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「そうね。白い薔薇って、意外とあってるかも」
放課後、美術部の活動場所である美術室で、イーゼルや画材の整理をしながら、部員で同級生の
「華やかなんだけど、けばけばしい感じじゃなくて、もっと控え目……って言うのは違うかなー、存在感が有るのに、アクは強くなくて、でも、印象的で……」
適当な言葉が思いつかず、唸っている姿も愛らしい、なかなかの美少女である。
ちょっときつめなところが、一部男子に絶大な人気がある、という噂だが、俊にとっては気の合う友人の一人であることの方が、重要であった。
二年目になってもなかなか打ち解けてくれないクラスメートの中で、加奈だけは最初から気負わず話しかけてきて、すぐに意気投合した。
俊自身は特別他者を拒んでいるつもりはないが、だからと言って、自分から積極的に親しくする気は毛頭ない。
幼い頃から一線を画される対応に慣れているため、特にそのことで、孤独を感じたり悲観したり、ということはなく、むしろ、人間関係が複雑になる方が、
相手から俊に近づいてきた場合でも、感情表現が
唯一正彦だけが、飽きずに俊をかまい続け、そのしつこさに最初は辟易しながらも、気を許せる存在になった。
人気者の正彦だが、それは立ち回りが上手いというより、基本的に素直で明るく裏表がない性格の賜物であることを、俊が一番よく知っている。
だからこそ、(たとえ周囲からは険悪な雰囲気に見えたとしても)俊は正彦と毎日口をきき、食事を共にし、タイミングが合えば一緒に出かけることもある。
俊にとって受け入れがたい人間であれば、まず、必要以上の会話はしないし、余暇を共に過ごすようなこともない。
中学までは、それは正彦だけだった。
そんな俊にとって、加奈は二番目に現れた、心を許せる存在であり、俊の世界を広げてくれた、功労者でもある。
それは、高校に入学して、一月余りたった頃、丁度一年前。
「絵、好きなの?」
それが、初めて加奈と交わした会話だった。
芸術の選択科目として、美術を選んだ俊だったが、特別興味があるわけではなかった。
別に、部活動が強制されているわけではなかったので、ぜひどこかに入部する、という気はなかった。
たまたま美術の授業中、美術室の隅に固められた、描きかけのキャンバスに目をやった。
木炭デッサンだった。
そこに描いてある人物に見覚えがあって、つい、マジマジと見てしまった。
そこで、加奈に声をかけられた。
振り向くと、今見ていたデッサンに描かれていた少女が、そこにいた。
「これ、美術部員の作品なの。新入部員は、まずモデルをやるのが、慣例なんだって」
「美術部員なんだ……三上? ……さん?」
まだ、名前と顔が一致せず、名札に目をやりながら、俊は聞いた。
大人っぽい物静かな美人、という評判を、正彦から聞いていた気がする。
「うん。……これ、山口先輩の絵……上手なんだけど、ちょっとオーバーだと思わない? 私、こんなにきつい顔してるかな?」
俊が目を奪われていたデッサン画を示して、加奈は苦笑した。
その絵の中の少女は、その強いまなざしや、引き結んだ口元が、見ようによってはきつい、というより、厳しい表情に見えなくもない。
「でも……とても意志の強い、まっすぐな表情をしていると思う」
目を奪われたのは、少女が持つ表面的な美しさよりも、内面の美しさ。
真摯で、誠実で、強い生命の輝きを、その絵から感じた。
それは、加奈本人にも、もちろん備わっている。
「いい、絵だね。とても」
それは、俊の素直な気持ちだった。
「……高天君。よかったら、一度美術部に来てみない? 今日の放課後も、この教室で活動しているから」
そんな成り行きで、美術部に顔を出すことになったのだが。
この学校で美術部がマイナーであるのは、単に人気がないということだけではなく、変わり者揃い、ということも大きな要因になっていた。
あの絵を描いた、当時二年生で今は部長になっている
あっけにとられた俊に対して、山口先輩は手を止め、傍らのスケッチブックと鉛筆を俊に押しやった。
「好きなもの、描いてみて、ってことですね?」
加奈が聞くと、無言でうなづき、再び自分の作品に取り組む。
スケッチブックを開くと、そこには様々な筆致で描かれた鉛筆スケッチが並んでいた。
サインを見れば、一人のものではなかった。
所々、ページが剥がされた跡もあった。
「ゲストブック、みたいなものかな? 自己紹介するより、作品を見た方が早い、って、山口先輩の持論なの」
そのスケッチブックの存在が、山口先輩の美術部内での発言力の強さ(と言っても口を開いてないが)を示していた。美術部に入るには、審査がある、という噂を、俊は思い出した。
入部するかどうかも決めかねていたが、これが噂に聞く入部判定らしいと感じた。
「俺、そんなに上手くないよ?」
