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「
お弁当箱を開ける間もなく、真実はそう宣言した。
昼休み、真実がキープした文芸部の部室(例のプレハブ棟である)にお弁当持ちよりで集合し、ランチをしながら作戦会議となった。美術部に劣らず部員不足にあえぐ文芸部に実は名前を貸している真実は、その見返りとして部室のカギの番号を教えてもらっている。暖房器具のないプレハブの建物は快適とは言えないが、風をしのげるだけ外よりマシだし、何といっても関係者以外入ってこない。本来の部員達には根回し済みである。
同好会のはずの漫画・ラノベ研究会に部員を奪われ、純文学中心の文芸部は実質二名の女子部員のみで運営している。そのうち一名が中学時代の同級生で、頼まれて名前を貸しているので、真実のお願いも快く聞いてもらえた。
ちなみに石高では兼部は三つまで可能である。
「難しい言葉をよくすらすらと言えますねえ……えっと、ケンコウイッテキ?」
「ケ・ン・コ・ン! さっきまで現国の授業だったのよ。この言葉を聞いて、いいアイデア思いついたんだ」
「真実先輩、授業は真面目に受けないと……で、どういう意味なんですか?」
「ざっくり言うと『当たって砕けろ』かな?」
「真実先輩、ざっくり過ぎです……まあ、大体そんな感じですけど」
意味が分かっているらしい美矢が、少しだけあきれてため息をつく。
「いや、砕けちゃダメなんじゃ?」
「そのくらいの覚悟で! ってこと。高天君には下手な小細工は逆効果だと思うし。まあ、場面設定は必要だと思うけど。今日は和矢君も斎君もいないから、タイミングとしては最適だと思うのよね」
「タイミング、ですか?」
「なるほど! 確かにやたら茶化す斎先輩も、フォローするつもりでやたら煽る和矢先輩も、いない方がスムーズですね」
「珠ちゃん……」
一応当事者の美矢を置いてきぼりにしながら、真実と珠美でどんどん盛り上がっていく。
「あれ? そう言えば加奈先輩は声かけなかったんですか?」
「今日は保健室当番なんだって。保健委員も大変よね。というか、加奈も役目引き受け過ぎだよ」
いつの間にか、真実は加奈のことを「加奈さん」から「加奈」と呼び捨てにするようになっていた。同じく加奈の方は「森本さん」から「真実ちゃん」呼びに変わっていたが。
一応「加奈ちゃん」呼びも検討してみたが、何だかそぐわない気がして、加奈の同意も得られたので呼び捨てにしている。真実も呼び捨てでいいと伝えたが、気が付いたら「ちゃん」づけで呼ばれるようになっていた。健太に「真実ちゃん」と呼ばれるのはまだ照れくささがあるが、加奈にそう呼ばれるのは距離が近づいた感じがして、何だかイイ気分である。それは置いといて。
「部長の仕事もあるし。まあ、なんだかんだ言いながら斎君も最低限の仕事はしているみたいだけど」
「真実先輩、話題がずれていってます」
「そうそう。加奈には事後報告でいいって了解得ているから。で、放課後、色々理由付けて、高天君と美矢ちゃんを二人きりにして。日程は後でいいから、とにかく約束を取り付ける。高天君が美矢ちゃんのことを憎からず思っているのはほぼ確定なんだから、押せば落ちるはず。この前の約束もあるし。……そういえば、高天君からメールの返信来た?」
「いえ。たぶん、真面目な先輩のことだから、授業中はスマホ、ロッカーにしまいきりだろうし。早くて、昼休みか、それとも放課後直接かな、って」
「まあ、昼休みに吉村君がせっついてくれればいいけど、多分自分からメールするなんて気はないだろうしねえ」
「昨日の美矢ちゃんとの様子じゃ、文章入力するのにも時間かかりそうですよねえ。逆に、よく朝のうちにメールしてくれたと思いますよ」
「それも吉村君が声かけてくれたみたいよ。朝、教室で話しているの見かけたし。でも、返事があってもなくても、直接お礼言えばいいのよ。メールありがとうございました、って。で、実はこんなもの貰ったんですけど、よかったら一緒に行きませんか? って。奥手男子もこれならオッケーする、はず。名付けて『せっかくなのでよかったら』戦法よ」
