第31話 エピローグ


 楽しい祭りの翌日には、平気な顔をして日常が待っているものです。

 人も獣人も総出でせっせと撤収作業に勤しみ、日付が変わる前には、居住区は祭りの名残をすっかり脱ぎ捨ててちょっと寂しいくらいの元の姿を取り戻していました。


 そんなしんと静かな街の、さっきまで一番にぎやかだった広場のはじっこで。

 ベンチの背にもたれかかるようにしてぐったりと目を伏せているその人の隣に腰かけると、私はこそっと耳元でささやきました。


「おつかれさまでした、シオンさん」

「…………」


 あ、やっぱり急に耳がになったから驚いてますね。

 ……なんてちょっと面白く思っていたら、思いっきり嫌そうな顔をされてしまって、さすがにちょっと傷つきました。


 あれ、見てて下さいって言っていただいたし、感想ぐらいお伝えしたいなと思ったのですがまずかったでしょうか………。

 しゅんとしているとシオンさんは本気で迷惑そうに目を細めて、呻くような声で恨みがましく呟きました。


「何……なんで来たんですか………俺いま人生で一番くらい弱っててめちゃくちゃ格好悪いのに……ひどい、あんまりだ、帰ってください、忘れて、いや山羊やぎ違いです」

「山羊違い!?」


 かつてない程に完全に混乱してるっぽいシオンさんに動揺しつつ、慌ててなだめようと手を叩きます。

 そ、そうですよね、野生の獣にとって手負いの状態に近づかれるのは命とり。人間だってそうですし!


「よく分からないけどそんなに落ち込まないで下さい……? あの、シオンさんすごく格好良かったです! みなさんすばらしかったですが、個人的にはシオンさんが一番素敵でした。私感動しちゃって……貴重なものを見せてくれてありがとうございました」


 シオンさんは虚ろだった目をカッと開くと、真剣な顔で言いました。


「今のもう一回言ってください……」

「え? 『みなさんすばらしかったです』?」

「いや、そのもうちょっと前と後を抜粋して」

「えー難易度高……ええと、『すごく格好良かったです、個人的にはシオンさんが一番素敵でした』?」

「よっしゃ」


 なぜだか小さく拳を握ると、シオンさんはすっかり元気に戻ったご様子で、上機嫌に私を見てふと頭の上を指さして笑いました。


「トールさん、髪に花ついてる」

「え? あら、さっきエミリア先輩に全部取ってもらったつもりだったのですが………どこですか? このへん?」

「そこじゃなくて……」


 指を伸ばしかけたシオンさんでしたが、ふいにぱっと手を引いて、楽しげに首を横に振りました。


「いえ、もう少しそのままにしましょう」

「はあ。どうしてですか」

「可愛いからです」


 即答されて沈黙しました。


「……お酒飲んでます?」

「え? 飲んでませんよ、俺は区長に禁酒令出されてるので。怒られちゃいます」


 ……ひ、人の心をかき乱しておいてなんて爽やかに笑うんでしょうこの人は……。

 口をひき結んでいるとシオンさんは不思議そうにしつつ、ぺこりと小さく頭を下げました。


「本番前に応援してくれてありがとうございました。あれがなかったらきっと失敗してたと思います」


 応援……ああ、そういえばがんばれを所望されてましたね。

 でもあんな一言がなくても大丈夫なくらい堂々とした神様っぷりでしたが?


「神山羊は霊峰を降りると極端に力が弱まるんです。だから実は最後のあれも、練習では一回も成功してなくて……。上手くいってよかったぁ……」


 ぐったりしていたのは神獣の力を無理に使った代償でしょうか、はは、と力無く笑ってシオンさんはベンチに再びもたれかかります。


「『失敗したら山羊の丸焼きじゃわい』って区長に脅されてたから……」

「じょじょ冗談ですよね?ね?」


 何気に恐ろしすぎる裏事情に震えつつ、本当にくたくたなご様子の横顔が心配で、私はぐっとひざの上の手に力を込めました。


 ……ほ、本には意味深なことも書いてありましたけど、馬車の中でのシオンさんの言葉を借りれば、元気を出してほしい時のサインでもあるみたいですし……


 私は意を決すると、ぽすんとベンチに背を預け、シオンさんの隣に肩を並べます。

 それからそっと首を伸ばして、獣だったら角が生えているところ、耳の少し上あたりに髪をすり寄せてぎゅっと目を閉じました。

 呆然としていたらしいシオンさんは小さく息を飲んで、すぐ耳元で囁きます。


「……トールさん、」

「が、がんばりましたね、えらいえらい……」


 耳まで真っ赤なくせに年上ぶってどうにか言った私に、シオンさんはふっと笑って、優しく頭をすり寄せ返しました。


「はい。すっごく頑張りました」




 まもなく正門は閉じられて、居住区と王都とは再び区切られます。

 人間と人間ですら簡単にぶつかりあったり、いがみ合ったりするってことを、私はこの短い期間に身をもって知りました。

 人間と獣人が一緒に生きていくには、まだ解決しなければならない壁が山ほどあるでしょう。


「トールさん、俺、またゆっくり本が読みたいです」

「あ、いいですね。いつにします? ミーナちゃんが図書館に今度新しい本が入るって言ってましたよ、時間はたっぷり取りましょうか」

「本当ですか!? わー、楽しみだなあ。あとまた料理もしてみたいです」

「そうですね。ちょうどお祭りで食べた屋台料理をいくつか試してみたかったので、一緒に作ってみませんか?」

「はい、ぜひ!」


 手帳に二人の字で予定を書き合うと、シオンさんはにっこり笑って、私もつられて笑いました。


 人間と獣人の間には見えない壁があるかもしれない。

 だけどきっといつかそう遠くない未来に、その壁も取り払える日が来るんじゃないかなあって、今日のお祭りを終えた今は不思議と思えてならないのです。


 それまではただこうしてそばにいられる時間を、とっておきの宝物みたいに大事にしていればいい。

 私はこっそりそう思って、すり寄せる髪の柔らかさにそっと目を閉じました。

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