凡人の俺が守る魔王のいる世界
長谷嶋たける
プロローグ 平凡な入学式
『新入生代表、荒木玲惟羅』
「はい」
進行役の若い男性教師がその名前を呼ぶと、きれいに並べられたパイプ椅子に座っているたくさんの新入生の中から、一人の少女が返事をして立ち上がった。
彼女の声には、スケジュールどおり淡々と進めるだけの退屈な式の空気を変えるのに十分な力があった。
男性教師がマイクを使っているのに対し彼女は肉声だが、その声はスピーカーで増幅された音声に負けないくらい、入学式会場である広い体育館の中に凜と響いた。
新入生代表として挨拶するという仕事が与えられていた彼女には移動しやすいように1組の一番前、角の席が与えられており、そこから立ち上がって一礼し、まず壇上に上がるための階段を目指し静かに歩き始める。
まだ会場の人からは背中しか見えないが、その歩く姿に皆の視線が集まっているのがわかる。
背筋を伸ばし、力みと緊張をまるで見せないその後ろ姿は美しく、着ているブレザータイプの冬服は、彼女のプロポーションの良さを隠しきれていない。そして金色に輝く彼女の髪に皆目を奪われている。
この風紀にうるさい嵐川高校に頭髪を染めた生徒がいるはずも無く、それは彼女の持って生まれたものであることは間違いない。今の時代、訪日する外国人が増え、彼らがさほどめずらしい存在ではなくなったとはいえ、道ですれ違うことはありこそ身近で接する機会はほとんど無い。
これから彼女が学友となるのだ。親しくなる機会もあるだろう。
あるものは不安を、あるものは自分の世界が広がっていくことに希望を抱いている。
彼女は足下を見ることなく壇上へと続く階段を上り、そこに立つとまずは校旗と日の丸に一礼してから演台の前に移動し、会場にいる生徒や先生を見下ろす形で正面を向き、さらに頭を下げた。
頭を上げた彼女の姿に会場にいる全員が息をのんだのがわかる。
彼女は髪が金色なだけではなく澄んだ青い瞳を持っていた。肌も白く頭も小さい。まさに金髪碧眼の美少女を目の当たりにしたのだった。
しかし名前から彼女には日本人の血が流れていることが推測できる。実際に瞳の光彩は大きく、顔の彫りはあまり深くはなく、体全体のフォルムは柔らかく感じる。
会場にいる新入生、在校生、教師、来賓全ての視線が集まっているのにもかかわらず彼女には緊張した様子は見られない。その表情には淡い笑みさえ浮かべている。
視線を会場から演台の上に移した彼女は、その上に置いてあるマイク台を、それに収まっているマイクごと両手を使い位置と向きを直した。
そして上着のポケットから左右を三等分に、上下の端を後ろ側に折った上包みと言われる白い封筒を取り出し、その中に収まっていた蛇腹に折られた巻紙を両手で広げるとそれに目を通した。
『暖かな春の訪れとともに、私たちは嵐川高校の入学式を迎えることとなりました。本日はこのような立派な入学式を行っていただき大変感謝しています』
スピーカーから増幅された彼女の声が会場へと広がる。
その唄うようなきれいな声は彼女の姿を具現化したものといっていい。
きっと皆の期待を裏切らなかったことだろう。
「玲惟羅様なんと麗しいお姿・・・・・・」
俺の隣の席に座っている眼鏡男子が目を潤ませ両手を組み、壇上の彼女を見つめている。彼だけではない、皆が彼女に注目している。
ところが俺はというと眠くて眠くて仕方がない。一人会場の人達とは逆の態度をとっている。
玲惟羅は朗読中、顔の向きは正面に固定し、視線だけを挨拶文の巻紙と会場へと交互に動かしている。
会場にその視線を向けたときには、口角をわずかに上げ柔和な微笑みを浮かべるのを忘れない。
その微笑みに一体何人の男女が心臓を射貫かれ、骨抜きにされたことだろうか。
俺は正直この彼女の挨拶に興味が無い。
と、いっても彼女自身に興味がないわけではない。
今流れている彼女の新入生代表の挨拶文は、何度も聞かされていたのですっかり覚えてしまっていたのだ。
何なら眠気覚ましに彼女の代わりに新入生代表を務めてもいい位だ。
夕べも夜遅くまで彼女の練習に付き合わされ、今の俺は睡眠不足と春休みボケと式の退屈さのトリプルパンチに襲われている。
しかし、上から見下ろしている彼女からは俺の姿が見えているだろう。
彼女の晴れ舞台を、居眠りしていたため見ていなかった、などということになったら、あとでどんな目に遭わされるかわかったものではない。
俺はあくびをかみしめ、ただひたすらこの退屈な式が終わるのを待っていた。
『・・・・・・新入生代表、荒木玲惟羅』
彼女は最後に自分の名前で静かに挨拶を締めくくった。
その言葉は最初から最後までよどみない物だった。
だが残念ながらこれで退屈な入学式が終わったわけでは無い。
よく頑張った見事だぞ玲惟羅。
そしてそれを見届けた自分も褒めてあげたい。
彼女の晴れ舞台はちゃんと見た。
だからいいよね、もう居眠りしても。
おやすみなさい・・・・・・
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