「名付けなくても、そのまんまじゃないですか……ていうか、ネットで見ましたよ。その手口」
「まだその先があるのよ」
あきれ顔の珠美をなだめるように、真実は言葉を続ける。
「もし、高天君がオッケーしたら、そのまま二人で。もし躊躇していたらすかさず『部のみんなで行きましょう』と応酬、これ即ち『当意妙即』の術よ」
「……それも授業で出てきたんですか? 臨機応変、みたいな?」
「その通り」
「正確には『当意
「……そうかもね」
美矢の指摘に、あはは、と真実が笑ってごまかす。
「ちなみに、今日の授業内容は?」
「え……あれ? えっと、なんだっけ? 太宰治、だったかな」
「……先輩、まず授業に集中しましょう? 私のことは置いといて」
「大丈夫。あとで斎君に訊けばいいから」
「あ、そうですね」
「え? なんで今日休みの斎先輩が真実先輩のフォローできるんですか?」
「え? だって斎君だし」
「だって斎先輩だし」
真実と珠美がほぼ同時に答える。
授業を聞いていないのに、しっかり内容は理解している斎に、国語に限らず最近お世話になっているのは、ちょっとした秘密だ。珠美にはバレている気がするが。
「ま、とにかく放課後作戦決行よ!」
美矢の無言の生暖かい視線をあえて無視して、真実は宣言した。
そして、放課後。
「うん、いいよ」
あっさり承諾した俊の様子に、隣の美術準備室からこっそり様子を窺っていた(声しか聞こえないが)真実と珠美が「やったね」とばかりに、音を立てないようそっとハイタッチしたあと。
「和矢に予定聞かないといけないね」
当たり前のように和矢の同行を求める俊に、真実と珠美はハイタッチのまま固まる。
「夜だし、一緒の方が安心だよね」
「……そうですね」
同意しながらも乾いた美矢の声から、がっかりした様子が目に見えるようだった。
……そこは、あえてチョイ悪になりましょうよ。真面目過ぎるよ、高天君。
真実は心の中でツッコミしながら、さりげなく合流し。
先約のある加奈を除いて、来週の金曜日に部の皆で出かける予定を取り付けた。
和矢と斎は事後承諾で(来れないなら来ない方が都合がいい、なんて腹黒い思惑もありつつ)、保護者代わりに健太も同行させて(こちらも事後承諾)。
一方、加奈が参加できないことを申し訳なく思った美矢が招待券だけでも、と渡そうとすると、別口からもらったので大丈夫、と加奈が固辞して。
「きっと、彼氏さんと行くんですよ。邪魔しちゃ悪いから、逆に良かったですね」という珠美の言葉に同意しながら。
二人きり、というのも、捨てがたいな。せっかくロマンチックなイベントなんだし。
美矢のためにも、と言い訳しながら、当日どうにかして別行動を取れるよう、真実は心密かに画策し始めていた。
「今日は送っていかなかったの?」
学校の前で美矢と別れた珠美に、背後から声が掛かる。
「そう毎日じゃ、言い訳も苦しいわよ。まだ時間も早いし、『遠見』だけで大丈夫でしょう?」
「そうやって、目測が甘いから、最初の日からトラブルに巻き込まれるんだよ」
珠美は巽と手をつないで歩き出す。どちらかというと幼い雰囲気の二人が、甘い雰囲気を醸し出しながら話す内容は、周りには聞こえない。ほとんど口を開かず、至近距離に近付かなければ声も拾えない。無言で照れながら歩いている、傍目には初々しい可愛らしいカップルにしか見えない。
「あれは想定内よ。早かれ遅かれ目を付けられるのは分かっていたんだから。俊先輩が来なくても、あんな不良の二人ぐらい、なんてことなかったわよ」
「それが過信だって言ってるだろ? なるべく珠美本人が手を出さないで済むように最初から防いでおかなくちゃ」
「何よ。巽だってとっとと正体晒しちゃって」
「いいんだよ、僕が道場の跡取りだってこと自体は、公表されているんだから」
「ずるい。私っきり非力なふりしてなきゃいけないなんて」
「珠美だけじゃないだろう?」
「それはそうだけど」
「まあ、兄さんもとうとう話しちゃったみたいだし。これで和矢様の警護は、前よりしやすくなるだろう。まあ、二人の居場所が分断されて、美矢様の警護が少し心配だけど」
