうがないなあ」

「チグサ、一緒に飲もう」

「……え?」


 予想外の言葉に身体が固まる。


「ばあちゃん、私未成年だってば」

「知ってるよ。でもしょうがないじゃないの、世界はアンタが成人するまで待ってくれないんだから」

「そうだけど……」

「あたしの最後の願いは『可愛い孫娘と一緒にお酒を飲みたい』、叶えてくれるかい? チグサ」

「う……」


 私に向けられた祖母ちゃんの笑顔は、優しくて真っすぐだった。

 フルーツ酒を買いに行かせたのは、苦いものが苦手な私でも飲めるだろうと思ったからだったんだ。思い返せば祖母ちゃんは自分勝手に見えて、いつも私のことを第一に考えていてくれていた。

 瞳の奥に二年と少しが滲みだす。

 気づくと私は涙を流していた。


「あら、チグサは泣き上戸だったみたいだねぇ」

「……まだ酔ってないし、飲んでもない……」


 涙声の私の背中を、祖母ちゃんはもう一度叩いた。



 お酒も飲み終わり、外で涼んでいた時。


「あたしも終末の過ごし方考えたよ」


 縁側にて。私が祖母ちゃんの肩に寄りかかっていると、彼女は静かに語りだした。


「どんな?」

「死ぬまで禁酒」

「凄すぎだよぉ」

「そうだろう」

「でも冷蔵庫にまだ一本残ってるよね。チグサ知ってるよ」

「ああ、あれかい。あれは……」

「……すぅ……」


 私の寝息に気づいて、祖母ちゃんは話を止める。

 しばらく待ってから、完全に眠りについた私に向けて話を再開した。


「どうやらチグサは眠り上戸だったみたいだねぇ」

「……本当はね、もう一人来る予定だったんだ」

「何やってんだかねぇ、アイツは」

「おっと、身体を冷やしちゃいけない。部屋に戻ろうかね」


 頭を撫でられたのは夢か現か。判別がつかないまま夜は満ちていった。



 六日が経った。善行を積む日々は今も続いている。

 昨日は漫画家志望の友人の作品制作を手伝って、完成品を街中で頒布した。道行く何人かが受け取ってくれて、その場で感想をくれる人もいた。肯定的な感想ばかりではなかったけど、友人はとても満足していたから良しとする。


 そして最後の休日が来た。

 明日零時、地球は滅亡する。


 私は家を出た。最後は知り合いじゃなくて、全然知らない人の願いを聞いてみようと思う。本当はもう一人、願いを聞きたい人はいたけど。彼は彼の意志で、私の前に顔を出さなかったのだから仕方ない。


