第八章 蔦絡まる紅葉
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十月末、山々の緑は徐々にくすみ始め、所々赤や黄色に染まり始めていた。
月半ばに台風が上陸し、暴風雨のために一日休校になった以外は、取り立てて変わったこともなく、毎日が過ぎていた。
……まあ、その休校のせいで、休みのはずの土曜日に学校に来るはめになってるんだけどね。
休校日は荒天で家に引きこもるしかなかったし、その代わりに半日とはいえ土曜日に登校しなければならないのは、真実としてはとても損をした気分である。
おまけに、科目選択の関係で、理系コースの俊や和矢は午後も授業があるため、部活はないし。一年生は、日数に余裕があるのか、普通に休みなので登校していないし。文系コースは半日で終わって得をしたはずなのに、真実にとっては、放課後部活の皆で集まるという楽しみもなく、無為に終わりそうな週末を恨めしく思っていた。
石高では文系理系でクラスは分かれておらず、個々に受験に必要な科目選択をすることになっている。ベースの授業数は文系理系に差はないが、それぞれに補講という形で追加の特別授業があり、たいていは夏休みの初めに行われるが、授業の進度や学校行事の兼ね合いで、秋に設定されることもある。理系コースの補講がたまたまこの土曜日に設定されていたのだ。
……まあ、本当だったら半日で済むはずの理系の人たちにとっては、丸一日授業になっちゃって、さらにゲンナリよね。
それに比べたら、お昼で解放されている自分が文句を言ってはいけない、と言い聞かせ、気分転換に駅前の商店街をぶらつくことにした。
同じように考えた生徒が多いのか、商店街のあちこちに石高の制服姿が目立つ。
わいわい楽しそうな他の生徒たちをみて、何となくひとりでいるのが気まずい。
学校で、誰か誘えばよかったな。
同じ文系のはずの斎は、土曜日に登校するのが億劫だったのか、朝から姿を見なかったし、帰り際にのぞいたが、加奈の姿は教室になかった。
「終わってすぐに帰ったよ」
真実の姿を見つけた和矢が、そう教えてくれた。
土曜日だし、彼氏と約束でもしていたのかも。
付き合い始めて、真実の推定で三ヶ月、一番楽しい時期だもんね。
自分は男性と付き合ったこともないのに、うんうん、わかる、と経験者のようにうなづいて見せる、心の中で。
まあ、お腹もすいたし、どこかでランチしようかな。
一人でも入れそうなお店を探索し始め、一軒の喫茶店が目に留まる。濃褐色の板塀に白い窓枠の周囲をハンキングバスケットに植えられたかわいらしい花々が彩り、壁と同色の彫刻のされた木製のドアに艶を消したいぶし銀のベルが下がった、いかにも瀟洒な店構えだった。アンティーク調だが、今まで存在に気付かなかったことを考えると、建物自体は新しいと思う。窓から中をチラ見すると、やはりアンティークな風情の家具が並ぶ、なかなか雰囲気の良い店だった。
……ちょっと入ってみたいけど、ひとりだと、ねえ。
入口に立てかけられた黒板には、「特製メープルシロップの厚切りフレンチトースト」「名物パングラタン(ランチ限定)」「カフェセット(ロイヤルミルクティーも選べます)」等、心惹かれる文字が並んでいる。店構えのわりに値段は控えめで、高校生の真実の財布でも払える程度だった(いつもよりは贅沢ではあるが)。
今月のおこづかいを貰ったばかりなので、実は懐も温かい(親の給料日の関係で、真実のおこづかいは月末支給である)。
でもなあ、ひとりだとなぁ、ちょっと勇気がいるなあ。
窓から見える客層は、いかにもデート、な雰囲気のカップルが多かった。もしくは、女の子同士のグループか。
今度、加奈たちを誘って、こようかな……でも、ランチの時間に来たいしなあ。放課後だと、ちょっとメニュー的に重いかもなあ、っていうかパングラタンはランチ限定ってあるし。