「和矢様が本宅にいてくれる間は、今まで通り自宅に配置しておけばいいじゃない。斎兄様と一緒なら、めったなことは起きないでしょう?」
「身体的には、ね。精神的には、かなり逼迫しているみたいだから。メンタルケアも必要だし」
「斎兄様に一番向かない役目ね。もう、男ってどうしてこうプライドばっかり高いのかしら。自分が守っていたつもりで守られていたからって、そんなにショック受けるなんて」
「珠美、言葉が過ぎる。あの方の本性は、『守護者』だ。何かを守る、ということは、あの方の本能であり、
「ふふん。今日はいい仕事したでしょう?」
「ほとんど真実先輩にやらせていたじゃないか」
「そういう風に誘導したのよ。私が出しゃばっちゃいけないんでしょ? ホント、善良で、ちょっとお利口で、扱いやすいわ」
「……
「……」
「真実先輩には、別に彼氏がいるんだろう? いいじゃないか。兄さんだって、そこまで本気じゃないよ。珍しく『女の子』に興味を持っただけだよ。珠美とだってそういう風にじゃれているじゃないか」
「私は丁度いいダシにされているだけよ。っていうか、なんであんな至極普通の、容姿も十人並みで、平凡でたいした取り柄もないような人に、斎兄様の関心が行くのか不可解だわ」
「取り柄がないって、言い過ぎだろ? 珠美も言ってたじゃないか。『善良』で『利口』だって。確かに平凡なようだけど、人の心の闇を知っているし、ちゃんと警戒もする。うまく立ち回ろうとする小ズルさもあるのに、気が付いたら素のままの自分を晒している。そのくせ、相手の本性もさらっと見抜いて、彼女にはうっかり本音を晒しそうになる。正直、僕達みたいな人間には、鬼門だけどね」
「いい人なのは認めるわよ。天然なようでいて、ちゃんと相手を慮った言葉を選んで話しているし。吉村先輩とかが好きになるのは分かるわよ。でも、斎兄様が……」
「大丈夫。兄さんが、これ以上の深みにはまることはないよ。例え、真実先輩がフリーでもね。あの人にとっては、興味が持てるか否か、だけで、それ以上の人間関係なんて、煩わしいだけなんだから。興味を持ったから、多少の努力はして関わっているだけで。和矢様に興味を持ってくれたのは、本当に幸いだったよ。宗家にとっても、ね」
「……巽のことだって、ちゃんと大事にしているわよ」
「ありがとう。そうやって、慰めてくれる珠美が、僕は好きだよ」
「……ごめんね」
巽のように、ありがとう、と返すべきなのに。出てくるのは謝罪の言葉。
叶うことがないと分かっていて、ずっと斎を慕っている珠美を、そっくりそのまま受け入れてくれる巽。それに、甘えている自分。
「そうだ。来週の土曜日、二人でイルミネーション行かない?」
珠美は気持ちを切り替えるように、話題を変える。
「金曜日に行くのに?」
「加奈先輩、来週の土曜日、誕生日なのよ。初彼と過ごす初めての誕生日にはうってつけのイベントじゃない? チケットもあるって言っていたし。……見に行こうよ」
「そうだな。そっちの問題もあったんだよな」
幸せそうな加奈とその彼の姿を見るのは、今の珠美には、ちょっとツライものがあるけれど。そんな個人の感傷で役目を放棄するわけにはいかない。
それに。
斎の予想が当たっていたならば、二人の未来に先にあるのは……破綻だ。
幸せそうな加奈の笑顔を思い出して、珠美は重い気持ちになる。せめて、真実や美矢には幸せな恋をしてもらいたい。私の想いは、きっと一生叶うことはないだろうけど。
珠美は、小さくため息をついた。
先程まで罵倒していた相手の幸せを祈ってしまう珠美もまた、根は善良であることを、本人は気付いていない。それを、そっと見守る巽のまなざしにも。
報われぬ恋に囚われたままの少女を、報われぬ愛で包む少年。
恋い慕いあうかのように手をつないで歩く二人。
微笑ましく見る人や、やっかんで見る人、様々な思惑の視線を浴びながら、歩く二人の、その間に横たわる隔絶を、誰も知るものはいなかった。
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