 しばらく歩いて、駄菓子屋の前で屈む少年を見つけた。

 そうだ、最後は彼にしよう。


「ねぇキミ。何かお困り?」


 私の声に少年は振り向く。


「……別に」

「なにそれ、ガチャガチャ?」


 少年の前には『柴犬シリーズ』というガチャガチャがあった。


「可愛いの好きだね」

「ぼくじゃなくて、お母さんが」

「へえ。お母さんにプレゼントしてあげるの?」

「お金、ないから」

「なるほどね」


 私はおもむろに駄菓子屋のレジスターを開けた。包装された百円の束を数本抜き取る。


「ダメだよ! 勝手にとっちゃ」

「両替してもらうだけだよ」


 ポケットにあった一万円札をひらひらと見せつける。祖母ちゃんから貰って、結局使わなかったものだ。


「はい。せっかくだし全種類コンプリートしちゃおうか」

「……いいの?」

「うん。どうせ明日には燃えカスだしね。まぁそれは私たちもか」


 恐る恐る百円の束を受け取る少年。私のブラックジョークにはクスリともしなかった。



「ありがとうお姉ちゃん!」


 大量のカプセルをリュックサックにしまう少年。名前はシュウくんというらしい。


「これだけあればお母さんも大喜びだね」

「うん……」


 お母さんというワードを聞いて、シュウくんは露骨に表情を曇らせた。


「どうしたの?」

「実はぼくのお母さん、おかしくなっちゃったんだ」

「あらら」


 人を狂わせることに定評のある終末だ。ない話ではない。


「知らないひとたちと集まって、ずっと空にいのってるんだ。どうか世界をすくってくださいって」

「そうなの」


 それも縋る先の一つなのだろう。回避できない終焉をどうにかできるのは、きっともう神様しかいない。諦め半分の神頼み。


「そんなことしても助からないことぐらい、ぼくでもわかるよ。だからせめて、最後は家族みんなでいたかったのに……」

「じゃあ、会いに行ってみる?」

「え?」

「伝えて初めて響くものだってあるよ。シュウくんの気持ちを教えてあげなくちゃ」

「う、うん!」



 シュウくんの道案内で着いたの場所は、この街で一番海に近い高台だった。大晦日は多くの人が日の出を見に来る、ここら辺では有名なスポットだ。

 三十人ほどの集団が天を仰いでいる。間違いない。この中にシュウくんのお母さんが……


「お母さん!」


 シュウくんの声に一同は振り返り、そしてすぐに祈りなおした。二人を除いて。


「シュウ! なんでここに……」


 一人はシュウくんのお母さん。もう一人は、私のよく知った人物だった。

 彼は私の姿を見るや否や、逃げるように走り出した。事実逃げていた。


「お母さん、ぼくね……って、どうしたのお姉ちゃん!?」

「ごめん急用! あとは二人で仲良くね。悔いのない終末を!」


 気が付けば私も走り出していた。シュウくんなら一人で思いを伝えられるはずだ。そう願って、私は彼の背中を追う。



「待って!」

「ねぇ待ってよ!」

「なんで逃げるの……!?」


 次第に距離は縮んでいく。彼もいい歳だ。老いによる体力低下は免れない。

 息を切らした男と少女が二人。人目も気にせず駆けていく。


「ねぇ────お父さん!」


 そしてやっと、彼は足を止めた。

 汗だくで息を切らした二人は、紛れもなく親子だった。


「……すまない」

「いきなり謝られても……困るよ」


 途絶え途絶えの会話は、疲れだけが原因ではない。


「なにしてたの?」

「……祈ってた。空に」

「なにを?」

「……」

「まぁいいや」


 お父さんの考えは相変わらず分からない。お父さんも同様の気持ちを抱いているだろう。

 だから私はあえて、目一杯笑顔を作って見せた。


「お父さん、何か私にお願いはない?」

「……」


 お父さんは驚いたような表情をしてから、またすぐに暗い表情に戻った。


「……残念だが、チグサにどうこうできる願いじゃない」

「そうかな」

「ああ……」

「これでも私、この一週間でいろんな人のお願い叶えてきたんだよ。お父さんのだってきっと……」

「……すまない」


 なんだか泣きそうになって、今度は私が逃げ出した。


「チグサ! ……っ」


 伸ばされかけた手が、私に触れることはない。



「……」


 終末の公園は無人だ。ブランコに座っていても誰も文句を言ってこない。

 酷く沈んだ気分だ。やるせなさだけが私にまとわりつく。


「いた! お姉ちゃーん!」


 遠くから手を振る影。


「……シュウくん?」

「急にいなくなるから、探すのたいへんだったよ」

「夏寺さんの娘さん……よね?」

「……シュウくんのお母さん? まで。どうしたんですか?」


 私が二人を見上げると、深々と頭を下げるシュウくんのお母さんが視界に入った。慌ててブランコを立つ。


「ど、どうしたんですか突然!?」

「ありがとう、伝えなくちゃと思って」

「ど、どういたしまして」

「あなたのおかげで、私はシュウといる時間を選べた。ただ祈るだけの最期じゃなくて、シュウと過ごす最後を」

「いえそんな私なんて……」

「これを」


 差し出された紙を受け取る。


「これは……短冊?」

「そう。私たちは空に祈るとき、毎日一枚の短冊に願いを込めるの。それは夏寺さん……あなたのお父さんのもの。彼は毎日、同じ願いを短冊に書いていた。昨日の短冊回収係は私だったから持っていたけど……あなたに渡しておくわね」


 恐る恐る短冊を見る。お父さんのお願いは──


『チグサを守ってください』


 在りし日の笑顔を思い出す。

 久しく見れていなかった、困ったような、けれど優しいあの笑顔を。

 ……お父さんは、ずっと私のことを考えてくれていたんだ。

 地球滅亡が現実になったその日から、いや、それより前からかもしれない。とにかくずっと、ずっと思っていてくれてたんだ。

 涙がとめどなくあふれ出す。

 たしかにこれは、私じゃ叶えてあげられないお願いだ。


「私、行かなくちゃ……」


 涙も拭わずに走り出す。最愛の父に会うために。

 最期の瞬間まであと二時間。朝はもう来ない。夜を往くしかない。



 彼はやはり高台にいた。最期の最後まで祈り続けるために。


「お父さん」

「……チグサか」


 お父さんは私の声に一瞬驚きを見せ、またすぐに平静に戻った。


「お父さんのお願い、見たよ」

「……そうか」

「……」


 長い沈黙を経て、お父さんは祈るのを止め、私の方に向き直った。

 先に静寂を破ったのは彼だった。


「不甲斐ない父で本当にすまなかった。結局、何もしてやれなかったな」


 悲しそうに言の葉を紡ぐ彼を遮るのは、きっと「そんなことないよ」だとかの言葉じゃない。もっと本質の本音。思いを全部伝えるんだ。あんまり長い言葉じゃ先に地球が滅亡してしまう。だから、

 意を決する。


「お父さん。ずっと、ありがとう」


 お父さんは面くらって、そして涙を流した。私の前で初めて見せる涙だ。お母さんが亡くなった時も、私の前では絶対に涙を見せなかった。


「俺の方こそ……本当にありがとう……チグサが、俺の生きる理由だった」


 泣きながら話すお父さんに感化されそうになりながら、なんとか涙をこらえる。彼が今までやってきたことだ。


「笑ってよ」

「……え?」

「久しぶりにお父さんの笑顔が見たい」

「……はは、参ったな」


 笑うのは苦手なんだ、と。その困ったような優しい笑顔が、私は大好きだったんだ。


 悔いのない終末を。

 そんなことは不可能だ。

 どれだけ善行を積んでも、後悔は両手に収まらないほどある。

 それでも。

 最期が笑顔なら、それはきっと幸せなんだ。

 ……終わりの音が近い。


 ああ、死にたくないなぁ。

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