「大丈夫。私だってほら、そんなに上手くないよ」
ページをめくって、加奈は自分のスケッチを開いた。
「……優しい絵だね」
筆致は粗いが、穏やかな眼差しの女性の横顔が描かれていた。
優しげな目元や口元はしっかり描かれているが、他はあまり書き込まれておらず、逆に、表情が浮き立っていた。
「これ、モデルは?」
「うーん、直接はいないかな。何となく、筆の赴くまま描いた、って感じ。だから、細部は描きこめなかったの」
とはいえ、俊にとっては、なかなか心ひかれる絵であり、加奈の才能を垣間見た……というのは大げさかもしれないが。
促されるまま加奈に手渡されたデッサン用の鉛筆を握った。周りを見回し、隅に置いてあったイーゼルを描き始めた。
人物よりは描きやすいだろうと思ったが、バランスを取るのが意外に難しく、何だか薄っぺらい絵になってしまった。
何度も線を足していくうちに、ますます不格好になってしまったが、俊は描きこみ続けた。
何となく、木の材質感は出せたかな、という所で、俊は手を止めた。
「なかなか、いい絵を描くな」
背後から声がして振り向くと、俊の絵を覗き込むように立っていた山口先輩と目が合った。
なかなか魅力的な落ち着いたバリトンボイスで、感情の起伏が見えにくい無表情さとのギャップがあった。
「デッサン力はまだまだだが、根気がある。それに、意外と情熱があるな、見かけと違って」
「……?」
「熱心に、木の目を見ていたな。物事に真剣に取り組む姿勢は、評価すべきだ。よかろう。入部を許可する」
「……は?」
まだ、見学に来ただけで、入部したいとは一言も言ってない。
話の流れで、スケッチすることになってしまっただけである。
が、山口先輩の言葉に喜色満面になった加奈の前で、はっきりと言いにくかった。
「ここ数日、三上目的の冷やかしばかりでうんざりしていたが、なかなかの逸材だ。……用心棒にもなる」
「あの……」
「入部については、一応、部長がいるから、話を聞くとよい」
言うだけ言って、三再び自分の作品に取り組む山口先輩を、俊は茫然と見つめた。
「……ごめんね。入部は無理しなくていいよ」
『一応』部長であるらしい、女生徒が声をかける。
「加奈ちゃんも強引に勧めちゃダメよ? 困っているじゃない」
決して俊を厭っているわけでなく、純粋に気遣っている様子が伝わってきた。
無表情の山口先輩と関わっているだけあって、同じく無表情の俊の気持ちにも気付いているらしい。今まで初対面で俊の気持ちを読み取る人はいなかったので、その観察眼に驚き、同時に、心が揺れた。
人と関わることは苦手であったはずなのに、すんなり加奈の申し出を受け入れて美術部に顔を出したことも、その端緒であったのかもしれない。
特定の人間と(それも多数の)自発的に同じ時間を過ごす、という行動から遠ざかっていたはずなのに。中学時代も、正彦を介してしか、そんな集団に身を置くことができなかったし、それでも苦痛を感じることが多かったのに。
ここでは、とても楽に息ができる感じがした。
だから。
「……入ります」
「え?」
驚いて、けれど、すぐに柔らかく微笑んだ部長の様子に励まされて、俊は宣言した。
「入部します。美術部に」
そんな経緯で入部してから、もう一年になった。
すでにその当時から、近寄りがたい雰囲気の俊は、周囲の人間に遠巻きにされがちだった。
しかし、山口先輩や部長のように、他の部員も歓迎してくれた。
(当時、山口先輩を入れて七人。内訳は三年生三人、二年生二人、一年生二人である。俊が入部しなかった場合、三年生引退後、生徒会規約による部存続条件の五人を切ってしまい、廃部か同好会に格下げになる恐れがあったのだ。その点でも、俊が入部したことは、皆から大変喜ばれた)
加奈の他にも、もう一人同学年の
粘土をいじっていれば満足、という陶芸オタクで、部活の為だけに学校に来ているような(というか、授業中も美術雑誌を読んでいて、ろくすっぽ聞いていないらしい。なのに成績は良く、学年200人中30番より落ちたことがない)変わり種で、俊を含めて、周囲の様子にあまり関心がない。
一見傍若無人だが、他人の意見に左右されることもないし、良くも悪くも人の噂話に興じることがない。
そういう意味で、俊は斎に対して、好意を持っていた。
それは、美術部全体に言える事であった。
部員達は加奈を含めて、基本的にマイペースに、黙々と自分の作品に取り組んでいたし、手を休めた時にも、程よい距離感を保ちながら、穏やかに過ごすのが常だった。
三年生が引退したあとも、良好な関係は続き。
新部長となった山口先輩やもう一人の三年生である
それぞれが気儘に活動しているようだか、やるべきことはきちんと行う、緩やかさとまとまりを持った、この部で過ごす時間が、俊には、とても大切だった。
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