真実はあきらめきれず、再び窓をのぞき込む。すると、店の奥に、見知った顔が見えた。
思わず窓に飛びつきそうになって、ハンキングバスケットに触れて、体を引く、と。その反動でバランスをくずし、倒れそうになったところを、肩を支えて誰かが受け止めてくれた。
「すみません!」
「大丈夫?」
真実が謝るとほとんど同時に、背後から声がかかる。振り向くと、目の端に少し年上の、若い男性の姿が映る。少し離れて向き直り、改めて男性と目を合わせる。
年のころは二十歳過ぎたくらい。くりっとした目元に幼さを感じるが、がっちりした頬や顎のラインが、少年っぽさを打ち消している。浅黒い肌と、しばらく伸ばしたままにしているのだろう、長髪ではないが短髪でもない、中途半端な長さの髪は、やや癖があり固めの髪質なのか、てんでばらばらの方向にぴんぴんとはねており、その精悍な顔つきと相まって、ちょっとライオンっぽかった。服装も決して不潔ではないが、どちらかといえば野暮ったい。
「あ、ありがとうございます」
改めて感謝の言葉を述べると、男性は目を細め、くしゃっと笑み崩れる。そうすると、精悍さより幼さが前面に出てくる。年上の男性に対して失礼かもしれないが、「何だかかわいい」と真実は思ってしまった。
「いや、たまたま後ろにいただけだから、気にしないで」
ちょっとハスキーな低めの声が、耳に心地いい。
「ところで、中を一生懸命覗いていたみたいだけど」
「え? ……あ、いや、その。……ちょっと、入ってみたいな、とか」
他人からも丸わかりの、怪しい行動をしていたらしい。あわあわと、真実は言い繕う。
「ひとりじゃ入りづらい、な、とか?」
「ハア、まあ、そうです」
ズバリ言い当てられ、しょげる真実を見ながら、男性は「うーん」と唸り、一瞬斜め上に視線を逸らす。
「じゃあさ、助けたお礼ってことで、一緒に入らない?」
「へ?」
「あ、ナンパとかじゃないんで大丈夫。……俺も、ひとりで入りづらいなあ、って思ってたんだよ」
「えっと……」
「ランチセットくらいならおごるからさ。高校生に飯代せびったりしないから。助けると思って」
「あ、じゃあ、一緒に。あ、代金は割り勘でいいです」
助けてもらった上に、おごってもらうのは気が引ける。
「じゃあ、行こうか」
返答をあいまいにしたまま、男性はドアを開ける。
ドアノブはなく、持ち手を手前引くとスムーズにドアが開き、その振動でベルがチリリンと澄んだ音を響かせた。
ドアを開けた男性は、店に入ることなく、体を横に向け、軽く首をかしげて微笑みながら空いた手で真実の入店を促した。
そのしぐさが妙に洗練されていて、外見に無頓着な雰囲気の第一印象とギャップがあった。
店内は、カウンターが五席、四人掛けの備え付けテーブルのソファー席が八組、可動式テーブルの二人掛けの椅子席が四組ほど。
席は七割ほど埋まっていて、土曜日のランチタイムの割にはすいている方だった。
四人掛けテーブルは、テーブルごとに背面が真実の背よりやや低い木製の衝立で仕切られており、座ってしまえば、あまり周囲の目が気にならない作りになっていた。
入口に出迎えた店員が、空席のどこでもご自由に、と告げると、「俺が決めていい?」と男性に問われた。本当は座りたい席があったが、誘ってもらった手前、何となく男性に主導権がある感じがして、仕方なく真実はうなづいた。と言っても、カウンター四席と二人掛けの席はすべて埋まっていたので、四人掛けの席一択である。
ところが男性が向かおうとした席は、真実が一番避けたい席だった。
店の奥の壁際にある三テーブルのうち両端の二テーブルが埋まっており、中央のテーブル席のみ空いていた。その隣には、それぞれカップルらしい男女が座っていた。
躊躇する真実を見て、男性は「嫌?」と問いかけた。
