私たちの帰る場所

 春人の家までは私の家から電車で春見駅方面に二駅挟んだ所にあった。春人の家の最寄駅は幸成駅で、その駅から徒歩五分の所に春人の家はあった。

 周りの家が次々と増改築、新築していく中にペンキの剥げた家が一軒古い匂いを漂わせていた。春人はいつも友達にそのように説明して家の場所を教える。そうすれば、誰もが一目見たら家が分かったと言う。

「春人くんの家に行くの久し振りだなぁ。お母さんたち、許してくれるのかなぁ?」

 私は春人に問い掛けた。

 家を出てからずっと繋いできた手に力が入ったのを感じた。私は力を入れどころか力を抜いて、緊張をほぐして帰るべき場所に帰りたかった。だから、すぐに春人が力を入れたのだと思った。

「どうかなぁ? でも、もう決めたんだよ、二人で乗り越えていくって。確かに不安はあると思うよ。心乃ちゃんだけじゃなくて、僕だって不安で、緊張して、鼓動が早まってるんだよ。でも、心乃ちゃんと一緒だから大丈夫だって思ってるんだ。それに、僕が今一番大切なのは家族じゃなくて心乃ちゃんなんだ」

「……ずるいよ、春人くん。私だって春人くんみたいに強くなりたいよ。それに二人なら大丈夫だって思ってる。でもね、やっぱり怖いんだよ……」

 春人は迷いがない純粋な瞳で私を見つめた。気づけば私も握っていた手に力が入っていた。

「心乃ちゃん。それが答えなんじゃないかな。僕の手を握る力が強くなってるよ。たぶん、不安や緊張で強くなってるんじゃなくて、僕たちの決意が形になってるんじゃないかな」

「……うん、そうだね。ありがとう、春人くん。春人くんのお陰で勇気出たよ。いこう、春人くん」

「うん」

 私は春人の手を離さないように、今度は力を抜いて握りなおした。決して離さないように、そして離れないように……

 固く繋がった手は二人を離れさせることがなかった。

 御崎駅の事務室には、今日もいつものように駅員が居なかった。

 木々が響かせる音に耳を傾けながら二人で電車を待とうと待合室に入った時、ホームにアナウンスが流れた。それは、私たちが目指す場所、そして帰るべき場所へ向かう電車の到着の合図だった。

 いつか春人と春人の家が私の帰るべき場所の一つだと二人で思える一日にしたいと思った。そして、春人も私と私の家が帰るべき場所の一つになって欲しいと思った。

 たった三駅先の幸成駅までが遠く感じた。一駅止まる度に鼓動が早くなって、胸が苦しくなっていく気がした。久しぶりに感じるその苦しさに私はうずくまりたくなった。ただ、春人の顔を見ているとそんなことを思うのは私の心が弱いだけなのだと思った。春人の瞳は遠くを見ていた。それは強く決意を固めている瞳だった。

 次の駅が幸成駅とアナウンスが流れた時、春人は私に声を掛けた。話し掛けられた瞬間に驚いて握っていた手を離してしまった。

 春人は私の緊張をほぐすように手を再び握って瞳を見た。

「次で降りるよ、心乃ちゃん。大丈夫、お母さんたちなら認めてくれるよ。だって僕は思うんだ。もうお母さんたちは気づいているんじゃないかって」

 それを聞きながら私は小さく頷いていた。

「それに心乃ちゃんが初めて家に来たとき、お母さんがどこかに電話してたんだ。それから心乃ちゃんを泊めてあげてもいいって言ったんだ。女の子を送らずに家に泊めるってことは、電話の相手は歩乃華さんだったんじゃないかな。だからね……」

