翌日

「ねぇ、春人くん起きてる? おーい。朝だよ、学校行かないと」

 その優しい声で僕は目を覚ました。それは昨日聞いた、好きな人の声だった。少しキーの高い美しく澄んだ声を聞く度、僕の心は踊った。

「うーん。おはよう。心乃ちゃん……? ん、心乃ちゃん……? なんでいるの?」

 僕は布団から飛び起きた。

 状況が全く理解出来なかった。そして、今日も心乃の瞳は僕の瞳を見つめていた。

「なんでって言われてもなぁ。だって、昨日家に帰ってないからね」

「あ、そうだった。心乃ちゃんが電話したら、泊めて貰いなさいって言われたんだったんだよね」

「うん、そうだよ」

 昨日の夜、心乃が家に電話をかけた時、彼女の両親は明日迎えに行くから泊まらせて貰いなさいって言われていたのだ。

 ただ、そう言われるのも無理はなかった。家の外は暗幕を降ろしたように暗くなり、大粒の雫が地面に降りつけ、街路樹の木からは葉っぱが宙を舞っていた。

 気象警報も発令された夜の街に出かける人は誰一人としていなかった。

「でも、なんで心乃ちゃんが僕の部屋にいるの?」

 心乃は僕から瞳を逸らし、ぐるっと一回転した。母が昨日の貸した服から制服へと着替えていた心乃はどこか幼く見えた。スカートがフワッと揺れ、胸元のリボンも揺れていた。

 僕はまた心乃に見惚れていた。

「なんでかなぁ? それよりも春人くん、早くしないとおいてっちゃうよ」

「えっ、心乃ちゃんって春見高校だったの?」

「そうだよぉ。やっぱり春人くん、気づいてなかったんだね」

 心乃は僕と同じ高校に通っていた。昨日は心乃に目を奪われていた為、心乃が着ている制服にまで目がまわっていなかった。

「ついでに言っておくね。私たち同じクラスなんだよ」

「えっ、……ごめん」

 僕たちの通う高校は、一クラス五十人と多くの生徒が在籍していた。授業も個人で時間割を組むことができ、同じクラスの生徒と必ずしも同じ授業を受ける訳ではなかった。その為、お互いの顔も名前も分からない人が一人や二人いてもおかしくはなかった。

「いいよ、謝らなくて。でも、私は春人くんのことずっと見てたんだけどなぁ」

「ん、ずっとって? だって初めて会ったかも知れないって……」

「だって、春人くんがぜーんぜん気づいてくれないだもん。だから、私も知らない振りしようかなぁって」

「……ホントにごめん」

「だから、気にしないでって。それよりもホントに早くしないとおいていっちゃうよ」

「すぐ準備するから」

 僕は部屋の扉とは正反対にある箪笥から制服を取り出し、素早く着替えを済ませた。

「心乃ちゃん、学校はどうするの? 授業の用意ができないよ」

「大丈夫だよ。お母さんが学校に持って来てくれるみたい」

「そっか、いいお母さんなんだね」

「うん、優しいお母さんなんだ」

 制服に着替え終わるのを待っていたかのようにスマホに通知がきた。

 ご飯出来てるよ。心乃ちゃんと一緒に降りといで。

 通知は母からだった。同じ家に住んでいるのだから、わざわざスマホで文面を送らなくても下から呼べばいいのに。

「心乃ちゃん、朝ごはん出来てるって、食べようか」

「いいの? ご飯までご馳走になっても?」

「いいよ、気にしないで。お母さんも一緒に降りといでって言ってるから。だから、遠慮せずにたくさん食べたらいいよ」

「ありがとう。じゃあ、遠慮なくご馳走になります」

 心乃はテーブルに並んでいる朝ご飯を眺めていた。

「どうしたの? 朝ご飯食べよう」

 僕はすでに椅子に腰掛けて、心乃が座るのを待っていた。

「うん。でも、いいんですか、お母さん?」

「いいのよ。遠慮せずにたくさん食べてね心乃ちゃん」

「はい。ご馳走になります」

 僕と心乃は向き合う形で椅子に腰掛けた。

「いただきます」

 

 朝ご飯を食べ終わった僕たちは、学校へ行く準備をしていた。心乃の身だしなみを整える生活用品は母が全て用意してくれていた。

「じゃあ、お母さん、いってくるよ」

「いってきます。ホントにありがとうございました」

「いいのよ、心乃ちゃん。いってらっしゃい二人とも、気をつけてね。また来てね心乃ちゃん」

「はい」

 元気よく返事をした心乃と僕は家を後にした。そして、僕たちの通う春見高校へ向かって二人一緒に足を踏み出した。

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