「嫌というか……実は、隣に、知り合いが座っていて。ちょっと気まずいというか」
奥の席にいる二組の男女の片方は、加奈と若い男性、おそらく井川英人だった。
「そっか、じゃあ、ここは?」
すぐ近くの空席を示され、真実はうなづく。
「まあ、あんまり近くない方がいいか」
独り言のようにつぶやき、男性は「どうぞ」と真実に奥側の席に着座を促した。
入店時といい、初対面で気を使っているのかもしれないが、レディファーストで対応されるのがなんだかこそばゆい。
真実が席に座り、その後に男性も向かい合って座る。タイミングを見計らっていたのか、店員が水を入れたグラスとおしぼりを運んできた。よくあるビニール袋に入った使い捨ての紙製ではなく、布タオルを丸めたおしぼりがそれぞれトレーに乗っている。手に取ると、秋風に少し凍えていた指にじんわり熱が伝わる。手を拭いたおしぼりを畳み直してテーブルの脇のトレーに置くと、男性がメニュー表を開いてを差し出した。
「ランチはパングラタンがおすすめらしいけど。他にもピラフとかご飯ものもあるみたいだよ」
「あ、パングラタンにします。外のメニューボード見て、おいしそうだなって思っていたから」
男性はうなづくと、店員に軽く手を上げて合図する。心得たように店員がオーダーを取りに来る。
「パングラタンを二つ」
「あ、誠に申し訳ございません。数量限定となっておりまして、あとおひとり様分しかご用意できません」
慌てたように恐縮する店員を責めず、男性は一瞬考えてオーダーを変更する。
「そう? なら、……うん、俺はエビピラフでいいよ。……あ、聞いていなかった、ごめん。飲み物は何にする?」
「あ、ロイヤルミルクティーで」
「食後でいいかな?」
「はい」
「セットでロイヤルミルクティー二つ。食後で」
男性はスムーズにオーダーを終え、メニュー表を片付ける。
……なんか、すごい慣れてるよね。
野暮ったい印象の外見に反し、仕草の一つひとつが細やかで、女性のエスコートに照れがなく、場慣れしている感じがする。オーダー変更もスマートで、躊躇なく真実を優先してくれた。
「あの、スミマセン、オーダー変えてもらっちゃって」
「いや、エビピラフもおいしそうだったからね」
恩を着せるでもなく、さらりと返す様子に無理もなく。
「よく、女の人とこういうところに来るんですか?」
「え?」
「なんか、すごい慣れているっていうか……堂々としていて」
「いや、子供の頃親の仕事で海外にいて、最低限のマナーを叩き込まれたっていうか」
偉ぶることもなく、はにかみながら頬を掻く仕草は、さっきまでの紳士然とした様子が嘘のように子供っぽく、真実は思わず笑みをこぼした。
「プライベートで女性と二人きりなんて、初めてだから、ちゃんとエスコートできていたか不安」
「そうなんですか? 結構モテそうなのに……ええと」
「あ、俺はササキケンタです。植物の笹と木曜日の木に、健康の健に太いの太。二十二歳です」
「森本真実です。ええと、木が三つの森に、本当の本、シンジツと書いてマミ」
「本当の本に、真実でマミ……いい名前だね。嘘がつけなさそう」
「まあ、何でも顔に出る、って、よく言われます」
「そっか、顔に出ちゃうか……。あのさ、一つお願いがあるんだけど」
「はい?」
「このあと、誰かに聞かれたら、俺のことは知り合いってことにしておいてほしいんだ。恋人とか、そんなんじゃなくていいから。友達っていうか、知り合いのお兄さんってことで」
「……いいですけど」
「嘘つかせちゃってごめんね」
「いえ、嘘じゃないですし。もう知り合いですよね? 私たち」
にやり、と真実がいたずらっ子のように笑うと、健太はちょっと目を見開いて、それから笑顔でうなづいた。
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