 春人は話しの途中で身体が何かに引っ張られるように前に動いた後、今度は右に引っ張られたように感じた。

 私は握っていた手を離さないままホームへと降りた。春人は話すことに夢中になっていたのか、私の方を見て不思議そうな顔をしていた。

 ようやく、駅のホームへと降りていることに春人は気づいたのか、不思議な顔を笑みへと変えた。

「……ビックリしたぁ。着いたんだね」

「うん。春人くん……私も気づいてた。だってあんな簡単に春人くんの家に泊めてもらえるはずがないもん。でも、もうお母さんたちが気づいてるとか気づいてないとか関係ないよ。 だって、もう私たちが本当はどうしたいかをお母さんたちに伝えるだけだもん。心の準備はとっくに出来てる……」

 私は春人の瞳を真っ直ぐに見つめていた。春人はその瞳から、家へと近づくにつれ増していた不安や緊張が薄れているのを感じた。

 駅からしばらく歩いていると、私たちに向かって手を振っている女性がいた。腰まで伸びた黒髪に大きな瞳、それに背も高くないのか遠目で見ると小さく見え、無邪気に笑うその女性は、大人というよりは幼い少女に見えた。

 私は女性に軽く会釈した。その会釈には緊張が現れていた。真面目な顔をして、笑みを一切浮かべない私の顔を見て、女性は緊張をほぐす為にまず私に声を掛けた。

「おかえり、心ちゃん。心ちゃん、私たちはあなたたちの味方だって前に言ったでしょ」

 春人は私の顔を見ていた。裕美が私に話し掛けたことを不思議に思ったのか、それを聞く為に口を開こうとしていた。

「お母さん、ありがとうございます」

「え、もしかしてお母さん、心乃ちゃんが家に来た時にはもう気づいてたの?」

「そうだよ、春くん。あ、そうだ。二人の想いは歩乃華から聞いたよ。ただ、知り合いでも味方をしてくれる人は少ないかもしれないんだよ。それでもいいの?」

 私は春人の顔を見て、その瞳を見て裕美に想いを伝えた。

「はい、大丈夫です。それに初めから二人で乗り越えていくつもりだったから、味方がいるいないは関係無かったんです。だって、未来は二人で歩んでいくものなんだから」

「うん、ありがとね。前聞いた時よりも、決意が固まったんだね。その想いが伝わってきたよ、心ちゃん」

「でも、お母さん。お父さんはどうなの? お父さんは反対するんじゃないの?」

 春人の父親、水沢寿也は自分の立場を一番に気にする人間だった。寿也は水沢商店という春見市ではコンビニよりも売上が倍ほど多い店を経営していた。代表取締役をする傍ら春見市の議員を務めている寿也が、春人と私の関係を認めるはずがない……そう思っていた。

「お父さんが反対? 何言ってるの春くん。お父さんがあなたたちの関係を認めたのよ。それにあの人は初めからあなたたちのことを一番に考えてたよ、子供の頃からね」

「ホントなの?」

 あっさりと問題が解決したことに驚いて私たちはお互いの顔を見合った。春人は未だ信じられないのか、口が半開きになっていた。

「本当だよ。心ちゃん、私が雨の日に心ちゃんに言ったこと覚えてる?」

「はい。私たちはあなたたちの味方だからっ……え、えー、もしかして、お母さんたちはあの日から許してくれてたんですか?」

「そうだよ。心ちゃん、春くんと幸せにね。何かあったらお母さんたちに言うのよ。あの人はあなたたちのことを一番に考えてるんだからね」

「ありがとうございます、お母さん」

 私は嬉しくて涙を流していた。頬を伝う雫を拭うと袖口がびしゃびしゃになった。

 潤んだ瞳で裕美を見ることが出来なかったが、春人の肩を軽く叩いた事だけは分かった。

「春くん、どんなに高くて乗り越えられない壁でもね、二人なら乗り越えられるの。もし二人で乗り越えられなかったら、私たち大人を頼りなさい。……春くん、心ちゃんを幸せにしてあげてね」

 私は最後に一度伝う雫を拭い、裕美に笑顔を見せた。

 残っていた雫が宙に舞い、美しく輝いていた。

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